2016年10月23日(日) 第24回関西さるく会お知らせ第2弾

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明日香さるくのお知らせ第2弾です。

◆アクセス:今回は遠いので10時2分到着の電車を案内します

 ◇大阪から:JR大阪 8:43発(環状線大和路快速奈良行)~JR天王寺着 8:59~(徒歩)~近鉄大阪阿倍野橋 9:20発(近鉄南大阪線急行吉野行)~近鉄飛鳥10:02着
 ◇京都から:近鉄京都 8:40発(近鉄京都線急行橿原神宮前行)~橿原神宮前 9:51着~橿原神宮前 9:58発(近鉄南大阪線吉野行)~近鉄飛鳥10:02着

もしもう少し早く着きたい方は 
 ◇大阪から:JR大阪 8:17発(環状線西九条方面)~JR天王寺着 8:38~(徒歩)~近鉄大倍野橋 8:50発(近鉄南大阪線急行吉野行)~近鉄飛鳥9:34着
 ◇京都から:近鉄京都 8:06発(近鉄京都線急行橿原神宮前行)~橿原神宮前 9:18着~橿原神宮前 9:30発(近鉄南大阪線吉野行)~近鉄飛鳥9:34着

◆見どころ

<岩屋山古墳>7世紀中ごろの古墳。墳丘は本来は、1辺約54m前後、高さは12mの規模で2段の方形墳と推定されるが西側の封土半分は削り取られている。大王(天皇)の墓である八角墳との説がある。被葬者は667年に葬られた斉明天皇だとも言われている。横穴式の石室は羨道の入り口から玄室の奥まで、側壁は3段積み・2段積みを併用しており各壁とも、少しずつ内側に傾いている。大きな一枚岩の天井石や側壁の石は花崗岩でできており、内面は美しく加工されている。

<高松塚古墳>7世紀末から8世紀初頭の終末期古墳で、下段直径23m、上段18m、高さ5mの二段式の円墳。2005年の発掘調査によって、藤原京時代の古墳と確定。被葬者は天武天皇の皇子、もしくは臣下、また朝鮮半島系王族ではないかと言われている。石室は凝灰岩の切石を組み立てたもの。壁画は石室の4面にあり、星辰(星座)や青龍、白虎、玄武、そして飛鳥美人で有名な女性群像などが描かれています。棺は漆塗りの木棺。鎌倉時代に盗掘にあうも副葬品は大刀金具、海獣葡萄鏡、玉類(ガラス製、琥珀製)などが残存。

<天武・持統天皇陵> 古墳名は野口王墓古墳といい八角形墳。1235年に盗掘されたときの実見記で内部状況が詳細に記録されている。それによると石室の全長は7.7ⅿで玄室の中には奥に漆塗りの木棺、その前に銀製の骨臓器があった。奥のものは天武天皇の棺でその前は統天皇陵のもので日本書紀の記述とも一致し、被葬者がほぼ特定された。持統天皇が天皇として初めて火葬されたのは大化2年の薄葬令による。さらに自身の墳墓も待たずに夫の天武天皇陵に合葬された。

<飛鳥宮跡>最も上層の飛鳥板蓋宮は乙巳(いっし)の変(645年)の舞台で、指定時は地元の言い伝えを基に名付けられました。その後の発掘調査で、古い順から飛鳥岡本宮▽飛鳥板蓋宮▽後飛鳥(のちのあすか)岡本宮▽飛鳥浄御原宮(きよみがはらのみや)の4遺構が重なっていることが判明。694年の藤原京(同県橿原市)への遷都までは天皇ごとに宮が造営されることが一般的で、四つの宮の総称として「飛鳥宮」とし、実態を反映した。史跡には飛鳥浄御原宮時代の石敷きの広場や石組みの大井戸が復元されている。

<石舞台古墳>この古墳は早くに墳丘の盛り土が流出し、石室が露出したためこの名前で呼ばれるようになった。内部は花崗岩の巨石を積上げた横穴式石室で全長は19.1ⅿ、高さ4.7ⅿ、幅3.4ⅿである。また玄室内には家形の石棺が収められていた。石室の形態から7世紀前半の築造と考えられ、蘇我馬子の墳墓の可能性が高い。

<都塚古墳横穴式石室に家形石棺を収めた6世紀後半(古墳時代後期)の築造で、被葬者は蘇我稲目と推定される。 類例のほとんどない「階段ピラミッド」形状を持つ古墳として知られる。

古代の歴史と日本の原風景を仲間と訪ねてみませんか!お待ちしています。

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