No45 藤重 茂 27回生 「昭和40年代の思い出」

このエントリーをはてなブックマークに追加

 私は長崎市内で生まれ育ちました。

   磨屋小学校時代は風頭山と中島川にはさまれたエリアが主な活動の場で、当時の県立図書館あたりが最も遠くの行動範囲だったように思います。当時住んでいた家は万屋町にあり、周りはなかなかの賑やかさで、今思えばかなりファンキーな環境で多感な時代を過ごしたものだと思います。
夏休みには鼠島の水泳道場に今村写真館の今村君と一緒に通っていました。もちろん毎日のように徒歩で大波止まで行き第〇鶴丸という渡船に乗ったものです。
また浜町の商店街にもたくさんの同級生がいて、いつもアーケードで遊んでいたのが懐かしい思い出です。アーケードにあった「二枝鼈甲店」の二枝君や、同じく商店街にあった洋菓子の「ルミエル松月」の松永くん、思案橋にあった江戸時代から続く「平石時計店」の平石君、今も観光通りで商売されている、蕎麦屋「明月庵」の矢野君など、懐かしい顔を思い出します。そうそう、榎津町のマンションにプロレスラーになった「大仁田風呂敷」の大仁田厚君が住んでいて、彼とも親しく遊んだものです。
 中学は桜馬場中学に1年かよって、実家が丸山に引っ越したのに伴い、大浦中学に転校しました。丸山の家は花月の裏側の昔は置屋だったと思われる古いしもた屋で、検番の手前の路地の坂を上った、梅園天満宮のそばにありました。今は思い出すすべもありませんが、1970年ごろには丸山公園から花月の前を通る広い通りの両側には遊郭だった大きな木造3階建ての建物がいくつか残っており、不思議な光景でした。丸山遊郭の中心部だったんですね。

子供の頃は古き良き戦前の雰囲気を残した町々も今はすっかり変わってしまいましたが、当時に思いを馳せながらこれからさらに変わりゆく長崎に大いなるワクワク感と若干の寂寥感を感じながら、見守っていきたいと思います。

次は同期の野崎義規君にタスキを繋ぎます。よろしくお願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です