No32 小菅正弘 7回生 「東高1年生の思い出」

 合格発表確認は一人で行った。そこでサッカ-部員から入部勧誘を受けたが拒否。入学後軟式野球部に入部。練習に励んだ運動場は出身中学校よりずっと広く、朝の始業前や臨時飯を食べて昼休みをフルに楽しんだ。
 運動場での体育はラグビ-しか覚えていない。教室は”県女”から引継いだ木造2階建て。母も使用した由、感無量だった。旧体育館や校舎等の一部を写した写真があった。授業は前期後期の2期制で夏休み前には試験が無く気が抜けた。片や10月に中間の休暇あり。
 理科は選択制で3年間で生物・化学・物理の順を選ぶか又は化学・物理・地学の順であった。1年生で化学を選択したが2年生で変更となり生物になった。英語は受験科目に無かった。入学後、テストがあり英語授業は成績別のクラスとなった。新体育館用に我々は寄付を出したが卒業迄に一度も利用出来なかった。

翌年、第2回原水爆世界大会がここで開催された。この事は、長崎東高同窓会会誌「ReEast」Vol.11号に記載して欲しかった。

(69年前なので記憶違いあるかも。)

次はばってんまほろば会でご一緒する10回生、溝上玄祐さんに襷をつなぎます。

No31 高 秋夫 19回生 「私の趣味」

  佐世保市から桜馬場中学校、長崎東卒後、大学時代を通じて岡山在住50年。

私は退職後、あまりの日常の変化にバランスを崩して鬱状態になりました。妻が見かねて「趣味でも探して、立ち直れ!」と檄を飛ばされ、まずバードウオッチングをはじめたところ、わずか数キロ圏内に数十種類の鳥がいることに驚き、カメラを入手し撮り始めました。

当初はまともな写真を撮れず断念しかけましたが、飛ぶ姿が偶然カメラに納まり小躍りし、それからは鳥の美しさ、給餌の姿、種類の豊富さに夢中になり、気づけば北海道から沖縄まで、新種を求めて鳥(撮り)三昧の日々を送るようになりました。鳥を探しての歩きでのワクワク感、いい写真が撮れた時の達成感に鬱も吹っ飛んでいました。

コロナが終息したら、鳥の撮影種1000種(現在723種)を目指して、去年行けなかった海外にも出かけたいと思っています。  

次回は同じ写真クラブの顧問をされている小菅正弘さん(7回生)に託します。

メジロとツバキカンザクラ

世界一美しい鳥、ケツアール

自作の撮影用皮バック

No30 峯 隆俊 19回生 「散歩」

 堺市泉北ニュータウンに住んで40年余り。同地区を2回引っ越し、現在の集合住宅に落ち着いて6年です。

退職後、個人の構造設計事務所を始めて12年。始業時刻に縛られないことだけ唯一 気に入っています。

最近は外出自粛により自宅で過ごす時間が増えてきました。日常のスーパーでの買物だけではわが家から近過ぎて運動になりませんので、天気の良い日は1時間ほど、少し離れた遊歩道を散歩するようになりました。

今まで最寄り駅からわが家までのルート以外はあまり脇道に逸れたことはなく散歩とは縁が無かったのですが、公園や遊歩道など、初めて通る道はなかなか面白いものです。

遊歩道を5、6分歩くたびに橋を渡るようになり、その下を車が通ります。人と車とは動線が分離されており、丘陵地の形状に沿った、当初の巧みな街づくり計画に妙に納得させられます。それでも、自転車とは分離されていないので、くだり坂では後ろから急に通り過ぎられるとヒヤッとすることがよくあります。

同じようなお年寄りの方々も結構散歩しているもので、すれ違う時は何となく小恥ずかしいので、わざとよそ見をしながら進みます。最近は暑くなってきたのでマスクをずらしながら、人影を察知したらセットし直して歩いています。散歩するたびに少しずつ地図上の縄張りを増やしつつあるこの頃です。

次は多彩な?趣味をお持ちの19回生、高秋夫さんにお願いしたいと思います。

 

No29 喜田信代 19回生  「桜の花に寄せて」

伊良林小学校、桜馬場中学から東高校。結婚する時に上京し、その後は夫の転勤に伴って北上し、札幌暮らしは36年になりました。

関西同窓会とのお付き合いは時々総会に参加させていただいたり、写真クラブの会員として、また19回生同期会の会員としてお世話になっています。

冬の始まりは11月。4月に雪が解けるまで室内は快適ですが、外は氷点下の日が続きます。

春の始まりは、草木が一斉に芽吹き、まるで山が動くように、日ごとに色合いを深めていくのです。

今年の桜の開花予想は5月2日頃でした。散歩で近くの公園を少し歩いてみました。陽当りの良い処は咲いていましたが、まだ早く、5月20日頃まで楽しめるかと感じました。今は、桜の向こうには雪の残る山が望まれます。八重桜やしだれ桜はこれからの楽しみです。

地元では「(北海道は)四季がはっきりしている」という人がいます。私の暮らしで身に着けた歳時記とは違うのですが、桜の花に春を待つ心は同じなのでしょう。

30年ほど前、農家の方からお話を聞いた時のことですが、「昔は、花を見るだけの桜の木を植える人は居なかった。収入になるリンゴやサクランボの木を植えることが先だった」というのです。教えられなければ分らないことでした。

連休が明けたら、近くの遊歩道の桜の木の下をゆっくりと散歩したいと思います。

次は同期で小学校から知っている峯隆俊さんにお願いします。

森林総合研究所のさくら

真駒内公園 桜と山の雪

No28 太田澄子 19回生 「私の故郷」

私の生まれ故郷は、東シナ海に面した野母崎半島の先端に近い高浜という所です。

世界遺産の軍艦島(端島)が目の前に見えます。私が小さい頃は、毎朝野菜を積んだポンポン船が島まで通っていました。(端島は昔、高浜村に属していた)

また「日本の渚100選」に選ばれた高浜海水浴場もあって、小さい頃は家から水着のままで泳ぎに行ったものです。長崎へ続く海岸線の道路は、今でも変わらず私の大好きな景色となっています。

当時高浜には高校がなく、長崎市内の高校に通う必要がありました。公立高校としては、長崎東か長崎南が選択肢としてありましたが、私はすぐ上の兄が在校していることもあって、東高を選択しました。学校は長崎市内に野母崎町が建てた寮があり、そこから通いました。

関西に住むようになって50年近くになります。帰ることが少なくなった故郷ですが、いつまでも変わらず美しい町であって欲しいと思います。

次は同期で北海道に住む喜田信代さんにお願いしたいと思います。

 

No27 長田正子 25回生 「心に響くことばとの出逢い」

姫路の隣、相生に住んでいます。造船が盛んだった頃長崎から多くの人々がやってきて働く傍らペーロンを伝え、市役所には「長崎の鐘」もあります。この街に住み42年の時が流れ、色んな事があったなぁ~と。…happyな時はそのまんまでOK❕反対に思い悩んでる時、unluckyな事に見舞われた時心に響くことばに出逢い、道標になった気がします。

 「自分にとって幹は何?枝は?葉っぱは?幹がしっかりしていれば枝葉は風に吹かせておけばいい。それでもどうしても我慢できなければ枝葉は切り落とせばいい。そして幹が上に伸びられない時は地面にしっかり根を張りめぐらせよ」
コロナ禍の中、私はお店をしているので今まさに「根を…」です。
そしてもう1つ大好きなことば…Tomorrow  is  another  day.  I’m  sure  something  good  will  happen ❕

また笑顔でお会いできる日を楽しみにしています。

 次は播磨東風会のメンバー19回生の太田澄子さんにタスキを渡します。

No26 宮原知寿子 25回生 「コロナと私」

新興善小、片渕中、東高。夫の転勤で関西に来て40年ほどです。

友達に長崎に帰ってくっけんね、と言ったけど神戸にながーく住んでいます。長崎の実家は元県庁前、万才町です。姉夫婦が住んでいます。

孫達が長崎に行くことを楽しみにしていますが、コロナで帰省ができません。

毎年、お盆に帰って新地の会楽園で中華を食べ、吉宗の茶碗蒸しを食べ、それと賑町の立岩商店で花火買ってみんなで花火をするのが楽しみなんです。

今年の夏も帰省が無理かな?

次は同じ25回生の長田正子さん、よろしくお願いいたします。

 

No25 多田哲也 25回生 「関西同窓会と私」

高校からバスケットを始め大学社会人と続けました。今は専らゴルフと散歩です。

関西同窓会を紹介されたのは24回生の高比良先輩から是非参加してくれというお誘いでした。高比良先輩とは東高在学中接点はなかったのですが仕事で何度かお会いすることがあり話をしているうちに同じ学校出身だと気付いたのがきっかけでした。決め手になったのは地理の先生の話だったと思います。その後関西で同窓会が立ち上がると連絡を頂き参加致しました。自分がゴルフ好きということもありゴルフをされる仲間がおられるということでゴルフ会(ファーの会)にも参加させてもらうようになりました。コロナ禍が過ぎましたらまた参加できることを楽しみにしています。

次は同期で女子バスケット部だった宮原知寿子さんに襷を渡したいと思います。坂田さんよろしく!(ついなじみの旧姓でお願いしました。)

No24 佐藤泰進 24回生 「最近思うとりとめのない事…。」

目立たないバスケットボール部員でした。大阪在住48年、今更に時の速さを感じております。
6年前、一念発起、これまで勤めた会社を退社独立しました。住まいも高槻市から福島区に転居、ようやく納税出来るようになりました。まぁまぁかなと思っています。これまで家族・会社の為、滅私奉公でした。これからは自分の為に生きたらどうか?と考えました。ご意見多々お有りと思いますが…。温室育ち?の性格。61歳、おっとり刀で独立…。失敗したら一巻の終わりでした。息子二人には、早い機会に自立するように言い聞かせておりますが馬耳東風。世の中大変な時代に私達は生きています。普通に生きていたら世の中が大変になった。尖閣・香港・コロナ・台湾・ウィグル・チベットetc.

コロナウイルス感染抑制効果がある5-ALAを発見した長崎大学の研究チームは郷土の誇りです。マスターズに優勝した松山英樹にも日本人として感謝です。とりとめのない話ばかりでしたが、どうかご一笑下さい。元気に乗り切りましょう!

次はバスケットの後輩、多田哲也さん(25回生)にタスキを渡します。

No23 林田一徳 32回生 「第二の人生、第三の人生?」

山中、東高、長大を経て現在妻と大阪狭山市に在住。子供3人は既に独立し東京在住。会社では研究開発を担当。

手嶋さん、ご指名ありがとうございます。さて、コロナ禍で不要不急の外出が制限されているが、3月緊急事態宣言の解除を機に妻と帰省した。要介護1の両親と久々に会うことができたが、認知症の症状が出てきている現実を目の当たりにした。その際、ケアマネージャの推奨もあり急遽住宅型施設にお世話になることを親子で決めた。

今年私は、還暦を迎える。十干十二支が一巡した節目の年であり第二の人生を考えることになるが、恐らく両親にとっては第三の人生への門出となるだろう。直近ではリホームなど生活の見直しを考えていたが一旦見送り、まずは両親をしっかり見守って行きたい。
 次は第11回関西ナイスショット&ファーの会の優勝者佐藤さん(@24)に襷を繋ぎます。