第10回関西ナイスショット&ファーの会を実施しました。
日時:2018年10月18日(木)9:10スタート
場所:奈良若草カントリー倶楽部
参加者:以下の9名(敬称略)
1組 永尾喜久二、 後藤博一、仲田哲雄
2組 泉田豊彦、佐藤泰進、松尾誠人
3組 藤城 隆、長岳宏樹、多田哲也
結果:記念すべき区切りの第10回の優勝者は?
(第7回総会にて発表されます。)
会員および会員の家族が親睦と地域再発見、そして健康増進を目的として、 関西のまちをぶらぶら歩く同好会
第10回関西ナイスショット&ファーの会を実施しました。
日時:2018年10月18日(木)9:10スタート
場所:奈良若草カントリー倶楽部
参加者:以下の9名(敬称略)
1組 永尾喜久二、 後藤博一、仲田哲雄
2組 泉田豊彦、佐藤泰進、松尾誠人
3組 藤城 隆、長岳宏樹、多田哲也
結果:記念すべき区切りの第10回の優勝者は?
(第7回総会にて発表されます。)
「あっ!長崎!!」
「安土城さるく」の下見を行いました。
10月6日に「第48回安土城さるく」の下見を行いました。最初に行った安土城郭資料館で長崎を描いた屏風絵に出会って不思議な縁を感じました。
今回の「第48回安土城さるく」は、安土城の大手門までしか行きませんが、信長時代の面影を探して安土町を歩きます。
「安土問答」で有名な浄巌寺は、信長が創建した寺ですが、楼門や本堂がそのまま残っていいます。また、昭和の10年代まで、安土城があった安土山の下まで琵琶湖が広がっていて、当時、港として栄えたところが公園として整備されていました。明治初期には、琵琶湖を周航していた蒸気船が寄港していたとのことです。思わぬ発見があるかもしれません。
多数の参加をお待ちしています。
【第48回「安土城さるく」の概要】
日時:平成30年10月28日(日)
集合:JR安土駅 10時 (10:15出発)
会費:500円(会費300円、拝観料200円)
予定ルート:
安土駅⇒安土城郭資料館⇒旧伊庭家住宅⇒浄巌寺⇒音堂川湧水・梅の川・北川湧水⇒常浜水辺公園⇒安土城跡前⇒安土駅
備考:反省会を早めに予定していますので、軽めの昼食を用意してください。
地域役員(滋賀担当)鳥山賢治(21回生)記
初秋。
秋雨前線の影響を吹き飛ばしての秋晴れ。
一説には、晴れ女のパワーが炸裂した模様。
近鉄橿原線の畝傍御陵前駅に19名が集合。
まずは、駅から徒歩5分の奈良県立橿原考古学研究所付属博物館へ。
ボランティアガイドの説明で「大和の考古学」を堪能。
旧石器時代から縄文・弥生。更にヤマト王権が成立した古墳時代から今回のテーマである飛鳥時代。
そして奈良・平安・鎌倉・室町時代まで駆け足で「クニへの歩み」の経緯を勉強しました。
やはり現物の出土品を見ながらの解説は説得力があり理解が深まりますね。
昼食は、橿原考古学研究所の軒下を借用して弁当をひろげました。
ここから東に15分程歩くと水田の休耕地にホテイアオイの群生が見えてきました。
布袋さんのお腹のような茎の上に薄紫色の花が咲いていて約14000株が一面に広がっています。
深紅の彼岸花や萩の花やコムラサキの実や色付き始めた柿の実との競演、そして畝傍山の景観も折り重なって、これは一見の価値ありでした。
本薬師寺は天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して建立したお寺です。
いまは小堂が建っているばかりで、前庭には金堂の礎石が残されています。
ここから約15分程歩くと藤原宮跡朱雀大路跡に到着。
朱雀大路は藤原京を左京と右京に分ける幅24mのメインストリート。
この大路跡(いまは田圃の畦道ですが)を10分程北に歩きます。
稲穂がだいぶ頭を垂れてきています。
畦道には深紅の彼岸花が誘導灯のように咲き連なっています。
藤原宮跡に着きました。
藤原京の中心施設である藤原宮があった場所です。
北に耳成、東に香久山、西に畝傍の大和三山に丁度囲まれた平地で、都城建設の絶好の場所であったことを実感します。
大化の改新以後、新しい国家の首都として造営された日本で最初の都市です。
しかし、694年(持統8年)から710年(和銅3年)までの僅か16年間だけで、その後は平城京へ遷都しました。
クニの始まりと言っていいこの場所に実際に立ってみることも意義深いことかもしれません。
この広い野原いっぱいには秋桜も植えられていて、いまは咲き始めといったところでした。
藤原宮跡に隣接する藤原京資料室に立ち寄り休憩を兼ねて見学しました。
休憩後最後のポイントおふさ観音に到着。
このお寺には厄除け、子授け、長寿と老人病封じを願う人が多く訪れるそうです。
また、ぼけ封じにもご利益があるそうですよ。
お参りした後は、大和八木駅近くの反省会会場へ。
おおよそ15000歩さるいた疲れを冷たい飲み物で癒しつつ、初秋の奈良を堪能してお開きとなりました。
畝傍御陵前に集合 ホテイアオイの群生
彼岸花とホテイアオイ(本薬師寺跡にて) 紅白花合戦
ホテイアオイの花 田圃の畦道をさるく
藤原宮跡をさるく(前方は耳成山)
この広い野原いっぱい 咲く花を おふさ観音にて
*写真は、写真クラブの西村サナミさん(24回生)と桑原直美さん(36回生)からの提供
23回生 手嶋 記
9月8日(土) 曇り時々雨模様の中、梅木さん(19回生)、手嶋(23回生)、伊藤さん(24回生伊藤さんの旦那さん)、長岳さん(25回生)の4人で下見をしてきました。
近鉄橿原線の畝傍御陵前駅を出発。東に10分程歩くと水田の休耕地にホテイアオイの群生が見えてきました。布袋さんのお腹のような茎の上に薄青紫色の花が咲いていて約14000株が一面に広がっています。これは一見の価値ありです。見頃は8月下旬から9月いっぱいまでだそうです。大和三山の景観と深紅の彼岸花との競演も楽しみです。本薬師寺は天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して建立したお寺です。いまは小堂が建っているばかりですが、前庭には金堂の礎石が残されています。
本薬師寺から15分程歩くと藤原宮跡朱雀大路跡に到着。朱雀大路は藤原京を左京と右京に分ける幅24mのメインストリートです。この大路跡を北に10分程歩くと藤原宮跡に着きます。藤原京の中心施設である藤原宮があった場所です。この場所に立つと、北に耳成、東に香久山、西に畝傍の大和三山に丁度囲まれた平地であり、都城建設の絶好の場所であることを実感します。大化の改新以後の新しい国家の首都として造営された日本で最初の都市があった場所に立ってみるのも意義深いことかもしれません。
そろそろお昼。昼食場所の探索開始。晴れの場合はこの広場にするとしても、本番で雨が降った場合には適当な場所がなく、近くの野球場の簡易屋根の下しかありません。時間とルートをよく考える必要がありそうです。
藤原宮跡を後にして、西へ18分程進むとおふさ観音に到着。厄除け、子授け、長寿と老人病封じを願う人が多く訪れるそうです。また、ぼけ封じにもご利益があるそうです。
午後からの時間はかなり余裕があることから、急遽、対策を検討。本番では、午前中に橿原考古学研究所博物館を見学し、午後から本薬師寺、藤原宮跡をさるくルートに変更することに決めました。
次は、反省会会場探し。最寄りの八木西口駅前で探すも適当な店が見つかりません。さらに歩いて結局八木駅前で探し当てました。下見反省会でルートを再確認し、お疲れ様の乾杯をして下見終了。(手嶋 記)
以下の写真 本薬師寺のホテイアオイの群生(背景は畝傍山)、ホテイアオイの花
藤原京のど真ん中・朱雀大路跡を藤原宮跡方面へ歩く御三方、おふさ観音
8月26日(日)第46回関西さるく会「吹田さるく」を実施しました。
厳しい残暑の中、JR吹田駅に25名が集合しました。
各自暑さ対策をした上で出発。まず、片山神社へ。
風鈴の音が聞こえてはいますが、灼熱の太陽がギラギラと降り注いでいます。
眩しい光の下での集合写真。
次は、片山公園。図書館、体育館、プール、地下水を利用したせせらぎなど多くの公共施設が集まる健康と文化の拠点となっています。
木陰を求めてゆったりと散策した後、各自持参の弁当を広げての昼食。
午後からは、大阪ハリストス正教会へ。イイスス・ハリストスはイエス・キリストの日本正教会訳だそうです。
また、正教会は中近東からギリシャ、東欧、ロシアへ広がったことから東方教会と呼ばれることもあるとのこと。
さらにシベリアから北アメリカあるいは日本へ伝道したようです。
外見も立派な聖堂ですが、中に入ると、多数の聖像画に圧倒されます。そして精細な描写に感動します。
神父さんの解説を聞くことができ、皆さん敬虔な気持ちになったようです。
教会を後にして、メインイベントのアサヒビール吹田工場の見学へ。
1名加わり、まずはビデオで「うまい!」ビールを届けるための会社の取り組みにつて紹介。
続いて製造工程を順次見学。残念ながら製造ラインは稼働していませんでしたが、原料や製造工程をわかりやすく説明してくれました。
最後は、皆さんお待ちかねの試飲。まずはよく冷えた出来立ての一杯。思わず「うまい!」。
二杯目はブラック。さらに三杯目は「アサヒ 瞬冷辛口 生ビール」。
帰りには250ml缶まで頂き、アルコールを飲まない人にはソフトドリンクのサービスに皆さん大満足。
恒例の反省会は駅近くの珉珉へ。クールダウンタイムと思いきや話が弾んで大いに盛り上がりました。(23回生 手嶋)
35回生の大塚英彰さんから下見実施の報告が届きました。
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昨日、7月28日(土)午後より現地の下見に行って参りました。
参加者は、泉田、白垣、青木、大塚 の4名です。
以下に、当日の旅程を記載致します。
●開催日:2018年8月26日(日)
●集合場所:JR吹田駅東口
●集合時間:10:00
●出発時間:10:15
●ルート:以下の通り
吹田駅→片山神社→片山公園(昼食)
→大阪ハリストス正教会(内部見学)→アサヒビール吹田工場(13:30集合)
→反省会(ミンミン 吹田さんくす店)
●コメント
・暑いのでゆっくり歩きます(全長約3㎞です)
・大阪ハリストス正教会では、ロシア教会の中を拝見して敬虔な気持になりたいと思います。
・ビール工場見学と反省会は最大45人で予約しています。
・ビール工場見学だけの人は、工場の玄関で13:00頃に集まって下さい。
兵庫県地区役員の19回生太田さんから紀行文が届きました。
7月22日(日)、兵庫・清盛さるく、猛暑の中25人もの皆さんが参加されました。(小さい子供さん1人含む)
10時にJR兵庫駅に集合した後、事前にメールなどで連絡のあった暑さ対策に加え当日改めて熱中症対策のビラ配布とで注意をうながしました。
状況によりコースの変更あり、昼食場所の変更など説明した後、出発です。
今回は、平清盛にゆかりのある寺社や記念碑を巡る約4kmの行程です。
まず北東方向、日陰を探しながら福海寺へ。ここは清盛が好んだ「時雨の松」があったと伝えられている寺です。
僅かに残っていたとされる切り株も戦災や震災に会い、今は無く碑だけが残っていました。
次に向かったのは、七宮神社、清盛が経が島を築くために崩した山に祀られていた神の怒りに触れぬよう建立したと言われる神社です。
港の安全を祈願したと伝えられています。我々は本日のさるく会の安全を祈願して次の能福寺を目指しました。
能福寺は清盛が太政大臣を辞任した後、僧侶となるため出家の儀式をした寺と伝えられています。
清盛が京都で亡くなった後、寺の住職が遺骨を持ち帰ったとされ、お墓と伝えられる清盛廟があります。
境内には兵庫大仏と言われる台座からの高さ11mの巨大な大仏がありました。
明治時代に建立された大仏は、戦時中の金属回収で供出されたため、現在のものは二代目だとか。
折しも鐘楼の建設中で昨日上棟があり餅まきが行われたとか。1日違いで有り難い餅がもらえるところでした。
この頃になると皆さん暑さが段々と身にこたえてくるようになりましたが、午前中の休憩所イオンモールまでもうひと踏ん張りです。
大輪田泊の石椋(いわくら)、来迎寺を目指しました。
日宋貿易に力を入れた清盛は、港の修復に力を入れ大輪田泊の改築に手を入れます。
船の航行の安全を図るため、風よけとして経が島の埋め立てを行います。
その埋め立ての時に用いた石が石椋といわれるもので、後になって運河建設時に出てきたものとか。次は午前中最後の地来迎寺です。
ここには経が島埋め立ての際、人柱となったとされる松王丸の碑がありました。
また一説によると清盛は優しい性格で人柱などたてず埋め立ての石に経文を書いて沈めたとも言われています。
この後昼食タイムです。広大なイオンモールの中へ。
やっと涼を求められる場所にたどり着きました。フードコートで各自昼食の注文、弁当を広げる者も。1時間以上涼感に浸ったあと午後の部へ出発です。
清盛の遺骨が納められていると伝えられた清盛塚へ。大正12年の調査でここは墳墓でないことが確認されています。
涼しさに慣れた体は次の行程を許さずで、予定の薬仙寺を省略して最後の地へ。兵庫大仏、清盛像(清盛塚に建立)と見て最後の大物へ会いに!!
地下鉄に乗って新長田駅へ。駅近くの広場に見えたものは…鉄人28号の巨大な鋼鉄製の像でした。
高さ15m。漫画の主人公もこのくらいの大きさだったかも。阪神・淡路大震災の復興モニュメントとして建設されました。
この地近くの須磨の出身である横山光輝の代表作のひとつで、60代半ば以降の方々には昔懐かしい物語のヒーローです。
因みにこの鉄人28号と清盛とどんな関係が…??
作者の横山光輝は、鉄人28号の他三国志や伊賀の影丸、魔法使いサリーなど数々の有名な作品を残していますが、その中に平家物語もあるのです。
鉄人と別れて反省会会場へ。店の名前は富貴楼。疲れ果てた体を冷たい飲み物と温かい話でそれぞれに癒しました。
安全、健康に注意を払ったさるく会でした。熱中症、怪我などなく無事大物に出会える旅を終了出来たことに感謝です。
いろいろご協力頂いた南都さん(19回生)、松崎さん(25回生)にお礼申し上げます。
(19回生 太田記)
上段左から順に福海寺、七宮神社(川端さん)、兵庫大仏、大和田泊跡(川端さん)、大和田泊水門×2(川端さん)、イオンモールフードコート、お茶会、清盛くん像、清盛塚、鉄人28号、反省会、イオンモール(川端さん)。
第45回さるく会『平清盛・兵庫大輪田泊の地をさるく』7月22日)の下見を6月28日に、南都さん、松﨑さん、太田の3名が行ってきました。
“大物に出会える旅”
清盛が大輪田泊の大修築や、瀬戸内海航路の開発を手掛けて海上交易を活発化させ、さらに海外との貿易も手がけて日宋貿易を行うなど、
「海」を中心にした、新しい日本を模索した地をさるきます。
大輪田泊の修築では、人工島を築いて、安全な碇泊地を確保し、宋からの貿易船が入港できるようにしました。
対岸にある福原には大規模な都市を構築し、1180年には都を福原に移転(福原遷都)したゆかりの地です。
平清盛にゆかりのある寺社、記念碑などを巡る約4kmの行程です。期待の”大物とは?”
※大輪田泊(おおわだのとまり):奈良時代に僧の行基が設けたといわれる、瀬戸内海の交通の要衝であった五泊(ごとまり)の一
つ。現在の神戸港を指す。詳細案内はホームページのお知らせ欄をご覧ください。
集合場所はJR兵庫駅改札口を出て南広場。
(新快速は止まりません)
東方面からだと神戸駅で快速、普通に乗換
西方面からだと明石駅で快速に乗換
ルートは以下のように設定することにしました。“大物”期待のさるきです。
JR兵庫駅(集合) ⇒ 【福海寺】(時雨の松の碑) ⇒ 【七宮神社】 ⇒ 【能福寺】(平清盛廟、①兵庫大仏) ⇒ 【大輪田泊の石椋】⇒ 【来迎寺】(松王丸入海の碑・供養塔) ⇒ (イオンモールにて休憩) ⇒ キャナルプロムナード(兵庫城跡地) ⇒須佐野公園(昼食) ⇒ 【清盛塚、②清盛像】 ⇒ 【薬仙寺】(萱の御所跡など) ⇒ 地下鉄海岸線・和田岬駅・乗車~新長田駅・下車、 ③?(とある大物) ⇒ 富貴楼(反省会) ⇒ JR新長田駅(解散) 〇数字は大物
(19回生・太田 25回生・松崎記)
<能福寺・清盛廟> <大輪田泊の石碑> <築島寺・松王丸の石碑>
<能福寺・兵庫大仏> <清盛塚と清盛像> <???清盛もびっくりの大物>
6月24日梅雨の晴れ間。初夏を通り過ぎて盛夏を思わせる好天に恵まれました。JR太秦駅に29名が集合しました。今日のさるく会のメインテーマは地域再発見!秦氏ゆかりの史跡を巡り、更に映画の街をさるくという企画です.
まずは秦氏の由来について地区委員からの説明。養蚕、機織、酒造、治水の技術をもった渡来人説。はたまた、ユダヤ人説も飛び出し皆さん興味津々で太秦駅をスタート。
広隆寺、秦氏の氏寺。国宝20点。重要文化財48点。圧倒的な仏像群に思わず息を飲んでしまいます。とりわけ、2体の半跏思惟像は時間を忘れて見入ってしまいました。いさら井にも立ち寄って昼食タイム。その後は秦氏ゆかりの大酒神社、続いて蚕の社に参詣。
続いては、京都最大で、奈良飛鳥の石舞台と同じ規模の蛇塚古墳の見学。こんな町中にこれほどの規模の古墳がと思わず興奮!
ここからは、映画の街としての太秦さるく。
始めに、三吉稲荷。牧野省三の碑が建っています。長門裕之、吉永小百合、松方弘樹ら有名俳優が名を連ねています。東映、松竹の撮影所を通過して、オスカー像記念碑、大魔神像も見ました。
反省会は、キネマキッチンで。ここは、映画の上映設備の他、古い映画雑誌や貴重な台本を閲覧できるまちかど映画博物館とカフェスペースを併設。皆さんつんたか飲み物で喉の渇きを潤すや否や、皆冗舌に!話しは尽きず、時間切れ。いつもながらの楽しいさるく会がお開きと相成りましたー。(手嶋記)
6月3日(日)に田部さんご夫妻とともに下見を実施し、コース設定いたしました。
秦氏ゆかりの史跡と映画関連スポットをさるく、地域再発見のコースです。
太秦、意外と面白い街ですよ。どうぞお楽しみに!
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<本番当日の予定>
集合日時:6月24日(日)10時
集合場所:JR太秦駅改札前
コース(約5km):
JR太秦駅(集合)⇒①東映京都撮影所前(通過)⇒②いさら井⇒③広隆寺(800円)
⇒④蚕ノ社 ⇒⑤大酒神社⇒⑥三吉稲荷⇒⑦オスカー像(大映撮影所跡)
⇒⑧蛇塚古墳⇒⑨松竹撮影所前(通過)
⇒⑩大魔神像⇒⑪キネマ・キッチン(反省会)⇒JR太秦駅(解散)
各スポットの見所は、後日ご紹介いたします。