左上から興福寺での記念写真。ムクロジのムロから生えている孟宗竹。春日大社の灯篭。春日大社をバックに記念撮影。春日大社の写真スポット。二月堂での記念撮影。凍りついた手水。転害門ボランティアの説明に聴きほれる会員。最後は奈良県庁屋上からの若草山。興福寺五重の塔。
何十年に一度いう大荒れのはずの日に第15回さるく会を実施しました。でも本当は少し寒かったけどすごく晴れて絶好のさるく日和でした。10時に近鉄奈良駅に集合したときは20人を超えたらと思ってましたが24人の参加です。中金堂を再建中の興福寺を通り、菩提院大御堂を拝観して20年に一度という式年造替中の春日大社へ。その後山焼きがあったはずの若草山でしたが昨日の雨で僅か一割しか焼けていないトラ刈り山肌を横目に手向山八幡宮へ。ここは東大寺を創建するときの守護神です。宇佐八幡宮から分霊を祀ったというと九州人の我が会員たちは身近に感じたみたいですごく熱心に見入っていました。そしてお水取りで有名な二月堂へ。休憩所での昼食はお神酒をいただきながらの楽しいひと時です。その後転害門へ。ここでは奈良のボランティアの方による詳しい説明にみなさん納得顔。続いて奈良県庁のベストスポットで景色を満喫した後は恒例の反省会。みなさん時間も忘れておおいに飲み、おおいにおしゃべりをし素晴らしいひと時を過ごしました。今日は天気予報に振り回されながらの春日大社初詣を楽しんださるく会でした。
番外編:飲み足らない人たちは連れだって二次会へ。寒い中熱い面々のさるく会でもありました。
長崎にて大寒波に遭遇 三田村嘉也
関西さるく会の有志が春日大社などで新年を寿ぎ、あちこち さるいて気分よく神酒を頂いたり毒酒を煽っておられる頃、私は長崎で大寒波の真っただ中にいました。事の起こりは 10回生の新年会をやるので三田村もたまには参加せんね という誘いでした。
以下 日記風に綴ります。
1月23日 18時 会場(長崎IKホテル)に入る。約60人参加。
皆歳を重ね 見えザル、聞こえザル、流暢にしゃべれザルの集団ですから 楽しくも騒がしい雰囲気です。結局最後は数人で4次会まで。ホテル帰宅は午前2時近く。雪はまだチラチラ程度。
翌24日(日) 窓を開けてビックリ。一面の銀世界。それでも
予定どうり お墓参りに行く。(晧臺寺)お墓に至る道路は坂段が多いので 特に帰りの坂段を下るのに難渋。しかし 雪道についているのは私の足跡のみ。二日酔いなれど、身の引き締まる思い。午後は付き合ってくれる友人と会食。その後長崎駅で帰阪予定の時刻を変更。ホテルで仮眠の後、夕食に出るも開店している店がなく コンビニに立ち寄ったが ここも品薄。その中から3食分位の食品を買いだめしてホテルに戻る。雪、氷の道を高齢ペンギンのように歩いたので足腰が変。風呂でしっかり温める。
25日 バス JRは昨日から運休。今日は路面電車も運休。勇気あるタクシーを時々見る。坂の長崎、坂に泣く。ホテルに軟禁状態だったが15時頃から電車は運転開始をTVが報じる。 途端に友人から夕食の誘いが掛かる。私だけでなく 近くの諫早、島原、大村の同期生も帰宅できず市内に留まっている様子。そのうち数人で又小宴。酔いが回るに従い「こげん日に新年会ば決めたとはダイね」など鬱憤ばらしの話も出る始末。結局この日もホテルに戻ったのは午前2時近く。
26日 早めに長崎駅に行き 兎に角「博多まで」の思いで長崎を 離れる。長崎~博多間 正常だと1時間半程度の処3時間近く要したが 夕刻新大阪駅に着く。積雪は50年ぶり 外気の低さは(-6℃位か)観測史上初とか。貴重な体験とは言うものの、財布も心身もにグロッキー状態になりました。
皆様の親戚、縁者の方に 大寒波で災難に遭われた方も 居られると思いますが 謹んで お見舞い申し上げます。
(関西同窓会前会長 三田村嘉也さまからのメッセージでした)
(どうしても文字が濃くできません。申し訳ありません)
福地 代筆