<6月23日(火)京都・西山>
一人さるくしてきました。
西山三山の一つ、善峯寺です。
いまは紫陽花が見頃です。
秋は紅葉、春は桜と四季折々に楽しめます。
24回生 S.N.
会員および会員の家族が親睦と地域再発見、そして健康増進を目的として、 関西のまちをぶらぶら歩く同好会
奈良と大阪の有志、11名で地域さるくを実施しました。今回はならまち界隈。
10時に近鉄奈良駅をスタート。東向き・もちいどの商店街を抜けならまちへ。江戸時代から明治時代にかけての風情溢れる街並みです。からくりおもちゃ館や中将姫伝説ゆかりのお寺などをさるいた後、奈良ホテルへ。本館は重厚で格式ある雰囲気でさるく会スタイルは場違いみたいですがスタッフのみなさんは快く対応してくれました。その後は5月24日にオープンしたばかりの瑜伽山(ゆうがやま)園地を散策し、浮御堂で記念写真。
あとはランチを残すのみ。奈良国立博物館や興福寺を経てイタリアンカフェへ。さるいた後の心地よい疲れを吹き飛ばしてくれる料理とおしゃべりに満足し地域さるくを無事終了しました。福地記(19回生)
私は暫くはWebで長崎の想い出の場所、主に小学生・中学生のころの想い出の場所をさるいて見ます。
今日はWebさるく第二弾、夫婦川から桜馬場中学付近をさるいてみました。
第一弾でさるいた片淵中学校をあとにして、経済学部のグランド横のバス道路を新大工町に向かって歩いていく。
西明寺前の交差点から夫婦川町に入ってみた。
小学生のころまでは、よくこの路地を通って“しろんこし”に遊びに行った。
途中、涸れない名水として有名な井戸“トッポ水”があるが、遊びの行き帰りで水分を補給したところ。
(今は使用(飲用)禁止。水神様として祀られている)
名前の謂れは、『その昔、行脚の途中に立ち寄った弘法大師が水涸れに苦しむ人々を見て、仏具の独鈷(どっこ)で地面を突いたところ、清水が湧き出した』と書かれてある。
“トッポ水”横の階段を上がって行くと、友人の実家・A旅館があったところで左に曲がる。
上っていくとすぐに、“春徳寺”の裏にでる。
左へ行くと“しろんこし”、右へ行くと“桜馬場”だ。
“しろんこし”での遊び場は、頂上の笹が茂る原っぱか、写真の石切場跡。
いま思うとかなり危ないところで遊んでいた。
鳴滝の友人の家にもよく遊びに行った。
また、桜馬場中学校の正門近くの模型屋で、戦艦・榛名のプラモデルを買ったのをよく覚えている。
春徳寺の正面へ回り、石垣の横を下って行くと桜馬場中学校の校舎が見えてくる。
今日は、運動場の横を下り、伊良林方面に、電車道まで出てみる。
播磨の25回生T.M.
2020年6月16日(火) 長崎をWebでさるいたら
片淵町をさるいていたら、“城の古址(しろんこし)”近くの高台に母校・片淵中学校を見つけました。
平成15年に写真のような新校舎となっていました。
その昔、“しろんこし”にあった長崎甚左衛門の山城『鶴城』を模した校舎だそうです。
“鶴の港”ににらみをきかす『鶴城』、なんとまあ素晴らしい!
天守4階は何部屋?、校長室?、展望所?と思い調べたら、高架水槽でした、想定外!
“長崎甚左衛門”とは何者?と思い調べていると、“長崎”という地名の由来につきあたりました。
(ちなみに、甚左衛門は開港当時、今の長崎を治めていた武将でした)
かつて、長崎の地は、諏訪神社のあたりから市役所、県庁まで高台がつづく長い坂があり、“森崎”という地があったようです。
当時の様子がわかる風景絵図をご覧下さい。
絵中、中央下には出島、その少し上に出城(現県庁付近)、絵図中央から北に向かって中島川をさかのぼると橋が幾つかあります。
そのいずれかが眼鏡橋でしょうか。
更にさかのぼると、現伊勢神社があるあたりから北東へ向かうと伊良林や蛍茶屋、北へ向かうと片淵ですね。
分岐の北に小さく諏訪神社、諏訪ノ森がみえます。
ここから、出島方面へ向かって高台がつづく長い坂の崎、だ・か・ら、“長崎”なのだそうです。
播磨の25回生T.M
真夏日の熱い中、奈良県在住の仲良し三夫婦(Iさん、Mさんともに24回生、Fさん19回生)が今月から始まった『地域さるく』に挑戦しました。今回のコースは佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)を巡る6.5キロです。
近鉄新大宮駅を出発後、国内最古の公開図書館「芸亭(うんてい)」跡を経てウワナベ古墳へ。いつもは車で見る風景ですが間近に見るのは初めて。その後、航空自衛隊幹部候補生学校へ。警備中の気さくな隊員さんと一緒に男性軍は記念撮影。一応基地内を見学させてとお願いしましたが事前予約がないとダメだとか。仕方なく退役済みの戦闘機を金網越しに撮影しました。
次はコナベ古墳から磐之媛御陵。仁徳天皇の皇后の御陵です。磐之媛皇后は凄い恐妻だったとか、もちろん女性軍を撮影。(意外とすんなり撮影させていただきました(笑))
午前中は平成天皇陵を最後に平城宮跡でお弁当タイム。東屋のベンチで仲良く食事を楽しみました。
食後は徳川綱吉に生類憐みの令を進言した隆光大師のお墓を見学。天下の悪法提案者とは言え、東大寺大仏殿の再建など奈良にとってはいいお坊さんだったとか。
その後は垂仁天皇の皇后、日葉酢媛陵や成務天皇陵・孝謙天皇陵を巡って、最後に日本最強の皇后を祀った、神功皇后陵を参拝。暑さに負けず、コロナに負けず、全ての古墳の踏破です。
達成感いっぱいの各人はもちろん涼を求めて平城駅前のカフェに。冷たい飲み物と楽しいおしゃべりは一日の疲れを癒してくれました。福地記(19回生)
うれしい「ちょっとさるく」の報告です。
今年度関西の大学に進学された72回生のみなさんのさるく初挑戦です。コロナ禍で大学は全てオンライン授業。下宿で待機される方、実家で待機される方、それぞれが住まいの近くでさるいた記録です。
<5月23日(土) 長崎 浦上~長崎駅~市民会館 約7キロ>
まだ長崎にいるので長崎の家周辺を散歩しました。家のまわりには心安らげるような自然が少ないので、変わりゆく長崎コースを散歩しました。
載せた写真は順番に「新旧浦上駅」「ブリックホール近くの旧踏切とJRの新線路」「宝町の新幹線線路」「新長崎駅」「出島メッセ長崎(建設中)」です。久しぶりに陽の下へ出ましたが、長崎もどんどん変わってます。関西へ戻り、いつか帰ってきたらまた変わってるだろう長崎が楽しみです。道中、変わってない懐かしいものもありました。東高まで登ろうか迷いましたが引きこもり約2ヶ月の体にはきつかったのでやめました。明日東高へ行こうかなと思ってます。今回の散歩は、思い出を振り返るいい機会となりました。みなさんも、時間が出来たら長崎へ戻ってみてください。変わる長崎と変わらず残ってる長崎があるはずです。Y.S(72回生)
<5月23日(土) 長崎 東長崎 約4キロ>
今回の散歩が1週間ぶりの外出です。実家が丘の上の団地にあるので、団地の中をぐるっと一周しました。バス通学が長く、団地の中を歩いたのは小学校を卒業して以来6年振り。名所も旧跡も目を見張るような絶景もないありふれた散歩道ですが、小学校時代の思い出に浸りながらのんびり歩きました。R.S(72回生)
<5月11・24日 浦上 4キロ>
別々の日なのですが、近所に散歩に行きました。
最初の写真は松山の原爆落下中心地付近です。猫がセットで、長崎らしい景色でした。
次の写真は浦上天主堂付近です。教会の正面にある公園は夏まで全面的に工事するそうです。この周辺は最近観光地化が進んでいて、道もきれいになりました。今後の変化が楽しみです! Y.H(72回生)
<5月24日(日) 長崎 長崎東高 7キロ>
今回は家から我らが母校長崎東高校まで歩いて来ました。バス通りではない道を歩いたので道中の写真はどこか分かりずらいかもしれませんが立山あたりから眺めた長崎の街の風景です。校舎などは自分が卒業してから全く変わっていませんでした。(数ヶ月じゃあ変わりませんよね)現在東は分散登校で学校が再開しており、明日からは通常通りに再開するようです。自分は吹奏楽部だったので、後輩たちにも会ってきました。コンクールがなくなって落ち込んでると思ってましたが、みんな前向きに次の目標(定期演奏会)に向けて頑張ってるようです。私たちもコロナ明けの生活から頑張りましょう!他の道の写真をとろうと思ってたんですが忘れてました。長崎に帰ってきたら”ぜひ”母校の東にも行ってみてください! Y.S(72回生)
<5月30日(土)滋賀県近江八幡市 3.85キロ>
明日から雨が降り出すということで行ってきました!大学の友人と初めて電話しながら歩きました。リモート散歩になるのでしょうか。折角なので「さるく」という言葉の意味も紹介してみました。
近江八幡は駅から離れるとすぐ田んぼが広がっています。丁度田植えが終わった頃です。見渡す限り平らで長閑な風景でした。写真写りは少々地味かもしれませんがいい所です。
彦根はまた全然違った土地なので、彦根に移りましたらまた投稿したいです。
P.S.最後の写真は、滋賀に大量に出没していることで有名な「飛び出し坊や」です。今回は女の子しか見つけられませんでしたが、驚くほど沢山いるので探してみてください!M.M (72回生)
『ちょっとさるく』Vol.6は4件の報告になりました。
5月24日(日) 加古川 鶴林寺 泊神社 約5km
自宅近くにある播磨の法隆寺と呼ばれる鶴林寺を訪ねました。
聖徳太子の命により建てられた寺は、本堂、太子堂が国宝になっています。
その後、ちょっと足を伸ばして宮本武蔵の(甥で)養子の伊織が浄財を寄進して
社殿を再建したという泊神社を訪ねてみました。
外気温は夏、帰って一人で反省会をしました。
(Y.O 19回生)
5月24日(日) 奈良 多神社 約4.5km(往復)
自宅から2km強の定番の散歩コース。
明日香から大和平野を北上して流れる飛鳥川沿いに『多』という土地があります。
三輪山の朝日、二上山の夕日、畝傍山の真北という立地から太古からの神祭り聖地でした。
弥生時代に多氏が支配していた集落の遺跡としても著名です。
『古事記』の編者で『日本書紀』の編纂にも加わったとされている太安万侶(おおのやすまろ)も祀られています。
田植えの準備に余念のない田園風景の中をのんびりさるきました。
(T.T. 23回生)
5月24日(日) 奈良大和郡山 筒井 11.7キロ
筒井城あとを見学。室町~戦国時代に大和の国の政治の中心だった模様。帰りは広大な金魚池を見ながら帰宅。(S.I夫妻 24回生)