No70 小林 務 30回生 「長崎の思い出」

  30回生です。大学時代を含めると、京都居住27年です。
今年で62歳になりました。東高卒業後1年浪人し、4月生まれのため、長崎を離れ、京都に来た時は20歳直前でした。長崎で住んだ以上の年月を京都で住んだことになります。

地球温暖化のせいでもあるのでしょうが、京都の夏の暑さ、冬の寒さを体験すると、長崎の暑さや寒さは過ごしやすかったように感じます。
伊良林の家からは、正面に長崎港が見え、花火大会の時は、高台にあるので目の位置で花火が爆発していました。

京料理も美味しいのですが、長崎で小さい頃に食べた料理も美味しかった思い出があります。今では食べられない鯨の刺身や鯨カツはよく食べました。刺身もハマチが中心でした。鯛の刺身を食べた記憶は殆んどありません。出前で取るチャンポンや皿うどんの味も懐かしいものです。

母親も90歳を超えたので、できる限り長崎に帰省し、美味しいものを食べたいと思っています。

次は、中学校、高校、大学の後輩の三浦直樹さん(36回生)にバトンを渡したいと思います。

No69 宮崎俊博 19回生 「インスタグラムに救われた」

  大学卒業後はずっと関西で暮らしています。サラリーマン人生最後の十数年が京都だったため京都の友人が多く、本拠は大阪府和泉市にあるのですがリタイヤ後の今でも1/3くらいは京都に一人住まいしています。

 皆さん、コロナで人と会うのが制限される中いかがお過ごしですか。私も友人や離れて暮らす家族ともめったに会うことができず、生活を豊かにする上で会話がいかに大切かを痛感しました。
 そんな中、4年前からやっていたインスタグラムに救われました。インスタグラムは写真を投稿しそれをネタにやり取りをするSNSです。少しずつ私の投稿を見てくださる方も増え、毎回100~200の「いいね」が来るようになりました。
 インスタグラムでは相手の本名も年齢も性別も分かりません。しかし数日に1回その人の投稿写真を見て、たまにコメントのやり取りをしていると、だんだんと自分の中にその人のイメージが出来てきて、実際に知っている人のような感覚でやり取りをするようになります。そういうバーチャルな友人が日本中に、さらに海外(主に海外在住日本人)にも出来てくるのです。そこで交わされる、コロナで制限された日常とは違うやり取りが、不足した会話を大いにカバーしてくれました。
 人は歳を取るほど実際に会って会話をする相手は減っていきます。それを補うものとして高齢者こそSNSをやるべきではと思う今日この頃です。

 次は京都にお住いの30回生、小林務さんにお願いします。

No68 武藤健治 19回生 「法隆寺の思い出」

19回生、三重県四日市市在住の武藤健治です。生まれは本古川町。高校卒業までは上小島・夫婦川・鳴滝・岩見町に住みました。大阪での大学生活の後は大半を四日市で過ごしています。

勤務していた会社の社内報に“リレー随想”というコーナーがあり、私は寮生時代に職場の若い同僚を連れて京都や奈良の寺院巡りをしたことを書きました。
長崎を出るまで仏像鑑賞に興味を持っていたわけではありませんが、運動音痴の私は大学でのクラブ活動に、関西という地の利から古美術研究会を選びました。古美術研究会の新入部員歓迎会は例年、法隆寺・中宮寺・法輪寺・法起寺の斑鳩コースです。法隆寺の(当時の)宝蔵で渡り廊下から入った小部屋にすらりと立った百済観音菩薩(飛鳥時代)を横から初めて拝観したときの感動は今でも忘れられません。五重塔のところでは見慣れた制服の女子高校生の一団を見かけました。しかもよく知った顔が。四年生で小島小から上長崎小に転校したとき隣同士に座ったMさんでした。東高定時制四年生の修学旅行だったのです。

40歳を過ぎてから市民マラソンに出場するようになり、斑鳩で二月に開催される“いかるがの里・法隆寺マラソン”も何度か走りました。還暦を過ぎ最後のハーフマラソン出場はこの大会と決め、退職後一年間はみっちり練習を積みましたが、当日は土砂降りで参加を断念せざるを得ませんでした。また一昨年九月の関西さるく会は思い出深い斑鳩の散策だったので、さるく・デビューしようと思い準備をしていました。ところが当日は台風17号が接近。参加できても帰路が大変なことになると思いこれも諦めました。何度も訪れた法隆寺ですが、悪天候はこの2回だけ。そんな思い出もある法隆寺です。

次は高校の三年間同じクラスだった宮崎俊博さんにタスキを渡します。

2004法隆寺マラソン参加賞

No67 桑原進 19回生 「老人の思い出」

  19回生の桑原です。磨屋小、桜馬場中、東高を卒業しました。現全体同窓会会長の波多野氏は小6の同級生で付き合いが60年以上になります。
さて東京2020も終わりましたね。みなさんはどんな思いでオリンピックを見ましたか?
私は1964年の高1の時、諏訪神社下の交差点で見た聖火リレーを思い出しました。
聖火のトーチを持って走ったのは東高陸上部の主将で伴走・随走者は同じ陸上部の部員たちでした。わずか4~5分でしたが県庁に向かっていくメンバーたちの溌溂とした姿が印象的でした。声援を送っていた私も感動していたことを覚えています。

 あれから半世紀、今年の聖火リレーをテレビで幾度か見ましたが、あの時の感動は伝わってきませんでした。
東京2020で女子バスケチームは活躍しましたね。米国との決勝戦は見ていて力が入りました。努力はいつの日か結果につながると、改めて教えられた思いです。

 バスケの試合では1964年以降ですが東高では次のような試合がありました。
ある日、米国海軍の戦艦が県庁への表敬訪問のため、長崎港へ寄港してきました。この時に米国は一般市民との交流を希望し、その一環として乗組員とバスケの試合を提案していました。その相手として東高が選ばれたのです。当時の東高は県大会に出場して優勝を狙える実力のあるチームでした。東高の体育館での交流試合は米国人の体格の大きさとスピードに圧倒された迫力のある試合でした。
生まれて初めて外国人が目の前でプレーする姿を見て感動したことを覚えています。試合の結果は忘れましたが・・・・。

 東高時代の思い出話は尽きることがありません。これからも懐かしく思い出すでしょう。
ではみなさん ごきげんよう われらが母校“ひがしに光あれ” 完

次は同期でお隣三重県在住の武藤健治君にタスキを渡します。

No66 寒川千恵子 25回生 「愛知より」

  転勤で国内を回った後、今は愛知県春日井市に落ち着いています。
名古屋市のベッドタウンである春日井市の北東部にある高蔵寺ニュータウンは東京の多摩、大阪の千里と並ぶ三大ニュータウンでしたが、高齢化で今では空き家が目立つ町となりました。名古屋駅までは電車で30分。名古屋も田舎の都会で文化・交通の便等、意外と住みやすい所だと思います。春日井市は書とサボテンの町。小野東風の生地であり、サボテンの栽培が盛んで、サボテンラーメンなども開発されてます。

旗揚げ、精霊流し、おくんち等一年中ワクワクしてた身としては、季節が淡々として過ぎていくことに淋しさを感じます。そんな楽しい思い出を長崎弁で年の差を超えて話せる 「さるく会」の再開を楽しみにしています。

次は同じく愛知県にお住いの19回生の桑原進さんにお願いします。

春日井市にある王子製紙工場内のバラ園
(一般開放しています)

春日井市のマスコットキャラクター

No65 倉田博幸 25回生 「コロナと私」

  25回生、大阪府豊中市在住の倉田博幸です。
福県柳川市で生まれて、諫早市、長崎市と移り住み西町小学校、勝山小学校、上長崎小学校、片淵中学校から長崎東に入り、大阪に来て42年になります。長崎の実家は西山本町、諏訪神社の上、長崎中学校のすぐ下で、当時は長崎中学校はまだ下にあり移転前で、立山公園がありました。諏訪神社の周辺は子供の頃からの遊び場で椎の実やどんぐりを拾ったり、当時は林間の車道はまだできてなくて石段になっていたので、ダンボールを敷いて滑って遊んでいました。
小中高と坂下の平地にあり、自宅は坂の上の方にあったので毎日坂の登り降りをしていたのに、そんなに苦とも思っていませんでした。

2020年1月から始まったコロナ騒動は今回が4度目の緊急事態宣言ですが、1度目、2度目、3度目では公共の体育施設が使用禁止となり、普段やっている剣道の稽古は出来ませんでしたが、8月2日から始まった今回はオリンピック開催の整合性のためか使用許可が出たおかげで、マスクをしてシールドを面につけてなんとか稽古が出来ています。
過去3回の緊急事態宣言の期間中、剣道ができない時は自宅近くの千里川沿いに遡って、野鳥を観察したり、箕面の山のいろんなハイキングコースを歩き回り、時には勝尾寺まで足をのばし、最後は箕面の滝を見て家に帰るという日々でした。

  同窓会写真クラブに在籍しているので、野鳥の写真を撮りたいと思ったのですが、中々難しくこれにはかなりの準備と忍耐力が必要なため、今回は諦めました。
19回生の高秋夫さんが723種の野鳥撮影をされているのは驚異的で、しかも完成度の高い写真を撮られているのは素晴らしく、機会があれば他の写真も是非見せていただきたいと思っています。

次は同期で総会やさるく会に遠く愛知県から参加してくれている寒川千恵子さんにタスキを繋ぎます。

水辺のアオサギ

夕陽と雲

民家の花畑

No64 松尾由美 31回生 「卒業以来の長崎」

  31回生の松尾です。現在大阪府豊中市に住んでいます。父親の転勤で5才の時長崎の地に降り立ちました。家族は高校途中で豊中に戻りましたが、私は一人残り、高校卒業と共に長崎の地を後にしました。
友だちもいなかった豊中で仕事仲間ができ、結婚、子育てを通じてママ友ができ・・・いつの間にか豊中での生活の方が長くなってしまいました。
2年ほど前でしたか、長崎に遊びに行きました。初めて軍艦島に行き、高校時代の親友に東高にも連れていってもらいました。夏休み中でしたので中には入られませんでしたが、懐かしく眺めてきました。この坂を剣道の防具を抱えて歩いていたのかと思うとゾッとします。長崎は坂の町と知っていますが、記憶に残っている以上の坂で、車の燃費悪いだろうなぁ~と心配になりました。稲佐山にも上りました。卒業以来です。長崎の夜景、やっぱり好きですね。道路が変わり、大きな商業施設もでき、雰囲気はとても変わっていましたが、十数年だけでも長崎市民として生活できたことを幸せに思います。
娘たちが長崎に行ってみたいと言います。早くマスクなしで出歩ける日々に戻って遊びに行きたいで~す。

 高校時代を思い出して、ちょっとだけ剣道を始めようかなと話をしていた繋がりで、次は25回生の倉田さんにバトンをお渡しいたします。

No63 新開 潔 23回生 「卒後50年」

  福岡県生まれ。小学1年に高島へ。高島中学卒後東高。卒後名古屋京都大阪高石市、堺市と転居し現在堺市在住。
昨年十月退職し90歳になった母と同居中。

今年で23回生は卒後50年となります。コロナがなければ記念同期会をおこなう予定でした。50年、あっという間ですね。思い起こせば、原子力空母エンタープライズ佐世保港入港問題、大阪万博、第24回長崎国体(マスゲームで参加)等がありました。学生運動が盛んで殺伐とした感じでした。

そんな中2年の時に先生の反対を説得して文化祭でお化け屋敷をやったのが良き思い出となっております。体育祭の時に桟敷造りをやってましたが、その技を応用して竹を切り出し教室に通路を作りました。当日来てみたら窓から光があふれていてびっくり(笑)暗幕を急遽天津先生にお願いして準備してもらい窓全てに暗幕を張りました。張ったのは良いのですが、逆に暗すぎてより恐怖感のあるお化け屋敷になってしまいました。楽しかったです。
お化け屋敷を提案した時、先生方は反対されました。そこを現代のお化けととして交通事故や戦争時のパネルを長崎新聞社?からお借りし、パネル展も一緒に実施することで了解を得られました。やってみるもんですね(^^)v

私は、3年の10月に両親が名古屋転勤となり卒業後長崎を離れました。それから50歳になるまで長崎に帰ることも同窓生に会う機会がありませんでした。
ひょんなことから東京の同期会に呼ばれ参加してから、長崎同期会、在京同窓会、長崎同窓会総会と皆勤に近い出席率で参加してます。

高校3年間だけでしたが、心地よい時間を持てるのでこれからも参加していこうと思っています。同窓生と会うと頑張らなくてはという力をもらってます。

次の襷は関西同窓会の常任幹事をして頂いている31回生の松尾由美さんにお渡しします。

No62 布野悠 65回生 「東の地から」

  こんにちは。65回生の布野悠(旧姓:小柳)です。

神戸大学を卒業後、現在は就職に伴い東京で社会人生活を送っています。

数年前の同窓会では、何度か校歌の指揮をさせて頂いており今回タスキをいただきました。

 さて、何について書こうか迷ったのですが、せっかくなので今住んでいる江戸川区について紹介しようと思います。

江戸川区は東京都の一番南東にある区で、県境の川を渡ると千葉県、という場所です。

東西を川に挟まれており、数年前の台風の際には、水没の危険があるので区の外に避難してくださいと言われるほどでした。

また、南北に長い範囲を有するわりに鉄道が東西方向にしか走っておらず、南北を縦断するにはバスで1時間かかってしまいます!

ちょっとだけ、阪神間のアクセスを彷彿とさせますね。

そんな江戸川区で有名なスポットが、「葛西臨海公園」です。

都立公園の1つで、公園内には植物園や葛西臨海水族園(昔、マグロが全滅してしまったところといえばピンとくる方もいるかもしれません)、観覧車などもある、広さ約78万㎡の公園です。

最近だと、東京オリンピックのカヌー・スラロームの会場にもなってましたね。臨海部なので海はもちろん、林あり、草原ありでお散歩やランニングにもぴったりです。

観光地とはまた違った感じですが、コロナが落ち着いてお近くに来られた際には是非立ち寄ってみてください!

コロナ禍で関西にもしばらく戻っていませんが、落ち着いた折にはぜひまたお会いできるのを楽しみにしています。

 

次は学生時代にもお話しさせていただいた23回生の新開潔さんにおつなぎします。

 

ps 田口さん

ぜひいつか、最近の吹奏楽部のようすについても聞かせてくださいね!

葛西臨海公園やその付近の遊歩道では、のんびり暮らす地域猫たちにも会えます。

ダイヤと花の観覧車です。