No42 梅木敬冶 19回生 「Nagasaki」

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 かあちゃん、帰ってきたけんね。玄関あけると条件反射の如く出てくる長崎弁。

実家はもう待ってる人がおらんごとなった。

 教員の小倅として4人兄弟の末っ子、裏山と田んぼや川で遊びほうけた御幼少。小学校は3つ変わった。為石小学校2年生に「冬休みの友」の表紙を雪合戦の絵で表彰され、上長崎小学校6年生にはクラスのホームルームで「ユーモア大賞」をいただき、片淵中学校2年生にはバスケット部の後輩にこっそりラブレターを渡された。我が自分史上輝いていた栄光の日々。
 長崎東高時にはその頃、はやっていたキングトーンズのグッナイベイビーならぬ「3ナイベイビー」、もてナイ、勉強できナイ、夢ナイになっていた。いつしか、鍋の底に沈んでいた。
 しかし、さすがの私、親の束縛とかれ花の東京出て行く頃には自由を謳歌し、てなもんや関西に住みだし、厚顔の美少年は ちょい良し親父にかわってきた。それも、これも長崎、そしてとうちゃん、かあちゃんのおかげです。

 たすきは長崎東関西同窓会の屋台骨であり、カラオケ侍の24回生の泉田さんにわたします。

No42 梅木敬冶 19回生 「Nagasaki」」への1件のフィードバック

  1. 久々に梅木弁が嬉しい!早くさるくで再会さるくしたいね。木からおっちゃけんごと
    仕事はほどほどにね。

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