No53 楠本茂 19回生 「東京2020雑感(選手に感謝)」

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昭和46年に三菱重工神戸に入社、以来原子力の設計、保全と幅広く手掛け、いろんな人と会話し、アフター5の乾杯ができたことが私の財産です。

コロナ渦で、オリンピック開催の賛否が問われる中、東京2020は始まりました。1964年の東京オリンピック(57年前)は、国民挙っての祝福ムードの中で行われ、聖火リレーでも、東高の吉村先輩(中距離陸上のホープ)が華麗なフォームで蛍茶屋の坂を駆け抜ける姿に、皆で声援を贈ったことが思い出されます。

あの頃のオリンピック開会式の主役は選手の行進と聖火の点火と観客の歓喜で、NHKのアナウンサーがその様を熱弁していたことが思い出されます。

東京2020の開会式については、「ドロン」や「ピクトグラム」等新しい試みも見られましたが、テーマにインパクトが感じられなかった等の意見も聞かれました。

でも、いざ競技が始まると選手の力なのでしょうか、いろんなドラマが展開され、思わず引き釣りこまれます。

三宅宏美選手(35)は、最初の試技でこそバーベルが挙がりましたが、その後の試技では挙がることなく試技を終え、少し笑みがこぼれたようにも見えました。あの笑みは何だったのでしょうか?重量挙げは、単純なだけに厳しい競技です。挙がらないと感じた時の選手の気持ちを思うとハラハラドキドキです。五度目のオリンピックに挑戦してきた父娘の今までの思いがよぎったのでしょうか?

体操の内村航平選手(32)もまさかの鉄棒からの落下、彼自身信じられなかったことでしょう。でも体調は年と共に微妙に変化します。1年前の開催であれば、恐らく彼は金メダルを当たり前に勝ち取ることができたと思います。慰めは橋本選手(19)が体操男子で金メダルを取り後継者として育っていたことです。

柔道では阿部一二三、詩兄妹が金メダルを取ってくれました。実家は兵庫区の和田崎町笠松商店街の喫茶「レオーネ」で、入り口の傍の窓の壁の下に兄妹の幼少期の手形(お宝)が今でも残っています。彼らが通っていたお好み焼き屋さん「よりみち(小さなお店)」では、現在、「祝兄妹金メダル、ビール、酎ハイ123円(お一人様2杯まで)」の看板が出ています。聞くところによると兄の一二三は緻密な努力家で、妹の詩は天才肌と聞きましたが、詩は数年前の代表選抜の試合に敗れた時、悔しさのあまり号泣し、「プレッシャーに負けるようでは、まだまだできていない、強くなりたい」とコメントしていました。彼らの試合態度やコメントにおける相手選手への尊敬や育ててくれた人への感謝等において彼らの真っすぐな心を見ることができ、日本の若者も凄いなと感心します。

スケートボードの西矢椛選手(13)も我々はとても真似ができない新しい感性の若者です。

昨夜フェンシング男子団体エペ「金メダル」の驚きのニュースがありました。

これまでのところ日本選手の活躍は素晴らしく7月30日の時点で金17、銀4、銅7個です。筋書きのないドラマはまだまだ続きます。我々が感動するのは、この舞台に立つまでに、選手(アスリート)が想像を絶する努力を積み重ねてきたことを理解するからだと思います。

「緊急事態宣言」,「まん延防止」の延長が決定されました。Withコロナの時代をどうしのぐかが当面の課題です。オリパラが無事に終わり、ワクチンの効果でコロナが収束に向かい、さるく会等の反省会で再び皆で談笑、乾杯できる日が来ることを祈り、次の方にタスキをつなぎたいと思います。

次は長崎東高同窓会の会長で、19回生のホープ波多野徹さんにお願いしたいと思います。波多野さん宜しくお願いします。

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