2017年8月27日(日) 第34回関西さるく会のお知らせ第2弾

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今回の見どころです。たくさんの参加をお待ちしています。(19回生 太田記)

❏明石城と武蔵の庭園
現在の明石城は、1618年徳川二代将軍秀忠が西国諸藩に対する備 えとして、藩主小笠原忠真(ただざね)に築城を命じたことに始まる。 秀忠は、姫路城主であった本多忠政の指導を受けるように命じ、また幕
府は多額の営繕費用と普請奉行を派遣し、幕府直営として本丸、二の丸、 三の丸の工事を行った。その後藩主小笠原忠真により櫓、御殿、城門、 土塁などの工事が行われ、1620年に完了したが、天守台の石垣は築 かれたものの天守は建てられなかった。現在は、本丸跡に三重の櫓2基 が残っているだけである。
城の建つ明石公園には、城を見上げるように「武蔵の庭園」といわれるものがある。 剣豪として知られる宮本武蔵は、書や画でも名を成す文化人でもあって、明石城内外での造園や町づく りを指揮したと伝えられている。武蔵の出生地は播磨の國説が有力(著書「五輪書」に記載)で明石城築 城の折は、姫路城主本多忠政の客臣であったといわれている。また、養子であった伊織は明石城主小笠原 忠真に仕えた。  武蔵と明石のかかわりは、享保年間の「明石記」に町割りを指揮したことが残っている。庭園は、明石 と武蔵の関係を象徴するものとして、2003年に新設されたもの。

❏明石市立天文科学館と子午線標識
日本標準時の基準となる東経135°の子午線の真上に立つ天文科学 館。1960年(昭和35年)に建てられ「時と宇宙の博物館」として 親しまれている。高さ54mの塔頂には直径6.2mの大時計があり、日本の標準時間を刻んでいる。館内にあるプラネタリウムは特に有名で、 自然の星空を再現できるよう作られ、満天の星空の美しさが楽しめる。  他にも、時のギャラリー、天文ギャラリーをはじめとする展示室、天 体観測室、360度の大パノラマが見られる展望室など宇宙と時の空間 が広がりをみせる。
玄関前の子午線上には、漏刻(漢の時代に中国で作られた水時計)や 6月~8月にかけては館の正門近くにトケイソウなどの可愛い花も見ら れる。科学館の時計塔をはじめ、電車の駅や国道に沢山の子午線を表示 する標識やモニュメントがあり、時のまち明石を象徴している。

❏魚の棚商店街と明石焼
「時のまち」と双璧をなす「食のまち」を表す明石の代表的観光地が魚の棚である。JR 明石駅の南側を走る国道2号からさらに南へ少し下っ た所にある、東西350mのアーケード街が魚の棚商店街とよばれる。 明石城築城と前後して開かれ400年あまりの歴史を持っている。当時 の町割りでは町の中央部の当地区は、東魚町、西魚町に分かれ明石港周 辺に荷揚げされた魚は生きたものは東魚町へ、干し物、練り製品にする
ものは西魚町へ運ばれていたそう。魚の棚の名前は奥までずらりと並べ た「陳列の様子」からよばれるようになったとか。以前は県下内陸部や 周辺各地から冠婚葬祭、正月用品の鮮魚、塩干物を求める人たちで賑わ いをみせた。現在でも威勢の良さと活気に溢れ、明石鯛や明石蛸などを求め、周辺各地から大勢の人たち が訪れている。
この魚の棚商店街を中心に周辺各地には70近くの明石焼の店が軒を並べている。たこ焼のルーツは 明石焼にあると言われ、こちらが本家と言えそう。  鶏卵、じん粉、小麦粉、タコを材料に調製され、タコ焼に似た丸い形だが、フワトロとしたところが特 徴。たこ焼と違うところは、だし汁につけて食べる、銅鍋で調理、あげ板に乗せて出すなど。

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