叡山電鉄出町柳駅に14名が集まりました。昨夜からの大雨も上がり、まずまずの空模様の中、京都市北東部にあたる岩倉地域をさるきました。
まずは、出町柳駅から鞍馬線に乗り岩倉駅で下車しました。ここから最初の目的地「実相院門跡」を目指します。徒歩で約20分くらいですが、半分ほど行ったところでどしゃ降りの雨に会い、濡れながらの到着となりました。実相院は元天台宗の寺院、また、門跡寺院とは住職を天皇家の血を引く方々が務めた格式の高い寺院をいいます。御所の近くにあったのですが応仁の乱の戦火を逃れ、岩倉に移ってきたと伝えられています。庭の樹木が床に映る「床みどり」「床もみじ」が有名ですが、今回は光や風のせいもあり少しボンヤリでした。室内は撮影禁止、「少しくらいは」と抵抗した人もいましたが、「小学生でも理解されています」という返事。かわりに、四季の移り変わりをビデオで視ることができ、取りあえず満足しました。見学の終わり頃には、何と雨が上がり、予定通り寺院前の公園で昼食をとることができました。
公園から2~3分で次の目的地「岩倉具視幽棲旧宅」へ移動。中には茅葺きの旧宅と「対岳文庫」の二つの建物があります。今回は、管理を委託されている造園会社の方に説明をしてもらうことができました。岩倉具視は公家のランクは下でしたが、当時の天皇が広く意見を求めたことで頭角を表わしました。当初は、婚姻政策など朝廷と幕府の協力強化の方針だったため、尊攘派から追放され、1864年~1867年の間、岩倉に幽棲することになりました。坂本龍馬、中岡慎太郎、大久保利通と岩倉で会談後、洛中帰任を許され王政復古に尽力、明治維新・新政府で活躍しました。
余談ですが、旧宅の障子戸は、大正ガラスがはめ込まれ昔懐かしい風情があります。加山雄三さんの母方の血縁をたどると加山さんは岩倉具視の玄孫になるとの話、みんな「へぇー」と言ったあと、大先輩のHさんが「私、聞いたことがあるよ」、もう一度、「へぇー」と楽しいひとときを過ごしました。「対岳文庫」は岩倉具視の遺品や資料を収蔵するために、1928年に建設されました。設計者は昭和を代表する建築課の武田五一です。対岳の岳は比叡山をさしています。
旧宅を出た後は、岩倉川に沿ってさるきました。川に「ハヤ」の魚影、第一発見者は勿論釣り師27回生Kさんです。
しばらく行くと右手に岩倉地名の由来と伝えられている山住(石座)神社があります。古神道の形が今も残っており(880年には存在の記録あり)、社もなく、大きな岩が祀ってあるだけなのですが近寄ると空気もヒンヤリ、神域を感じました。さらに下り、岩倉駅で5名の方と別れ、国際会議場駅へ向かいます。途中、白鷺も川面に飛来し、いつの間にか”さるく日和”になっていました。駅到着直前で、いつものように19回生Fさんがお楽しみ会のできる飲食店を発見、楽しい一日を無事終了することができました。
参加者の皆さん、有り難うございました。
23回生田部