2018年9月23日(日)第47回関西さるく会「奈良・藤原京さるく」を実施しました

初秋。
秋雨前線の影響を吹き飛ばしての秋晴れ。
一説には、晴れ女のパワーが炸裂した模様。
近鉄橿原線の畝傍御陵前駅に19名が集合。
まずは、駅から徒歩5分の奈良県立橿原考古学研究所付属博物館へ。
ボランティアガイドの説明で「大和の考古学」を堪能。
旧石器時代から縄文・弥生。更にヤマト王権が成立した古墳時代から今回のテーマである飛鳥時代。
そして奈良・平安・鎌倉・室町時代まで駆け足で「クニへの歩み」の経緯を勉強しました。
やはり現物の出土品を見ながらの解説は説得力があり理解が深まりますね。
昼食は、橿原考古学研究所の軒下を借用して弁当をひろげました。
ここから東に15分程歩くと水田の休耕地にホテイアオイの群生が見えてきました。
布袋さんのお腹のような茎の上に薄紫色の花が咲いていて約14000株が一面に広がっています。
深紅の彼岸花や萩の花やコムラサキの実や色付き始めた柿の実との競演、そして畝傍山の景観も折り重なって、これは一見の価値ありでした。
本薬師寺は天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して建立したお寺です。
いまは小堂が建っているばかりで、前庭には金堂の礎石が残されています。
ここから約15分程歩くと藤原宮跡朱雀大路跡に到着。
朱雀大路は藤原京を左京と右京に分ける幅24mのメインストリート。
この大路跡(いまは田圃の畦道ですが)を10分程北に歩きます。
稲穂がだいぶ頭を垂れてきています。
畦道には深紅の彼岸花が誘導灯のように咲き連なっています。
藤原宮跡に着きました。
藤原京の中心施設である藤原宮があった場所です。
北に耳成、東に香久山、西に畝傍の大和三山に丁度囲まれた平地で、都城建設の絶好の場所であったことを実感します。
大化の改新以後、新しい国家の首都として造営された日本で最初の都市です。
しかし、694年(持統8年)から710年(和銅3年)までの僅か16年間だけで、その後は平城京へ遷都しました。
クニの始まりと言っていいこの場所に実際に立ってみることも意義深いことかもしれません。
この広い野原いっぱいには秋桜も植えられていて、いまは咲き始めといったところでした。
藤原宮跡に隣接する藤原京資料室に立ち寄り休憩を兼ねて見学しました。
休憩後最後のポイントおふさ観音に到着。
このお寺には厄除け、子授け、長寿と老人病封じを願う人が多く訪れるそうです。
また、ぼけ封じにもご利益があるそうですよ。
お参りした後は、大和八木駅近くの反省会会場へ。
おおよそ15000歩さるいた疲れを冷たい飲み物で癒しつつ、初秋の奈良を堪能してお開きとなりました。

畝傍御陵前に集合            ホテイアオイの群生

   

彼岸花とホテイアオイ(本薬師寺跡にて) 紅白花合戦

 

ホテイアオイの花        田圃の畦道をさるく        

      

 藤原宮跡をさるく(前方は耳成山)

  

この広い野原いっぱい 咲く花を      おふさ観音にて

 

*写真は、写真クラブの西村サナミさん(24回生)と桑原直美さん(36回生)からの提供

23回生 手嶋 記