2024年10月27日(日)第80回関西さるく会「奈良馬見丘陵公園さるく」紀行文

今回は、「花とみどりの時をすごそう‼️」をテーマに、奈良馬見丘陵公園です。 

兵庫、大阪、京都、奈良から10人の参加でした。 

1984年に新興住宅の建設から、標高70mの甲子園球場14個分の中にある自然、古墳を保全する為に奈良県が工事に着手して2012年に正式オープンの運びとなりました。 

まずは、池部駅を下車して公園までの1kmの散策路をさるいてましたら、途中から、ダンスミュージックが耳に入ってきました🤓  

入り口にある巨大なテントスペースでプロによる演奏や地元中学&高校の吹奏楽部によるプラスコンサートなどのライブパフォーマンスが次から次へ展開されてました。 

個人的には、奈良の名門県立郡山高校の吹奏楽部を聞いて見たかったですね。 

そこからはサルビア、コスモスのカラーバリエーションを楽しみ、1000株のダリア園へ。 

酷暑で、例年と比較したらこぶりでしたが、充分に満足していただけたと思います。 

【ダリア園】

【彩りの広場】

ランチは公園館のサークルテーブルでとりました。 

【公園館前で昼食】

しばらくしましたら、河合町役場よりガイドのHさんが登場‼️ 

ナガレ山古墳、巣山古墳を案内していただき、たっぷりと古代ロマンに浸りました。 

ナガレ山古墳からの奈良盆地の眺望も素晴らしかったです。 

【ナガレ山古墳の地形模型】

【ナガレ山古墳①】

【ナガレ山古墳から望む奈良盆地】

【ナガレ山古墳②】

【巣山古墳】

帰りはカリヨンの丘の時計台の音色に私を含めて全員が酔いしれ、幹事の私の判断が遅れ、池部駅まで競歩になり☺️、大変ご迷惑をおかけしました。 

【カリヨンの丘の時計台】 

【池部駅まで急ぎ足】

花々、音楽、古代ロマンのハイブリッド企画を楽しんでいただき、個人的にもリフレッシュできた1日でした。 

  

25回生 長岳宏樹 

2024年9月22日(日)第79回関西さるく会「京都岩倉さるく」紀行文

叡山電鉄出町柳駅に14名が集まりました。昨夜からの大雨も上がり、まずまずの空模様の中、京都市北東部にあたる岩倉地域をさるきました。

【岩倉駅】

まずは、出町柳駅から鞍馬線に乗り岩倉駅で下車しました。ここから最初の目的地「実相院門跡」を目指します。徒歩で約20分くらいですが、半分ほど行ったところでどしゃ降りの雨に会い、濡れながらの到着となりました。実相院は元天台宗の寺院、また、門跡寺院とは住職を天皇家の血を引く方々が務めた格式の高い寺院をいいます。御所の近くにあったのですが応仁の乱の戦火を逃れ、岩倉に移ってきたと伝えられています。庭の樹木が床に映る「床みどり」「床もみじ」が有名ですが、今回は光や風のせいもあり少しボンヤリでした。室内は撮影禁止、「少しくらいは」と抵抗した人もいましたが、「小学生でも理解されています」という返事。かわりに、四季の移り変わりをビデオで視ることができ、取りあえず満足しました。見学の終わり頃には、何と雨が上がり、予定通り寺院前の公園で昼食をとることができました。 

【岩倉実相院①】

【岩倉実相院②】

【岩倉実相院③】

【公園で昼食】

公園から2~3分で次の目的地「岩倉具視幽棲旧宅」へ移動。中には茅葺きの旧宅と「対岳文庫」の二つの建物があります。今回は、管理を委託されている造園会社の方に説明をしてもらうことができました。岩倉具視は公家のランクは下でしたが、当時の天皇が広く意見を求めたことで頭角を表わしました。当初は、婚姻政策など朝廷と幕府の協力強化の方針だったため、尊攘派から追放され、1864年~1867年の間、岩倉に幽棲することになりました。坂本龍馬、中岡慎太郎、大久保利通と岩倉で会談後、洛中帰任を許され王政復古に尽力、明治維新・新政府で活躍しました。 

余談ですが、旧宅の障子戸は、大正ガラスがはめ込まれ昔懐かしい風情があります。加山雄三さんの母方の血縁をたどると加山さんは岩倉具視の玄孫になるとの話、みんな「へぇー」と言ったあと、大先輩のHさんが「私、聞いたことがあるよ」、もう一度、「へぇー」と楽しいひとときを過ごしました。「対岳文庫」は岩倉具視の遺品や資料を収蔵するために、1928年に建設されました。設計者は昭和を代表する建築課の武田五一です。対岳の岳は比叡山をさしています。 

【岩倉具視幽棲旧宅①】

【岩倉具視幽棲旧宅②】

【岩倉具視幽棲旧宅③】

旧宅を出た後は、岩倉川に沿ってさるきました。川に「ハヤ」の魚影、第一発見者は勿論釣り師27回生Kさんです。

【岩倉川沿い】

しばらく行くと右手に岩倉地名の由来と伝えられている山住(石座)神社があります。古神道の形が今も残っており(880年には存在の記録あり)、社もなく、大きな岩が祀ってあるだけなのですが近寄ると空気もヒンヤリ、神域を感じました。さらに下り、岩倉駅で5名の方と別れ、国際会議場駅へ向かいます。途中、白鷺も川面に飛来し、いつの間にか”さるく日和”になっていました。駅到着直前で、いつものように19回生Fさんがお楽しみ会のできる飲食店を発見、楽しい一日を無事終了することができました。

 【山住(石座)神社】

参加者の皆さん、有り難うございました。 

23回生田部 

2024年8月25日(日)第78回関西さるく会「神戸港クルーズさるく」紀行文

8月25日、曇り空の天気予報に反し、神戸は青空が覗いていました。この日大阪の一部ではゲリラ豪雨のためJRの電車が遅れ、さるく会も集合場所の元町駅を20分遅れての出発となりました。20名の参加者(再開後初めて)は久しぶりのようです。

日中は暑くなりそうな中、当初予定の神戸海軍操練所跡地を省略して、震災メモリアルパークへ。阪神淡路大震災が生起して来年1月で30年になります。震災の状況と教訓を伝える施設に、今各地で起きている様々な災害と合わせ、改めて危機への備えをしておくことの重要性を感じました。

【震災メモリアルパーク】

潮風と海の香り、開放的なみなとの景観に、街中にない壮観さを感じながら、モアイ像に似た神戸海援隊の石造りの五体を見て、「BE KOBE」のモニュメントへ。 このフレーズは震災20年を経て、市民からのアンケートや思いを語り合う「場」の中から、神戸の思いを世界に発信するロゴとして生まれました。今ではSNSなどでの映えスポットとして絶大な人気があります。

【メリケンパーク】

【BE KOBEモニュメント】

暑いから早く涼しいところへ!の声に押され、クルーズ船の発着場「かもめりあ」へ。

【クルーズ船乗り場】

11時45分発のロイヤルプリンセス号の船内で出航前の昼食です。広げた弁当が畳まれる頃、船はゆっくりと岸を離れました。船内の案内放送と合わせ、甲板からの景色は神戸港の工場群、修理中の潜水艦、神戸空港、六甲の山並みや市街地など・・・次々に飛び込んでくる映像と船上の潮風は、普段味わえない感覚と心地よさを感じさせてくれました。

神戸ベイクルーズ万感なり!!

【神戸港クルーズ】

本日のメイン行事(最後にもメインが・・・)を終えて地上へ。この暑さに参加者バテバテです。予定のコースを変更して日陰のある道を選択。ここからの先導役は、神戸在住のMさんです。JR神戸駅から延びる元町商店街のアーケード下を通ることで陽を避けます。

途中横に逸れて南京町へ。お馴染みの豚まんや小籠包の有名な店、中央広場の十二支像が十三体などを紹介。触れると幸せ、金持ちになれるという女の子の来来(ライライ)、男の子の財財(サイサイ)のお金の神様像に、ある人達は触れ金持ちになれるよう祈りました。

【南京町】

再び元町商店街へ。最後は商店街の終い近く、ちょっと横道に逸れた所にあるお店で有志によるお茶酒(ちゃけ)会です。久しぶりに参加の皆さんの近況などに花が咲き、和やかな雰囲気の中解散となりました。暑い中全員無事に会を終えることが出来幸いでした。

【お茶酒会】

(19回生 太田記)

2024年7月28日(日)第77回関西さるく会「長岡京さるく」紀行文

 今月は長岡京さるく。

 猛暑の中、初めて参加の36・38回生2名と名古屋から駆けつけてくれた36回生を含む17名が参加して勝竜寺、勝竜寺城公園(昼食)、サントリービール京都工場を巡りました。 

 まずはボケ封じで有名な勝竜寺を参拝した後、明智光秀・細川ガラシャ親子のゆかりの地、勝竜寺城公園で少し早めの昼食。木陰と涼しい風は何よりのご馳走でした。 

ボケ封じの勝竜寺

勝竜寺城公園

 昼食後は明智光秀が山崎の戦で本陣を置いたという恵解山(いげのやま)古墳を経て京都工場へ。 

山崎の戦で明智光秀の本陣となった恵解山古墳

 さあ工場見学です!こだわりのビール醸造を実感しながらの工場見学が終わると待ちに待ったビールの試飲。暑い中をさるいてきただけに工場蔵出しの生ビールは本当においしかったです。そして帰りは送迎バスで移動。 

サントリービール工場見学

乾杯! 

待ち遠しい! 

テスティングの3杯。どれもおいしかったです

満ち足りた表情のみなさん! 

 最後はやっぱり余韻を楽しもうとカフェへ。さすがにビールではなくかき氷やぜんざいを楽しみました。 

 一方長岡天満宮へ行ってみたいとの女性有志はTさんご夫婦の厚意で車での二次会実施。天満宮を独り占めしたとの喜びの一報がありました。  

 これに先立つ25日には拡大下見を行い8名が参加。上記コースに長岡天満宮を加えて楽しいさるくを満喫しました。 

下見のみなさんも

福地定義(19回生)記 

2024年6月30日(日)第76回関西さるく会「彦根城さるく」を実施しました

雨の中、JR彦根駅に14名が集まりました。今回は彦根城を下から上まで、端から端までさるきました。
まずは、彦根駅西口にある井伊直政公の騎馬像にご挨拶、いざ出陣。

【井伊直政公の騎馬像】

 

 

 

 

 

 

 

 

城の入り口である表門を目指します。約20分で到着、ここで観覧券を購入いよいよ城攻めです。

表門を入ると急な登り坂が続きます。石段も不規則に組まれており、一気に駆け上がれないようになっています。

【彦根城までの急な登り坂】

我々は当然、無理。急な坂を登り詰めたところにあるのが天秤櫓です。敵を攻撃撃するのは勿論、ここに架かっている廊下橋を壊すと本丸へはすすめなくなります。

【天秤櫓】

さらに登り、太鼓門櫓を通過すると目の前は天守閣(国宝)です。丸みをおびた唐波風や切妻波風を駆使した屋根は、他の現存天守にはない美しさがあります。残念ながら、今回は工事中のため中へは入れませんでした。

【廊下橋での集合写真】

天守閣を背景に集合写真を撮った後、西の丸三重櫓に移動。内部は急な階段が二つありミニ天守を経験できました。西の丸の広場は最高のロケーションで、絶好の昼食場所なのですが雨のため断念、逆に雨のため閉店していたお店の軒下を借りて無事昼食をとることができホットしました。

【軒下で雨宿り】

帰りは表門を目指して一気に下ります(行きはよいよい、帰りは恐い)。表門まで帰り着いて、隣にある彦根城博物館を見学。
井伊家伝来の美術工芸品・武具・古文書だけでなく、能舞台や、江戸時代さながらに再現された表御殿では藩主の居間や茶室も見ることができました。博物館を出ると雨も上がり、「ひこにゃん」登場まであと15分ということわかり待つことにしました。「そんなに待つの~」の人も、会えてからは「ひこにゃ~~ん」と満足いただいたようです。

【ひこにゃんイベント】

      【ひこにゃんと天守閣を背景に】

気分転換したところで、馬屋(当時21頭つながれていた)、佐和口多聞櫓を見学し、江戸前期に作庭された玄宮園に向かいました。天守背景の集合写真は、雨が上がっていたので池の水面に映る天守も撮れた最高の1枚です。

【佐和口多聞櫓の見学】

【玄宮園の散策】

【玄宮園での集合写真】

最後はJR彦根駅前でいつものお楽しみ会。参加された皆様、お疲れ様でした。ありがとうございました。
23回生田部

5月26日(日) 鶴見緑地公園さるくを実施しました

34年前の1990年に「国際花と緑の博覧会」、通称「花博」が開催された鶴見緑地をさるきました。花博後は咲くやこの花館などの記念施設を残して都市公園として整備され、「花博記念公園鶴見緑地」と呼ばれています。

日曜日とあって飲食や小物の露店が並んだマルシェや大道芸などが行われていて、折からの好天で大勢の家族連れやカップルで賑わっており、市民の憩いの場と呼ぶに相応しい場所でした。夏日で汗ばむ陽気の中、17名が4kmあまりを元気にさるきました。

先ず今回の目玉である咲くやこの花館へ。砂漠から高山、熱帯から南極・北極にわたり、世界中すべての地域から集めた5500種、15000株に及ぶ珍しい植物が目を楽しませてくれました。普段植物にあまり触れない人にも興味を抱かせる展示の数々です。また当日の特別企画としてさつきの展覧会も行われており、愛好家が丹精込めた作品も彩りを添えていました。子供向けのクイズラリーに挑戦するメンバーもいて、完答賞の珍しい植物の写真を貼ったシールをゲットしていました。そのあとは花博時に屋外ホールであった花さじきで昼食タイム。思い思いに階段席や円形ベンチに弁当を拡げて腹ごしらえをしました。日陰を選んだので思いのほか爽やかな時間を過ごせました。

昼食後は馬を見ようと、乗馬クラブのある乗馬苑へ。しかし残念ながら昼休みで馬もお休み中。そのまま山のエリアへ進みました。ここには花博時の各国のパビリオンが遺構として残されています。建物が残っているものは殆どありませんが、彫刻などでお国柄を表わす物が残るパビリオン跡があり、またそれらの周辺には色とりどりの花が植えられて目を楽しませてくれていました。カメラ映えする遺構では集合写真をパチリパチリ。

  

せせらぎが造られた日本庭園を経てバラ園へ。色とりどりのバラの花が美しく咲き乱れていました。

この辺まで来るといささか疲れ気味の人もいましたが、すぐ横にある人工ながら大阪市の最高峰である標高39mの鶴見新山に登山。低くはあるが花博時には四方の景色が素晴らしかったとのこと。今は周辺の木が伸びてしまっていますが南西方向は今も見晴らしが良く、あべのハルカスが遠くに見えました。鶴見新山を下山して花博以前からあったというオランダ風の風車前で集合写真撮影。

 

 

ここでさるく会の目的地は終了しあとは恒例のお茶会へ。鶴見緑地の近辺には適当な場所がなく、最初の訪問施設である咲くやこの花館の中にあるレストランでお茶会をすることに。冷たいドリンクで、夏日の中歩いて火照った体を冷やしながら楽しいお喋りに興じて今回のさるく会の幕を閉じました。

 

19回生 村井記

4月28日(日)長居植物園さるくを実施しました。

今月は17名が参加していざ大阪舞洲のネモフィラ鑑賞へ。ところが連絡バスを待つ人
達は300mという長蛇の列。加えて舞洲は交通渋滞でバスが帰って来ないとのこと。一方
電車からは続々人は降りて来る。

【バス停前の長蛇の列:大久保さん撮影】

決断!!長居植物園へ行先変更!
 長居植物園も大賑わいですが広い園内は収容力完璧。

【大池を眺めながら昼食】

木陰での昼食のあとはネモフィラ園を観賞。写真を撮ったり撮られたりと楽しいひと時を過ごしました。
続いて咲き始めたバラ園やシャクヤク園を観賞。美しい花々を眺めたり、珍しい花の名を覚えたりするみなさんの笑顔は最高でした。

【ネモフィラ園での記念写真】

そして万葉のみちやメタセコイヤの林を涼みながら抜けるとオオデマリやコデマリがお出迎え。心が和むひと時です。
     

大池沿いのスイレンを眺めたのを機に誰彼となくお茶会の声が。やっぱりさるくのメンバーは花より団子ですかね(笑)

 

…ということで植物園近くのファミレスへ一直線。なんとか17名の大所帯も受け入れてくれ、スイーツとお酒に分かれてのお茶会。咲き誇る花々の余韻をお供におしゃべりは
弾みます。
バス待ちの長蛇の列に圧倒され急遽変更した長居植物園さるく。今回も心に残る一日となりました。

【咲き誇る花々】

 

2024年3月31日(日)関西さるく会特別行事「篠山城で花見」を実施しました

令和6年3月31日、特別行事報告
篠山城跡で花見(参加者7名)
例年にない桜の開花が遅い中、篠山城跡の桜はチラホラ咲きもまだ見えぬ、蕾の赤みが際立つ頃合いでした。
残念と思いきや、そこは名門、東校同窓会のメンバー花より団子です。
家康の天下普請のもと、外様の西国大名を使い、穴太衆の石垣を見ながらの花見酒。
桜吹雪の中、酒坏に浮かぶ花びらに、御年75年の夢を見るとはいきませんが青春時代がよみがえります。
[君たちがいて、僕がいた]花の東高です。でも実は暗い東高でした。
ありがとう!何か知らんけどありがとうです。
ほろ酔いながらの大久保会長の熱弁がひかりました。
熱い想いの花見でした。

さるいたコースは
日本最古の木造裁判所法廷が残る篠山市立美術館、
江戸時代の源氏物語の色鮮やかな絵巻もすばらしい
地酒、鳳鳴のほろ酔い酒蔵巡り
篠山城跡の天守からの眺め
妻入り商家群の町並み
1609年築城の篠山城、今に至る413年の時を経て、我が東高のメンバーと歩き、吹く風と桜の蕾に思いを残し車中の人となりました。楽しくて面白い、東高のさるく会でした。
19回生 梅木
(写真の説明)
写真1,2:篠山市立歴史美術館にて
写真3〜5:酒蔵の鳳鳴にて
写真6〜9:篠山城跡にて
写真10:妻入り商家群にて

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

2024年3月24日(日)第73回関西さるく会「兵庫 龍野さるく」を実施しました。

龍野さるく行状記
桜の蕾もまだ固い3月24日、雨模様の中8名の参加を得て、兵庫龍野さるくを実施しました。白壁の古風な雰囲気を漂わせる町をぜひ訪れたいと熱心な龍野ファンの方もおられました。本龍野駅に集合のあと、兵庫県下では大きさ上位にランクされる清澄揖保川を渡ります。ここに架かる橋(龍野橋)のたもとは、映画寅さんシリーズの第17作目(1976年)「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」のロケ地の一つにもなっています。
 最初の目的地龍野城址を目指します。城下は折しも龍野ひなまつりの最終日に当たり、今日まで町家や店舗などで、古くからのものや大小様々なひな人形が美しく飾られていました。60か所の会場があるようです。そのうちの一つの会場となっていたお店に入りました。立派な雛飾りを見た後、これも名物となっている醤油まんじゅうを買い、昼食時に皆さんと食べることにしました。童謡赤とんぼの作詞者三木露風の生家を抜け、龍野城址の一つ埋門(うずみもん)から中に入りました。城は戦国時代に龍野のシンボル鶏籠山(けいろうざん)の頂に築かれたものが、江戸時代に平城としてほぼ現在の位置に移されました。城を背景に桜の景色を想定していましたが、固い蕾は我々の思いを受け入れてくれませんでした。
 次の霞城館(かじょうかん)には龍野が生んだ三木露風や哲学者三木清他の文化人の遺した資料や文献、晩年を送った館などが展示されていました。白壁の土蔵や塀に囲まれた道を上って、次の聚遠亭(しゅうえんてい)野見宿禰(のみのすくね)神社の麓まで急ぎます。聚遠亭にある茶室は、時の天皇から賜ったものを移築したものと伝えられ、御涼所を含め城主だった脇坂家ゆかりの建物です。前庭からの眺望絶佳は、この施設の名称の由来ともなっているようです。野見宿禰神社は日本書記にも出てくる、相撲の祖と言われた野見宿禰を祀った神社で、栃錦や若乃花など歴代の多くの横綱が訪れ石碑や玉垣も残っています。神社までは行かず、桜並木の小径を通って龍野公園へ。ここで昼食です。公園も、もう一週間あとであれば多くの桜の花が見られたことかと・・・。
 昼食後は、赤とんぼの歌詞の碑や作者三木露風の像に見入った後、武家屋敷資料館へ。天保年間に建てられた建物は近年になって修復され、城下町のまちおこしの一翼を担っています。
 うすくち醤油資料館では、昭和初期まで使用していた桶、樽などの道具や資料が展示されており、昔の醬油づくりに想いが行きます。昼食時に食べた大好評の醤油まんじゅうを、ここで購入することができ女性軍大満足でした。最後は大正時代に建てられた、レンガ造りの大正ロマン館へ。ここを後にJR本龍野駅から姫路へ向かい、お茶酒会のあと解散しました。
 白壁の古い建物が残った静寂で趣のある佇まい、豊かな詩情をたたえた龍野の地に、参加者大満足の様子でした。道中寅さんの撮影現場も併せて案内させていただきました。貴重な資料を提供していただいた25回生松崎さんにお礼申し上げます。
                             19回生 太田康美 記

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

(写真の説明)
写真1_揖保川
写真2_しょうゆ饅頭のお店
写真3_龍野城址
写真4_街歩き1
写真5_聚遠亭
写真6_龍野公園にて昼食
写真7_赤とんぼの歌碑
写真8_うすくち醤油資料館にて
写真9_街歩き2
写真10_大正ロマン館

2024年2月25日(日)第72回関西さるく会「京都 壬生さるく」を実施しました

2024年2月25日(日) 第72回関西さるく会「京都 壬生さるく」
小雨降る中、JR京都駅に集合した計11名にて、3か所の屯所跡など壬生周辺の新選組ゆかりの地をさるきました。
 まずは3番目の屯所跡、堀川塩小路の不動堂村屯所跡を探したところ、リーガロイヤルホテル前だけでなく、塩小路沿い約200mの範囲に複数の屯所跡表示を発見。
屯所の広大さを感じました。
油小路を北に上がると、伊東甲子太郎が暗殺された油小路事件の碑、そして海援隊士・陸援隊士が紀州藩の三浦休太郎らを襲撃した天満屋事件の碑
血生臭い幕末を想いました。
 次は2番目の屯所跡の西本願寺太鼓楼。新選組の大砲訓練の音にお寺は迷惑したそうです。
それで、お寺が次の屯所の建築費用を負担して新選組に出て行ってもらったのかと納得。
西へ進むと日本最古の花街の島原
島原大門をくぐって、現役置屋の輪違屋、芹沢鴨が乱暴狼藉を働いた角屋など、昔ながらの建物が残る通りをさるきました。
 北上し、光徳公園で昼食をとったあとは壬生寺へ。
壬生塚の近藤勇像、歴史資料室での新選組関連展示を拝見し、新選組がこの地に実際にいたことを史実として感じました。
 さらに北上して最初の屯所跡の八木邸、旧前川邸へ。
八木邸は希望者の方のみに有料拝観して頂きました。
芹沢鴨暗殺現場の刀傷を見て、ガイドもとても分かりやすく、新選組の理解が深まったとのこと。
屯所餅と抹茶もついてて、とてもよかったと絶賛でした。
次回立ち寄った際は私も拝観しようと思いました。
 最後に伊藤甲子太郎らが埋葬された光縁寺に立ち寄って、四条大宮にて今回のさるくを終了しました。
 結局ずっと傘をさしっぱなしで生憎の天気でした。
でも、ご参加の皆さまには「新選組の歴史や行動範囲がよくわかり、歴史好きとしてはうれしかった」「約6年間の新選組の活動がわかった」とご満足のご様子で、案内役としては胸をなでおろしました。
幾層もの歴史が積み重なる、魅力的な京の都。
今回は幕末の新選組を感じた一日でした。
ではまた、どこかの時代の京をさるきましょう。。。お楽しみに!

(次回行事お知らせ)
・定例行事3月24日(日)「兵庫 たつのさるく」
・特別行事3月31日(日)「兵庫 篠山城跡で桜花見」
後日、ご担当の方からご案内頂く予定です。
どうぞお気軽にご参加下さい。
大久保(37回生)記

写真1:不動堂(3番目の屯所跡)
写真2:油小路事件の碑
写真3:天満屋事件の碑
写真4:西本願寺太鼓楼(2番目の屯所跡)
写真5:島原大門
写真6:島原の角屋
写真7:光徳公園で昼食
写真8:壬生寺
写真9:壬生塚
写真10:旧前川邸(最初の屯所跡)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA