2018年7月22日(日) 第45回関西さるく会を実施しました

兵庫県地区役員の19回生太田さんから紀行文が届きました。

7月22日(日)、兵庫・清盛さるく、猛暑の中25人もの皆さんが参加されました。(小さい子供さん1人含む)
10時にJR兵庫駅に集合した後、事前にメールなどで連絡のあった暑さ対策に加え当日改めて熱中症対策のビラ配布とで注意をうながしました。
状況によりコースの変更あり、昼食場所の変更など説明した後、出発です。
今回は、平清盛にゆかりのある寺社や記念碑を巡る約4kmの行程です。
まず北東方向、日陰を探しながら福海寺へ。ここは清盛が好んだ「時雨の松」があったと伝えられている寺です。
僅かに残っていたとされる切り株も戦災や震災に会い、今は無く碑だけが残っていました。
次に向かったのは、七宮神社、清盛が経が島を築くために崩した山に祀られていた神の怒りに触れぬよう建立したと言われる神社です。
港の安全を祈願したと伝えられています。我々は本日のさるく会の安全を祈願して次の能福寺を目指しました。
能福寺は清盛が太政大臣を辞任した後、僧侶となるため出家の儀式をした寺と伝えられています。
清盛が京都で亡くなった後、寺の住職が遺骨を持ち帰ったとされ、お墓と伝えられる清盛廟があります。
境内には兵庫大仏と言われる台座からの高さ11mの巨大な大仏がありました。
明治時代に建立された大仏は、戦時中の金属回収で供出されたため、現在のものは二代目だとか。
折しも鐘楼の建設中で昨日上棟があり餅まきが行われたとか。1日違いで有り難い餅がもらえるところでした。
この頃になると皆さん暑さが段々と身にこたえてくるようになりましたが、午前中の休憩所イオンモールまでもうひと踏ん張りです。
大輪田泊の石椋(いわくら)、来迎寺を目指しました。
日宋貿易に力を入れた清盛は、港の修復に力を入れ大輪田泊の改築に手を入れます。
船の航行の安全を図るため、風よけとして経が島の埋め立てを行います。
その埋め立ての時に用いた石が石椋といわれるもので、後になって運河建設時に出てきたものとか。次は午前中最後の地来迎寺です。
ここには経が島埋め立ての際、人柱となったとされる松王丸の碑がありました。
また一説によると清盛は優しい性格で人柱などたてず埋め立ての石に経文を書いて沈めたとも言われています。
この後昼食タイムです。広大なイオンモールの中へ。
やっと涼を求められる場所にたどり着きました。フードコートで各自昼食の注文、弁当を広げる者も。1時間以上涼感に浸ったあと午後の部へ出発です。
清盛の遺骨が納められていると伝えられた清盛塚へ。大正12年の調査でここは墳墓でないことが確認されています。
涼しさに慣れた体は次の行程を許さずで、予定の薬仙寺を省略して最後の地へ。兵庫大仏、清盛像(清盛塚に建立)と見て最後の大物へ会いに!!
 地下鉄に乗って新長田駅へ。駅近くの広場に見えたものは…鉄人28号の巨大な鋼鉄製の像でした。
高さ15m。漫画の主人公もこのくらいの大きさだったかも。阪神・淡路大震災の復興モニュメントとして建設されました。
この地近くの須磨の出身である横山光輝の代表作のひとつで、60代半ば以降の方々には昔懐かしい物語のヒーローです。
因みにこの鉄人28号と清盛とどんな関係が…??
 作者の横山光輝は、鉄人28号の他三国志や伊賀の影丸、魔法使いサリーなど数々の有名な作品を残していますが、その中に平家物語もあるのです。
 鉄人と別れて反省会会場へ。店の名前は富貴楼。疲れ果てた体を冷たい飲み物と温かい話でそれぞれに癒しました。
 安全、健康に注意を払ったさるく会でした。熱中症、怪我などなく無事大物に出会える旅を終了出来たことに感謝です。

いろいろご協力頂いた南都さん(19回生)、松崎さん(25回生)にお礼申し上げます。 
                              (19回生 太田記)

上段左から順に福海寺、七宮神社(川端さん)、兵庫大仏、大和田泊跡(川端さん)、大和田泊水門×2(川端さん)、イオンモールフードコート、お茶会、清盛くん像、清盛塚、鉄人28号、反省会、イオンモール(川端さん)。