2025年6月22日(日)第88回関西さるく会「大阪 黒門市場さるく」紀行文

今回は、梅雨を考慮してアーケード街を歩く「黒門市場さるく」の企画でした。
昼食を予約する必要から定員30名としましたが、すぐに打ち止めとなり最近では久しぶりの盛会となりました。最終的には、2名の方が用事で辞退して28名となりました。
初参加の方も4名来られました。久しぶりに2班に分けてさるくことにしました。

この企画・立案はF先輩でしたが、都合により参加できず、急遽、私が運営の代役を務めさせてもらいました。

まずは、黒門市場。「ナニワの台所」とよばれ、総延長580mのアーケード街です。プロの料理人が仕入に来ると云われてましたが、いまや、インバウンド客相手の店となっており、店の中にはイートインスペースまであります。昔、電気街に行くつもりが市場に迷い込んだ経験があり、その頃との様変わりにびっくりしたところです。インバウンドの観光客とぶつかり乍ら、黒門市場を抜け、道具屋筋商店街を目指しました。

【黒門市場】

10分ほどで道具屋筋商店街に到着です。この間は炎天下の歩きでした。大変暑かったとおもいます。
商店街のアーケードは道幅が狭く、飲食店が少ないせいか店の冷房がアーケードまで流れていて、涼しさを感じられました。道の両サイドには、刃物屋、食器類、調理台等を扱う店が並んでいました。キョロキョロしながら歩きますと、吉本新喜劇の「なんば花月」に着きます。
その前が次の目的地の上方演芸資料館(ワッハ上方)です。

【道具屋筋商店街】

上方演芸資料館に入る前で、人数確認です。隊列が長くなった「さるく隊」が集合するのを待って、ビルの7階に上がります。
上方演芸資料館は、落語、講談、浪曲、漫才等の上方演芸の資料を展示している大阪府立の施設で、上方演芸の歴史を知ることができます。この中は冷房も効いており、人心地したのではないでしょうか。

【ワッハ上方①】

【ワッハ上方②】

千日前商店街のアーケードを通って、法善寺横丁を目指しました。
法善寺はミナミで一番有名なところで、参詣者が絶えず訪れています。法善寺の境内に2本の石畳の横丁があり、西と東の入り口には藤山寛美と3代目桂春団治が揮毫した看板が掲げられています。水掛不動への願かけをして、予約しておいた昼食場所に向かいました。

【水掛不動】

【法善寺

大阪松竹座の地下2Fにあるたちばなで頼んでおいた定食とビールを頂きました。この「たちばな」にはビール醸造所があり、作り立てのビールを味わうことができます。ほとんどの方は3種類のビールを味わうことができる「飲みくらべセット」を味わいました。

【たちばな①】

【たちばな②】

【たちばな③】

お腹も、のども潤ったところで、最後の目的地であるなんばパークスに向かいました。
なんばパークスは南海ホークスのホームグランドだった大阪球場の跡地にできた商業施設です。この2Fには、ピッチャーマウンドとホームベースの跡がありました。そこで記念撮影を行い、今回のさるく会もこれで終了。

【なんばパークス】

お疲れ様でした!!!

反省会は、有志で「なんば南海通」の店に入り2時間ほど歓談しました。

(21回生 鳥山記)

2025年5月25日(日)第87回関西さるく会「兵庫 須磨さるく」紀行文

雨が予想されましたが、なんとか曇り空で当日を迎えることができました。
13名の方が山陽電鉄「月見山」駅に集合。本コースは丁度8年前のさるく会で実施されたものとほぼ同じ企画のものとなりました。
本日の行動説明の後、最初の目的地須磨離宮公園を目指します。離宮公園は、もと「武庫離宮」といわれ天皇の別邸であったのを、戦災復興の折、神戸市に下賜され、そののち市が欧風噴水公園として整備したものです。この時期「春のバラ鑑賞会」を実施中で園内は、300種、4000株のバラが咲き誇っているとか。
公園入口から離宮建設当時より残っている馬車道を上ってバラ園へ。いきなり甘酸っぱい感じの香りが漂ってきました。日本の皇室や王侯貴族、芸術家などの名を冠した品種のバラや中国、ヨーロッパ、北米など原産地のバラを各々で巡り、その花々の鮮やかさ、素晴らしさに目を見張りました。

【須磨離宮公園①】

【須磨離宮公園②】

昼になると園内にある古今和歌集や百人一首に登場する平安時代の歌人、役人でもあった在原行平(業平の兄)ゆかりの月見台から、遠く月ならぬ大阪、和歌山方面の海と山並みを眺めながら昼食をとりました。月見台は須磨に流された行平が遠く都を思い、つれづれ月を眺めたというところです。

【昼食風景】

午後からは、二番目の目的地須磨寺を目指します。道中須磨寺公園のハスの華、大きくて緋の色も鮮やかな錦鯉が目に留まりました。
須磨寺は1200年の歴史をもち、800年前の源平一の谷の合戦ゆかりの古刹でもあります。室町期の宮殿や平敦盛塚、敦盛遺愛の青葉の笛、弁慶の鐘、義経腰掛の松などあり、合戦の浪漫を偲んで芭蕉や蕪村などの文人墨客らも訪れています。
平敦盛・熊谷直実の一騎打ちの場面を再現した庭の前で、寺が発行する平家物語「敦盛最後」の要約書を各自読んで当時を偲んでいただきました。また境内の重宝や史跡を各自で巡っていただきました。

【須磨寺①】

【須磨寺②】

本日最後の目的地は現光寺(源氏寺)です。源氏物語の光源氏も須磨に退去しますが、モデルとされる行平は須磨に流され、当時この場所に住んだと言われたことから、光源氏が過ごしたわび住まいの舞台として、光源氏ゆかりの寺と言い伝えられています。物語の世界を求めて訪れた芭蕉や子規などの句碑もありました。しばし古の世界に足を踏み入れることができました。

【現光寺①】

【現光寺②】

集合場所の山陽電鉄月見山駅から一つ西の須磨寺駅で解散し、反省会を心待ちにしていた皆さんは、神戸三宮へと向かい、アルコールとともに本日の無事を感謝しました。

【三ノ宮で反省会】

(19回生 太田 記)

2025年4月27日(日)第86回関西さるく会「奈良 長谷寺さるく」紀行文

大和國長谷寺をさるきました。全国に85カ寺ある長谷寺の総本山です。
奈良県在住者は4名で、他の11名の方々は初参加のHさん含めて2時間、またそれ以上の時間をかけて来ていただき感謝です。
15名でスタートしました。麗らかな1日。天気にも恵まれて最高でした。

←長谷寺駅

まずは総門の「仁王門」をくぐり、「登廊」平安時代に造られ本堂まで、400段あります。風雅な長谷型灯籠を吊るしてます。両サイドは、春牡丹、ショクナゲが咲き誇ってました。私を含めバテバテでした。

←門前町

←仁王門

←登廊①

←登廊②

「本堂」国宝です。徳川家光により造営された大殿堂。10mを超す十一面観世音菩薩には圧倒されました。長谷の舞台からみる新緑の山々、及び五重塔は感動でした。

←本堂

←長谷の舞台

それから疲れを癒してしばしランチタイム。Mさんの差し入れがありがたかったですね。

後半「五重塔」昭和29年、戦後日本に初めて建てられた昭和の名塔です。
「本坊」事相、教相の根本道場である大講堂、書院などがあります。この辺りは、春牡丹、シャクナゲ、御衣黄桜、大手毬、それと初めてみた紅花常磐万作などが、咲き乱れてました。

←五重塔
「門前町」長谷寺駅までの帰路にありますが、朝方、ターゲットを絞っていらっしゃた女性の方々が観光客と共に草もち屋に一目散でした。

←本坊前

その後、八木にて90分、ワイワイガヤガヤ反省会を実施しました。

皆さん遠路はるばるありがとうございました。

長岳(25回生)記

2025年4月6日(日)関西さるく会特別行事「背割堤お花見さるく」紀行文

U先輩が急遽ご欠席となったため、運営は私が臨時代行。U先輩からはLINEで情報提供頂き、さらにU先輩ご友人を介して、U先輩ご準備の資料を駅で受け渡し頂く。U先輩、ご友人の方、ご準備、ご協力いただき有難うございました。
さて、雨上がりの朝10時、京阪電車「石清水八幡宮駅」に集まった参加者は8名。花見時期にしては観光客も少ないので、天気の影響と理解。コース取りは、先に男山に登るか、背割堤に行くか、2つの選択肢。どちらから行くか。午後に晴れ間が出る予報、U先輩情報、そして参加者希望等を考慮し、まずは男山に登ることに。ケーブルカーで楽に。まだ混んでなくて、座れて、たった3分で山上駅に到着。
そこから少し歩いて男山展望台へ。京都市街方面を見渡す眺めは絶景。北側にはこれから行く背割堤の桜も見降ろせました。

【ケーブルカー】

【男山展望台から京都市街遠望】

【男山展望台から望む背割堤】

次は石清水八幡宮へ。社殿にお参り後に集合写真。それから、楠木正成の楠、信長堀などを巡りました。若宮殿社は、陽光を浴びて、雨上がりの檜皮葺屋根から蒸気を上げていました。再び社殿の前に戻ったところで、社殿と参道が少しずれた位置関係にあると気付きました。石清水八幡宮の七不思議の一つだったようです。

【石清水八幡宮①】

【石清水八幡宮②】

石清水八幡宮をあとにして、ケーブル駅に戻ろうとしたところで、元気な声に遭遇。あ、走井餅の出店です。前回たべて美味しかったという方、ケーブル車内の広告を見たときから気になっていたという方もいて、結局、ほぼ全員がお土産に購入。帰宅後に食しましたが(一部の方は昼食時には食してましたが)、柔らかくて甘くて、とても美味でした。きっと次回も購入すると思います。
そうして、ケーブルで下山。駅前を過ぎて、左折し、木津川を渡って、12時過ぎに背割堤へ到着。この頃には天気は回復し、多くの花見客で賑わっていました。さて、どこで昼食にするか。土手の南側に下りてみましたが、出店が延々と続き、近場に十分なスペースは無さそうでした。引き返して、土手の北側斜面に場所を見つけて、腰を下ろしました。サクラと宇治川を眺めながらの楽しい昼食となりました。

【背割堤で昼食】

そう、ここは木津川、宇治川、桂川の三川が合流する地。お陰でソメイヨシノは太くて立派です。昼食の後は、堤の上に登り、1.4㎞続く立派なサクラのトンネルを満喫。素晴らしい空間です。トンネルを抜けたら、堤の先端を降りて、南側の道を引き返しました。出店の前を抜けて、橋の下をくぐり、行きとは反対側の道を歩いて橋を渡り、駅に到着して解散。お疲れ様でした。

【背割堤①】

【背割堤②】

U先輩、今回のさるくを計画いただき有難うございました。思いっきり春を堪能できました。来年のお花見はどこですか?素敵な企画を楽しみにしております。
大久保(37回生)記

2025年3月23日(日)第85回関西さるく会「京都 大原さるく」紀行文

京都市営地下鉄国際会館駅に15名が集まりました。天気は晴れ、最高気温24度の予報の中、京都市北東部にあたる大原地域をさるきました。
まずは、国際会館駅からバスに乗り大原に向かいました。バスは満席、桜咲く翌週だったら乗れなかったかもしれません。大原バスターミナルで下車、ここから最初の目的地「三千院」「宝泉院」を目指します。土産物屋を左手に見ながら、急な坂を約20分上り目的地に到着。
三千院」は最澄上人が比叡山延暦寺建立の際、草庵を結ばれたのに始まり、代々皇族が住職を勤めた宮門跡となっています。お堂に納められている「阿弥陀三尊像」は国宝、「有清園」は回遊式庭園で光が差し込む杉木立の中、一面の苔は見応えがありました。残念ながら、歌にある恋に疲れた女性は発見できず、次に移動しました。
宝泉院」は法要儀式に使用されるお経に節がついた、声明(しょうみょう)由来の寺院です。玄関を上がったところにある石盤は、声明の音程を確かめるための石の楽器で、叩くと澄んだ美しい音色がしました。柱を額縁に見立てる「額縁庭園」の樹齢七百年の五葉松は圧巻でした。抹茶と和菓子をいただきながら見ていると、19回生Fさんが「私、昔きたことを思い出したわ!」その時は、樹齢六百五十年だったようです。他に、伏見城で亡くなった徳川武将たち供養のための血天井、水琴窟などいろいろ楽しめました。

【01_三千院①】

【02_三千院②】

【03_三千院付近】
1時間はあっという間に過ぎ、来た道を戻ります。下り坂なのでスイスイと児童公園まで移動。昼食としました。

【04_公園で昼食】

公園から15分程で「寂光院」に到着。門前のしば漬け屋さんでちょっと試食してから拝観開始。「寂光院」は、聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられています。代々高貴な家門姫君らが住持を勤めてきた尼寺で、有名なのは第三代の建礼門院です。建礼門院は壇の浦で滅亡した平家一門と、わが子安徳天皇の菩提を弔い、終生この地で過ごしました。今回はお寺のスタッフがより詳しく説明してくれました。帰りはしば漬け屋のおばあちゃんに「さっき試食した人たちやねぇ~」と声をかけられ、何人か買い物をしました。さすが大原女です。戻る途中で、遠景ながら大原女衣装を着た若い?女性を発見したひともいました。私はまったく気付きませんでした、残念。

【05_寂光院付近】

【06_寂光院①】

【07_寂光院②】
天気もよく順調な行程で帰りは少し早いバスに乗ることができました。出町柳で京阪電車に乗り換え、清水五条で下車、反省会の会場へ足取り軽く向かいます。
反省会は前回大好評の33回生Tさんのお店です。おでん、おつまみ、アルコールだけでなく城南宮名物のおせきもち・おはぎも用意していただき、甘党も辛党も大感激です。

【08_反省会】
今回も無事に楽しくさるくことができました。
参加者の皆さん、33回生Tさん有り難うございました。

田部(23回生)記

2025年2月23日(日)第84回関西さるく会「京都 大徳寺さるく」紀行文

最高気温8℃の寒い中、防寒対策の上、地下鉄北大路駅に計15名集合。
まずは北大路通を西進し大徳寺へ。朱塗りの美しい山門の前で記念撮影。利休と秀吉の確執に想いを馳せました。大徳寺には20以上の塔頭がありますが、今回は大仙院を有料拝観。沢庵和尚の居室では禅の教えの書、庭園では枯山水が変化していく様子について、お寺の方に丁寧に解説していただきました。私含めて5名が「気は長く、心はまるく・・・」の書が付された沢庵漬を購入。美味でした。
【大徳寺山門】
【大徳寺境内】
次は船岡山へ移動。日向のベンチを選んでお弁当。先月ご欠席のKさんに完歩賞の表彰。喜んでいただきました。
【船岡山で昼食】
【完歩賞表彰】
昼食後は山頂へ。清少納言が「岡は船岡」と書いた船岡山からは、素晴らしい展望が楽しめました。古の平安京は、船岡山を北の起点として、南へ大内裏、朱雀大路、その両側に東寺と西寺があったとのこと。ビルの立ち並ぶ中、東寺を探して、古の景色を想像しました。
【船岡山山頂】
山頂から少し下って建勲神社へ。織田信長を主祭神とする社殿は立派な造り。左京~比叡山方面の展望が絶景でした。
【建勲神社】
【建勲神社から東】
船岡山を下りたら街中を南へ東へ進み、小川通へ。ちょっとお邪魔いたしますと、茶道家元界隈の落ち着いた街並みを鑑賞させていただきました。少し南の白峯神宮では蹴鞠の練習に遭遇。意外と難しそうでした。
【小川通】
地下鉄今出川駅で行程終了。しかし、例によって、全員が反省会にご参加。河原町五条付近へ移動し、33回生Tさんのお店で、おでん、五島うどん、おつまみ、アルコール、そして長崎談義で大いに盛り上がりました。Tさん有難うございました。
【反省会①】
【反省会②】
大久保(37回生)記

2025年1月26日(日)第83回関西さるく会「兵庫 西宮神社初詣さるく」紀行文

この季節らしい寒さながらも好天に恵まれ、14名が阪神西宮駅に集合。福の神として崇敬されているえびす様をお祭りする神社の総本社である西宮神社を皮切りにさるきました。

西宮神社は十日えびすの1月10日早暁に行われる神事、走り参りでも有名です。走り参りのスタート地点である表大門(赤門)からそのルートに沿ってゴールの本殿まで歩き、少し遅い初詣の参拝をしました。参拝後は資料展示室をのぞき、飾られた多くの著名人の奉納絵馬などを見学しました。

【西宮神社】

西宮神社のあとは清酒白鹿の辰馬酒造が運営する「酒ミュージアム」(白鹿記念酒造博物館)を見学。記念館と酒造館に分かれており、記念館は日本唯一の酒と桜の博物館と銘打っていて、日本酒に関する資料や美術品、桜の保護・育成に尽力した笹部新太郎が収集した桜にまつわる美術工芸品や資料などの展示の他、季節の特別展として辰馬家所有の多数の節句人形がかざられていました。
中でも我々の目を引いたのは一枚の古い木製の看板でした。「白鹿」と大書された両脇に「辰馬総本家」の文字と「長崎市銀屋町高田文次郎」の文字が。これは辰馬酒造が高田文次郎氏に白鹿のPRの為に寄贈し、その後高田氏から辰馬酒造に返却されたものだそうで、高田屋という酒屋が銀屋町にあったらしいことも後日判明しました。期せずして辰馬酒造と故郷の縁を感じた一件でした。
酒造館はかつて明治2年に建造された辰馬酒造の旧酒蔵を使い、伝統的な日本酒の製造工程を紹介するもので、これまで訪れた神戸の酒蔵と同様なものでした。
酒造館の後は隣接する白鹿のショップ「白鹿クラシックス」を訪れ、めいめいが買い物をしたり試飲を楽しんでいました。

【酒ミュージアム酒造館】

この時点で12時を過ぎ、すぐ近くの公園で昼食。日向にあるベンチを探したら一本の木を囲んで円形に木製の座席を並べたのが見つかり、なんと席の数は出席者と同じ14個。皆奇遇に喜んで、少し窮屈だったが内向きに車座状態で座り、和気あいあいの昼食でした。
食事が終わった後は、昨年度のさるく会に10回以上参加した人への完歩賞授与。19回生のFさん、同じく19回生のF君、37回生のO君の3名が表彰されました。

【公園で昼食】

昼食後は一路甲子園歴史館へ。3km弱の長い距離でしたが、各自お喋りをしながらで、疲れを感じさせない行進になりました。先ず甲子園球場に到着。ネット裏側入り口で記念撮影し、歴史館へ。館内では阪神タイガースの足跡、記念される試合の映像、過去からの活躍選手のバットやブローブなどが展示され、渡り廊下でつながった球場内の施設では高校野球に関するタイガースと同様な展示がなされており、なかなか見ごたえのある歴史館でした。見学ルートの最後にはスコアボード側から球場全体を見渡せる場所があり、改めて球場の大きさを実感できました。

【甲子園歴史館】

甲子園歴史館を出たところで解散。今回はお茶会なしで、皆思い思いに帰途につきました。

19回生 村井記

2025年1月3日(金)特別行事「東大阪 花園ラグビー観戦さるく」紀行文

正月の暖かな日差しの下、私を含めて4人のラグビー🏉好きが聖地花園に集結いたしました。

試合は10時半キックオフですが、場所取りの為に9時に集結して、生駒山を背にして、バックスタンドの中央の中段あたりの絶好の場所に腰を据えました。


九州勢2校が惜敗したのは、残念でしたが、4試合共に、血湧き肉躍る熱戦で、時の経つのも忘れてしまいました。
大阪3校が登場するので、11時くらいから、2万7千人収容のスタジアムはほぼ満席状態でした。
結果、東海大大阪仰星、常翔学園、桐蔭学園、國學院栃木の東西の強豪校が準決勝に勝ち上がりました。
私の見立てでは、Aシードの桐蔭学園が優勝🏆に一番近いかなあ🤓

4人とも熱戦に酔いしれ、場所を変え河内布施の居酒屋で新年会を開催しまして更に酔いました。

今年もさるく会を楽しみたいと思います。よろしくお願いします🙇
25回生 長岳宏樹

2024年12月15日(日)第82回関西さるく会「滋賀 近江八幡さるく」紀行文

この冬一番という寒い中、6名がお菓子をテーマに近江八幡をさるきました。 

近江八幡駅を出発し、先ずは近江商人の信仰を集めたという日牟禮八幡宮へ。鬱蒼とした森に佇むお社は荘厳そのものでした。 

【日牟禮八幡宮】

続いて近江の漬物屋さんで試食をしたり、たねやで「つぶれ餅」を味わったり、クラブハリエで何も買わずに見学したりと楽しいひと時。そしてたまたま覗いた旧宅(西川甚五郎本店史料館)は「布団の西川」の本宅跡。まさに近江商人からのプレゼントでした。 

【たねや】

【クラブハリエ】

【近江商人西川甚五郎邸】

ひと段落しての昼食は温かいところで、と弁当をやめて近江牛のお食事処で。でも食べたのはなべ焼きうどんと味噌煮込みでした(笑) 

【アツアツの味噌煮込みうどん】

昼食後は八幡堀を見学してラコリーナへ。

ここはたねやとクラブハリエのフラッグシップ店。レトロな二階建てバスの売り場やバウムクーヘン作りの現場など見どころいっぱいです。特に焼きたてのバウムクーヘンを食べながらのお茶会は、至高のひと時でした。 

【八幡堀】

【草ぶきの建物ラコリーナ】

【レトロな二階建てのバス】

【メルヘンなオブジェ】

【バウムクーヘン作り】

【スイーツのお茶会】

【焼きたてのバウムクーヘン】

最後はお土産を買ってスイーツさるくも無時終了。バスで近江八幡駅へ移動し解散。 

今年最後のさるく会も心に残る思い出となりました。

19回生福地定義 

2024年11月24日(日)第81回関西さるく会「京都 山科毘沙門堂さるく」紀行文

曇天のJR山科駅に17 名集合。

まずは紅葉の名所の毘沙門堂へ。秋の冷え込みが遅れたため敷紅葉はまだまだ先。赤くなりかけで控えめの紅葉。大した混雑なく、勅使坂で集合写真まで撮れたのはラッキーでした。

本殿外装の朱色、弁才天の紅葉、そして緑葉とが織りなす色合いは優美でした。内部の有料拝観では、霊殿天井の八方睨みの龍、宸殿の襖絵を鑑賞。半信半疑でしたが、襖絵が動いてみえたときは、ちょっと感動。百聞は一見に如かずでした。

【毘沙門堂(勅使坂)】

【毘沙門堂(薬医門)】

【毘沙門堂(境内)】

【毘沙門堂(本殿~弁才天)】

毘沙門堂の拝観を終える頃からは小雨が降ってきました。

お腹も空いてきました。さて、どこで昼食にしましょうか。土地勘のあるFさんの情報に基づき、コースを変えて、山科疎水をちょっと東に進むこととしました。結果、トイレもある疎水公園に到着。幸運にも雨も止んで、ゆっくりとお弁当をとることができました。

昼食後は東海道線を行き交う電車や市街地の展望も楽しめました。Fさん、有難うございました。

【疎水公園】

【疎水公園より市街地展望】

腹ごしらえができたので、山科疎水を西へ。

思い出したようにまた雨がふってきました。傘をさしながらになりましたが、うねうねと疎水沿いを歩く快適な散策です。水辺のサギの縄張りだとか、疎水の流れは意外と早いけど疎水船は逆行できるのかなど、疎水談義も楽しみながらの散策でした。

【山科疎水(諸羽トンネル)】

【山科疎水】

そうやって疎水を進み、トイレのある分岐に到着。当初は直進して本圀寺まで往復する計画でしたが、ちょっと時間も押していたので割愛して、左折。階段を下り、細い道を進んで参道に合流。まっすぐ進んで天智天皇陵に至りました。中大兄皇子。大化の改新。歴史の授業で習ったことを肌で感じることができて、関西はいいところだね、との声も。

【天智天皇陵】

【天智天皇陵(参道)】

参拝後、参道を南下すると車道にでました。ここを右に約600m進むと解散場所の御陵駅があります。

でも、参考情報ですが、左に約700m進むと「和食さと」があります。どっちに行きましょうか?予想どおり(?)に皆さん、左を選択。「和食さと」で本日の疲れをいやしました。アルコール、スイーツ、あるいは両方を楽しみました。

そしてJR山科駅まで歩いて、各自、家路に。皆さん、お疲れ様でした。

大久保(37回生)記