2018年7月22日(日)第45回関西さるく会「兵庫神戸・平清盛さるく」を実施します(詳細案内)

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“大物に出会える旅”
清盛が大輪田泊の大修築や、瀬戸内海航路の開発を手掛けて海上交易を活発化させ、さらに海外との貿易も手がけて日宋貿易を行うなど、「海」を中心にした、新しい日本を模索した地をさるきます。
大輪田泊の修築では、人工島を築いて、安全な碇泊地を確保し、宋からの貿易船が入港できるようにしました。
対岸にある福原には大規模な都市を構築し、1180年には都を福原に移転(福原遷都)したゆかりの地です。
平清盛にゆかりのある寺社、記念碑などを巡る約4kmの行程です。
どんな大物に出会えますか?乞うご期待!!
集合日時:7月22日(日)10:00
集合場所:JR兵庫駅改札口を出て南広場
     (新快速は止まりません)
       東方面からだと神戸駅で快速、普通に乗換 
       西方面からだと明石駅で快速に乗換
さるくルート:JR兵庫駅(集合)⇒【福海寺】(時雨の松の碑)⇒【七宮神社】⇒【能福寺】(平清盛廟、①兵庫大仏⇒【大輪田泊の石椋】⇒【来迎寺】(松王丸入海の碑・供養塔)⇒(イオンモールにて休憩)⇒キャナルプロムナード(兵庫城跡地)⇒須佐野公園(昼食)⇒【清盛塚、②清盛像⇒【薬仙寺】(萱の御所跡など)⇒地下鉄海岸線・和田岬駅・乗車~新長田駅・下車、③?(とある大物)⇒富貴楼(反省会)⇒JR新長田駅(解散)  〇数字は大物
反省会:長崎とはなんのゆかりもない店ですが“富貴楼”で歓談いただきます。

当日の注意事項:
   1.熱中症対策を怠りなく!!
     全行程を通じて平坦なコースですが日陰がありません。
     塩分の入った飲料水、経口補水液、ウエットティッシュ、保冷剤などを持参するといいと思います。
     帽子、日傘をお忘れなく。
   2.最終地の大物、反省会会場に向かうため地下鉄に乗ります。(4区間)
     乗車料金は230円です。

見所:
【福海寺】(時雨の松の碑)
 清盛が好んだ時雨の松は、青葉から玉露の滴を垂らし、霊験あらたかであったといわれ、また清盛の隆盛を導いたと伝えられています。今は松はなく、碑だけが福海寺に残されています
【七宮神社】
 清盛が経ヶ島を築くために、塩槌山という山を崩したといわれています。山に祀られていた神の怒りにふれぬように七宮神社を建立し、港の安全を祈願したと伝えられています。
【能福寺】(平清盛廟、兵庫大仏)
 能福寺は、清盛が得度した寺と伝えられています。養和元年(1181)に清盛が京都で没すると、住職の円実法眼が清盛の遺骨をこの地に持ち帰って法華堂に納めたとされ、お墓と伝えられる 清盛廟があります。また、境内には日本三大大仏に数えられる兵庫大仏があります。
【大輪田泊の石椋(いわくら)】
 波よけの土台となった岩石
 ※大輪田泊(おおわだのとまり):奈良時代に僧の行基が設けたといわれる、瀬戸内海の交通の要衝であった五泊(ごとまり)の一つ。現在の神戸港を指す。
【築島寺】(松王丸入海の碑・供養塔)
 清盛は、大輪田泊を造る時に嵐が起こり、海の神様の怒りを鎮めるために松王丸が人柱となります。
 また、人工島は経文を記した石を沈めて基礎としたので経ヶ島と呼ばれたと伝えられています。
【清盛塚、清盛像】
 十三重の石塔(高さ8.5m)は、長年、清盛の遺骨が納められていると伝えられてきましたが大正12年の調査で墳墓でないことが確認されていますが、弘安9年(1286)の銘を持つ石塔は、県の文化財に指定されています。道路拡張工事で現在地に移され、昭和43年には平清盛像も建立されました。清盛塚の横には、琵琶塚と呼ばれた古墳があったことを示す碑があります。清盛の甥で琵琶の名手・経正と結び付けて、経正の塚といわれるようになりました。
【薬仙寺】(萱の御所跡など)
 清盛が後白河天皇を閉じ込めたとされる萱の御所跡の碑が残されています。

(19回生・太田 25回生・松崎記)

 

 

 

 

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