三田村 嘉也 10回生 「杖と共に有りぬ」

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関西同窓会の初代の会長を務めさせていただいた10回生 三田村 嘉也です。
第1回の「さるく会」から参加し十数回まで真面目に参加していました。最も印象深いのが2015年(なぜか特別行事)背割堤での「さるく会」です。花見が目的でしたが生憎の強い雨、それでもテント持参の気の利く豪の仲間がいて、その中で約8人が膝を突き合わせて挙行。辺りを見回しても花見を強行しているのは我々だけ。テントの中からでは桜は見えず、テント設営の場所が大きな川の傍で川面の増水を気にしながら美酒美食と歓談の花に酔いしれたひと時でした。雨は降り止まず下着まで濡れてくるのを感じたあたりで解散
。今では懐かしい思い出ですが「増水で中高年の数名が遭難」等の恥ずかしい事件にならなくて良かったと思っています。
歳月は流れて私も81歳を超え、今では足腰がサダマラズ、昨年初めから念の為、杖を使い始めました。所が9月初めの昼時、散歩途中その杖に足を取られ道路で転倒。額を強打し出血ひどく救急車で病院の世話になり10針ほど縫って2時間ほど安静。翌日から約1ヶ月、脳と眼の経過観察のため通院。新年を迎え、やっと普通の生活に戻りました。が膝、腰の違和感と、経年変化で安定感を欠いてきた脳波の狂いは進捗が早まっているように感じます。用心のため使い始めた「杖」の所為でゴルフも、さるく会も遠く去り、TVを見ればコロナ禍ばかり。うつむき加減な日々に「明日はまた、新たな陽が昇る」ダロウと自分に言い聞かせ、人生の残照を浴びつつ 杖を労いながらの今日この頃です。
 関西東高同窓会・諸兄に幸あれ!

次は一緒にゴルフを楽しんだ26回生の中嶋新太郎さん、よろしくお願いいたします。

三田村 嘉也 10回生 「杖と共に有りぬ」」への5件のフィードバック

  1. 三田村先輩が最も印象深かったさるく会として紹介された『背割り堤の花見』は文字通り”特別”でした。
    確かに見事な桜が咲いていました!
    が、それにも増してテント酒は格別にうまかった!
    そして、テントを仕舞い始めたころ、雨に濡れた赤ら顔の千鳥が数羽、桜吹雪の中にいましたね。
    懐かしいシーンが蘇ってきました。

    • ジョウモン・手嶋さん
      コメントありがとうございます。懐かしいですね。
      あの雨の中の「さるく会」については もっと面白く描写したかったのですが 
      字数制限が気になって 切り詰めた作文になり、ちょうど「もうすこし飲みたい」と
      いうところで酒席を立ち上がった感じになりました。 しかし とにかく私の場合は コロナワクチンを打って ゆったりとお会いしたいものですね。 転倒ショックで酒量も自ずと少なくなりましたが 楽しい会話の場が待ちどうしいです。
      では お元気で!   

      • もう少し飲みたいと言うところで止めることができるのが風流人。凡人は抑えが利かかない。しかも何度も繰り返す。反省はするけど一時のこと。もうそろそろ風流人の域に辿り着かねば!
        三田村先輩、ささもう一献お注ぎいたしましょう。てな具合にいきたいものですね。風流の領域内で。

  2. 三田村相談役、お怪我が治って普通の生活に戻れて良かったです。
    10年一昔といいますが、設立準備委員会のころを思い出しました。準備委員長(設立の上は会長)を引受けていただき、若い(?)我々を悠揚迫らず引っ張って、かつ後押ししてもらいました。
    いま、会の活動はままなりませんが、工夫して出来ることを続けたいと思います。
    お体をおいといください。それから杖も。

    • 平会長 さん
      コメント有難うございます。どうやら 普通の生活をしておりますが 
      転倒ショック以来 身体を動かすにも お酒も口にするにもトラウマ的後遺症が
      あり以前の元気さとは なにか違うものを感じています。これが老いの進行か…
      など考え込みます。
      転倒した時は 眼鏡は飛び 眼鏡枠は曲がり、腕時計はガラスが割れ ショックのヒドサが 暫くして判りました。転倒は予想以上にダメージが大きいです。貴兄に於かれましても十分に お気をつけあれ。尚 その後杖には 「滝谷不動」のお守りをぶら下げて常の安全祈願をしております。 再会を楽しみにしています

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