2017年10月22日(日) 第36回関西さるく会を実施します(第2弾)

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第36回関西さるく会「橿原神宮さるく」の見学ポイントの概要を19回生の福地さんが纏められました。
事前にご覧いただけると幸いです。
また見どころ満載ですので、ぜひご参加下さい。

<橿原神宮(かしはらじんぐう)>

畝傍山の南東麓、約50万平方メートルもの広大な神域に建てられた檜皮葺き(ひわだぶき)で素木(しらき)造りの本殿と神楽殿が、玉砂利の参道と背景となる深い森の緑に調和して、なんともいえない爽やかさと、厳かな雰囲気を生み出しています。

天照大神あまてらすおおかみの血を引く神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)(後の神武天皇)が、豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山(うねびやま)の東南の麓に橿原宮を創建されたという、「日本書紀」の記述に基づき、明治23年(1890)に建てられました。祭神は神武天皇とその皇后・媛蹈韛五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)(大物主命の娘)。

本殿と文華殿は重要文化財に指定されています。本殿は京都御所の賢所(かしこどころ)を移築したものです。橿原市を代表する橿原神宮で、本殿と神楽殿を訪ねると日本の伝統的な建築美に出会うことができます。

ざれ石>

 「君が代」 君が代は千代に八千代ざれ石の巌(いわお)となり(こけ)のむすまで で出てくるざれ石

 ざれは漢字で、「細石」と書きます。字のごとく、小さな石という意味で、学名を石灰質角礫岩といいます。 日本全国にあるさざれ石の石質はさまざまですが、石灰石が長い年月をかけて雨水で溶解し、粘着力の強い乳状液が小さな石の隙間に凝結し、ひとつの大きな岩の塊になったものも「さざれ石」とよんでいます。 日本では、滋賀県と岐阜県の県境にある伊吹山が主要産地になっています。  また、さざれ石は年月をかけて成長することから、神霊の宿る石だと信じられてきました。 古来より日本人は、岩や山などに神様が宿ると信じており、日本各地には岩や石を依代(よりしろ)(神霊が降臨するときに宿るとされるもの)とする神社がたくさんあります。 。

<奈良県立橿原考古学研究所付属博物館>

 奈良県立橿原考古学研究所は、奈良県に属する機関であり、奈良県内の埋蔵文化財の調査と研究を行い、その成果を広く公開するとともに、国民共有の財産である埋蔵文化財を保護し後世に伝えるためにさまざまな活動を行っています。

 附属博物館では、奈良県内の多くの遺跡から出土した資料を通じて、日本史の中で重要な位置を占める奈良県の歴史について理解を深めていただけるよう、常設展「大和の考古学」のほか、春秋2回の特別展、夏には発掘調査成果の速報展「大和を掘る」を開催しています。

展示室では、ボランティアの方々による展示解説があります。また、映像ライブラリー、情報コーナー、休憩室など無料でご利用いただける施設もあります。

<神武天皇陵>

 神武(じんむ)天皇陵は畝傍山の北東のふもとに位置し、正式には「畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)」といいます。

神武天皇陵の推定地は六つあったが、文久三年(1863年) 橿原市大久保町字ミサンザイであると比定された。土饅頭のようなみすぼらしいものであったが、幕末から大正にかけて拡張された。   その辺りには 樫原神宮、第二代天皇 綏靖(すいぜい)天皇陵、第三代安寧(あんねい)天皇 第四代懿徳(いとく)天皇、第八代孝元天皇の御陵がある。いずれも欠史八代の天皇(実在が疑わしい天皇)

<今井町>

 橿原市今井町。現在も町の大半の町家が大切に保存され、江戸時代の姿を残しています。

戦国時代に、浄土真宗称念寺の寺内町として発達し、江戸時代になると堺と並ぶ自治特権が与えられた。豪商が軒を連ね、「大和の金は今井に七分」といわれるほどの繁栄をみせたそうです。東西600m、南北300mの範囲に江戸時代以来の伝統的民家や商家が密集し、そのうちの8軒は重要文化財に指定されています。(今西家住宅、豊田家住宅、上田家住宅、音村家住宅、高木家住宅、中橋家住宅、旧米谷家住宅、河合家住宅の8軒)

 国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

 またNHKの「ごちそうさん」や「朝が来た」などのロケ地としても有名です。

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