No24 佐藤泰進 24回生 「最近思うとりとめのない事…。」

目立たないバスケットボール部員でした。大阪在住48年、今更に時の速さを感じております。
6年前、一念発起、これまで勤めた会社を退社独立しました。住まいも高槻市から福島区に転居、ようやく納税出来るようになりました。まぁまぁかなと思っています。これまで家族・会社の為、滅私奉公でした。これからは自分の為に生きたらどうか?と考えました。ご意見多々お有りと思いますが…。温室育ち?の性格。61歳、おっとり刀で独立…。失敗したら一巻の終わりでした。息子二人には、早い機会に自立するように言い聞かせておりますが馬耳東風。世の中大変な時代に私達は生きています。普通に生きていたら世の中が大変になった。尖閣・香港・コロナ・台湾・ウィグル・チベットetc.

コロナウイルス感染抑制効果がある5-ALAを発見した長崎大学の研究チームは郷土の誇りです。マスターズに優勝した松山英樹にも日本人として感謝です。とりとめのない話ばかりでしたが、どうかご一笑下さい。元気に乗り切りましょう!

次はバスケットの後輩、多田哲也さん(25回生)にタスキを渡します。

No23 林田一徳 32回生 「第二の人生、第三の人生?」

山中、東高、長大を経て現在妻と大阪狭山市に在住。子供3人は既に独立し東京在住。会社では研究開発を担当。

手嶋さん、ご指名ありがとうございます。さて、コロナ禍で不要不急の外出が制限されているが、3月緊急事態宣言の解除を機に妻と帰省した。要介護1の両親と久々に会うことができたが、認知症の症状が出てきている現実を目の当たりにした。その際、ケアマネージャの推奨もあり急遽住宅型施設にお世話になることを親子で決めた。

今年私は、還暦を迎える。十干十二支が一巡した節目の年であり第二の人生を考えることになるが、恐らく両親にとっては第三の人生への門出となるだろう。直近ではリホームなど生活の見直しを考えていたが一旦見送り、まずは両親をしっかり見守って行きたい。
 次は第11回関西ナイスショット&ファーの会の優勝者佐藤さん(@24)に襷を繋ぎます。

No22 手嶋孝 23回生 「今はまっていること」

長崎市本河内出身。奈良県在住。趣味は山楽部。

定年退職後、京都府にある公益財団法人で仕事しています。この法人は地球環境とりわけ地球温暖化対策の技術開発を行う研究機関です。私が所属する部署では、温暖化ガスの一つである二酸化炭素を大量に吸収し、ある力を加えると吐き出す性質を持つ材料と排ガスから効率的に回収するシステムの開発に取り組んでいます。火力発電所などから排出されるガスから二酸化炭素を取り除くことができます。つまり地球環境の再生に貢献できるという訳です。勿論、回収した二酸化炭素を有効利用する技術も同時に必要です。私の役割は計測や装置運転のお手伝いです。若い研究者と一緒に仕事をすると新鮮で刺激があって面白い。また、通勤を含め一日約15000歩程歩いています。ボケ防止と体力維持に大いに役立っています。通勤とEXCELとの格闘はまだまだ続きそうです。

次はゴルフ同好会事務局の林田一徳さん(32回生)に襷をお渡しします。

No21 鳥山賢治 21回生 「同窓会と長崎」

 単身で高松の空港で働いています21回生の鳥山です。65歳のとき第二の就職も終り、ノンビリとした生活を過ごしていたら「空港民営化を手伝ってくれ」と誘いを受け、今に至っています。

 20歳の時に当時羽田にあった運輸省の大学校に入り、卒業後は長崎空港勤務も叶わないまま各地の空港(転勤12回)を点々として仕事をしてきた関係で、同窓会とは縁遠い生活をしていました。

 同窓会との係わりは、東京で勤務していた時に在京同窓会で総会の当番幹事の集まりが悪く、急遽21回生が手伝うこととなったのがはじまりでした。会場で飛び交う「長崎弁」に心躍りいつの間にか喋っている自分、同期と会話して高校時代にタイムスリップしている自分に気づき、「懐かしさ」が込み上げてきたことを覚えています。大阪に戻ってからは、長崎を求めて総会とさるく会に参加して、同窓生の輪を広げています。 ❤長崎は忘れられんばい!❤

 次は、会報誌「東高同窓会だより」の編集長として頑張っている23回生の手嶋さんにお願いします。

No20 田部 実 23回生 「待ち遠しかった春」

 襷をくれた青木さんは、くるみ幼稚園・上長崎小学校も一緒です。幼稚園の発表会では彼女はお姫様、私はこびとでした・・・

 京都市西京区洛西ニュータウンに住んでいます。40年程前に開発された街で、今では高齢化・人口減少がすすみオールドタウンになっています。私のいる団地も老朽化に伴う大規模修繕が昨年11月から始まり、足場と黒いネットに覆われた寒くて暗い冬を過ごしました。工事は3月はじめに終わり、春の日差しが戻ったところで妻と二人で早朝花見に行きました。桂離宮の前から川沿いに下った、天神川と桂川合流点近くの桜並木のある堤です。皆さんご存じ「背割れ堤」のミニミニ版という感じです。八分咲きでしたが花見を自粛した昨年の分まで楽しみました。

 4月は1年半ぶりに、長崎の母に面会(ガラス越しですが)に行く予定です。

次は21回生鳥山さん宜しくお願いします。

No19 青木裕子 23回生 「コロナと私」

東高校卒業後大阪へ。関西東高校同窓会立ち上げから参加してます。 大阪鶴橋在住の青木裕子です。

 私の趣味は旅行と美術館巡りです。12年前退職後友達と4~5人で日本中旅行して回りました(2人で交代で運転)。最近は1~2泊で温泉旅行してましたが、コロナで昨年12月から自粛、長崎へも帰れず、全国の友達にも会えず寂しい思いをしてます。

 美術館も予約制限があり以前のようには見に行けなくなりました。 外出するのも億劫になり、年齢的にも体力視力低下を感じ、4Kテレビで旅行気分、美術鑑賞してます。 関西同窓会参加で縦の繋がりも広がりました。早く皆さんとお会い出来るようになってほしいですね。

 次は23回生 田部 実さんが引き受けて下さいました。よろしくお願いいたします。

No18 伊藤蔦江 37回生 「一緒にお散歩気分はいかがですか」

 37回生の伊藤です。結婚を機に京都そして滋賀県大津市に転居し現在です。会社員してます。関西に東高卒業生がこんなにたくさんいらっしゃるなんてと最初びっくりしました。

 さて新型コロナ禍なので、地味~な滋賀ですがご近所をお散歩気分でご案内します。まず「ちはやふる」で一躍有名、かるた大会がある近江神宮は歩いて20分程。そこから京阪電車10分で坂本にある日吉大社、山を登れば比叡山。反対の石山方向に行くと、琵琶湖マラソンのスタートゴール地点の皇子山陸上競技場があり、少し先には桜の名所でもある琵琶湖疎水と三井寺(園城寺)へ。浜大津には琵琶湖クルーズ遊覧船があり、膳所城跡がある膳所公園からみえる近江大橋、その先には石山寺。ちょっと遠いけど琵琶湖大橋は「琵琶湖周航の歌」が聞けるメロディーロード。滋賀県の1/6を占める琵琶湖周辺はバス釣り、ウォーキング、自転車ロードが整備され地味にのんびりできます。機会があったらこっそりお散歩してみて下さい。

では、とっても素敵でチャーミングな23回生の青木さん よろしくお願いします。

入口円香 37回生 「やっぱい、東はよかばい」

西淀川区在住6年目に突入しました37回生 入口円香です。

二月に長崎へ帰省する機会あり、実家で在宅勤務しながら約1ヶ月長期滞在しました。自費でPCR検査を受け陰性を確認し帰省、2週間経過してから同級生が営む店で友人達と再会でき、やっぱい東の同級生はよかばい♥と心から楽しんだひと時でした。また、長崎11社スタンプラリーに挑戦し、金刀比羅神社で吹奏楽の練習をしていた現役の東高生ふたりに会い、頑張れ~とエールを送ってきました。金刀比羅神社からの下山途中に久々見た1号館校舎と部室、懐かしい限りでした。皆さんも帰省機会ありましたら長崎11社スタンプラリー兼ねて懐かしのエリア散策をお楽しみください。コンプリート記念の特製お守りもゲットできますよ。

次回は同じ37回生の伊藤蔦江さんに襷を繋ぎます。

西坂満正 44回生 「関西同窓会と私」

 44回生の西坂満正です。働き盛りの47歳。よろしくお願いいたします。
後輩の前川君からのバトンは断ることができません(笑)。
大阪市福島区で居酒屋、すし店を営んでいます。住まいは大阪市都島区です。関西に出てきて早いもので28年になります。
長崎で過ごしてきた期間よりも長くなりましたが、長崎愛は健在です(笑)。

 関西同窓会にはご縁があり第1回から参加させていただき、諸先輩の方々に大変お世話になっています。また第2号の会報にも掲載していただき、この場をお借りして感謝申し上げます。
昨年からのコロナ禍で大変厳しい一年になりましたが、先輩の方々の激励やお気遣いに、逆にこれからのお店の在り方を考える良いキッカケとなりました。
 8年前に長崎で44回生の同窓会があり、二百数十名が集まりました。その後関西で働く同期が私の店に集まってくれて思い出話や現在の近況を話し、それぞれの活動を知ると、改めて東高のつながりを、絆を強く感じました。
最後に私の好きな英単語があります。
「have fun」 何事があっても「楽しむ」を大切に歩んでいきたいと思います。

次は大好きな西山の先輩、入口円香さん、お願いしまーす。

お店の外観と料理です。

昨年の関西同窓会学生歓迎会。向かって後列右端が前川拓人君、後列左から二番目が私です。

 

前川拓人 68回生 「私が関西に来た理由」

長崎東中学校7回生、長崎東高校68回生。23歳。大阪大学文学部を卒業し、大阪市内の私立学校で中高の教員をしています。

高校3年生の春、進路を少しずつ彫り出しているとき、私の中に明確な意識があった。「九州から出たい」。そこには、中学1年の時にある失敗を犯して以降、同学年の者たちに対してどことなく抱いていた疎外感を払拭し、人間関係を新たにしたいとの思いがあった。

関西圏への合格が最も遅く決まった私に対して、長崎東同窓生にして理科教諭の大町さんから「68回関西同窓会の代表を務めてほしい」と話をいただいたときは、断ろうと思っていた。しかし、私より先に合格が決まっていた全ての同窓生がこの依頼を断っていたことを知り、引き受けることになった。

 いざ、関西同窓会に飛び込んでみると、同窓会の方々は暖かく私を迎え入れてくれた。長崎東という母校を初めて嬉しく思った瞬間であった。お世話になった母校に対して感謝の念を持てていることは、この同窓会のおかげと言っても過言ではない。これについては本当に感謝してもしきれない想いである。同窓会への感謝の念を記したところで、最後としたい。ご一読いただき、ありがとうございました。

次はおいしい料理とお寿司を堪能させてくれる「満海」の西阪光正先輩に襷をつなぎます。よろしくお願いいたします。