第41回関西さるく会「舞子さるく」が開催されますが、25回生松崎さんが作成された見所の資料が世話役の19回生太田さんを通じて届いております。
開催日時:2018年3月25日(日)10:00集合
集合場所:JR舞子駅改札口を出て「橋の科学館」へ向かう海側・南側の連絡通路広場
さるくコース:JR舞子駅(集合)⇒明石海峡大橋【橋の科学館】⇒【海上プロムナード】⇒舞子公園(昼食)⇒【孫文記念館】【旧武藤山治邸】⇒【五色塚古墳】⇒舞子浜公園⇒【TOOTH TOOTH Paradise Kitchen】(反省会)⇒反省会⇒現地解散(各自 JR垂水駅まで無料連絡バスを利用)
以下、資料です。
【橋の科学館】
本州四国連絡橋は風、地震、潮流、複雑な海底地形などの自然条件、輻輳する航行船舶、漁労船など海峡を取り巻く厳しい建設条件などを様々な技術開発と創意工夫により克服し、調査から40年の歳月を費やし完成しました。 「橋の科学館」は、その本州四国連絡橋のうちでも世界一を誇る明石海峡大橋を主体に本州四国連絡橋の建設に使われた、世界最高水準の架橋技術を一堂に集め、人々の知的向上心を高める学習の場として、また架橋技術の広報の場として本州四国連絡橋公団が設置したサイエンスミュージアムです。パネル・模型や実物模型、映像を駆使しての技術紹介、空中には長さ40mの風洞模型、さらには日本および海外の架橋プロジェクト構想、また3D立体映像による明石海峡大橋などの建設記録の上映など海洋架橋技術の数々を余すところなく体験することができます。
【舞子海上プロムナード】
世界一のつり橋「明石海峡大橋」の神戸市側に添加施設として同時施工され1998年4月5日に開設された舞子海上プロムナードは、海面からの高さ約47m、陸地から約150m、明石海峡へ突出した延長約317mの回遊式遊歩道です。 海上プロムナード入口1階は明石海峡大橋をわかりやすく解説した資料やDVDシステムがあります。また8階展望ラウンジには明石海峡大橋の主塔の高さ約300mにのぼった気分が味わえる展望カメラシステムがあり明石海峡大橋を眺望しながらゆっくり休憩していただけます。スリルを体感したい人には「海上47mの丸木橋」をおすすめします。
【夢レンズ】
明石海峡大橋生みの親の顕彰碑
半世紀の技術の結晶として完成した明石海峡大橋の生みの親である原口忠次郎博士(第12代神戸市長)の偉業を称え、明石海峡大橋架橋5周年にあたり、記念の碑が建立されました。 三種の異なった岩肌によるメビウスの輪は人、自然、科学を、そして明石海峡大橋が結んだ本州を淡路、四国を表しています。この三つの層が調和し、円空から未来への発展を展望しています。
【孫文記念館(移情閣)】
八角堂がシンボル(国指定重要有形文化財)
ノスタルジックな面影を漂わす3階建ての八角堂がシンボルの「移情閣」は、大正4年に神戸の貿易商・呉錦堂が建てた別荘です。昭和59年には「孫中山記念館」として一般公開され、かつてここを訪れた中国革命家孫文に関連する資料を展示しています。平成5年12月10日「県指定重要有形文化財」、平成13年11月14日「国指定重要有形文化財」に指定されました。
孫文 (1866-1925 中国の革命家,政治家)1894年ハワイで反清朝の革命秘密結社興中会を組織。広州で武装蜂起に失敗し、日本に亡命。明治38年東京で中国同盟会を結成,民族・民権・民生の三民主義をかかげる。1911年辛亥革命がおきるとアメリカから帰国し、翌年中華民国の臨時大総統となったが、袁世凱にゆずり辞任。以後、袁の帝政運動、反動軍閥とたたいましたが、日本亡命。1917年広東政府を樹立、1919年中国国民党を結成、1924年第1次国共合作を実現して総理に就任。1925年3月12日に60歳で死去。「国父」とよばれています。
【旧武藤山治邸】
コロニアル様式の西洋館
「旧武藤山治邸 (旧鐘紡舞子倶楽部) 」は、鐘紡の中興の祖と言われ、衆議院議員として活躍した武藤山治(1867年―1934年)が、明治40年に舞子海岸に建てた住宅です。武藤山治が亡くなった後、平成19年には建物と共に家具・絵画および蔵書等調度品についてカネボウ㈱より兵庫県が寄贈を受け、県立舞子公園への移築・修復工事を行なってきました。平成23年7月に登録有形文化財に登録されています。
【五色塚(千壺)古墳】
神戸市西部の垂水丘陵南端部にある築造された巨大前方後円墳です。築造当時の姿へと復元整備もされており、日本では最初に復元整備が行われました。墳形は前方後円形で、前方部を南方に向けています。墳丘は3段築成。墳丘長は194メートルで、兵庫県では最大規模です。墳丘表面の各段には円筒埴輪列が巡らされているほか、各段斜面には葺石が葺かれています。特に埴輪は推計2,200本、葺石は推計223万個・2,784トンにおよび、上段・中段の葺石は淡路島産です。墳丘周囲には深い周濠・浅い外部周溝が2重で巡らされており、濠内には墳丘くびれ部左右・後円部北東の3か所に方形の島状遺構を有しています。この五色塚古墳は、墳形・出土埴輪から古墳時代中期の4世紀末-5世紀初頭頃の築造と推定されています。被葬者は明らかではありませんが、明石海峡やその周辺を支配した豪族首長と推測されています。古墳域は、1921年(大正10年)に小壺古墳の古墳域と合わせて国の史跡に指定され、2012年(平成24年)には、出土品(円筒埴輪群)が国の重要文化財に指定されています。
小壺古墳 墳丘は2段築成。下段直径は70メートル、上段直径は43メートル、墳頂高さは約8.5メートルで、円墳としては茶すり山古墳(朝来市、直径86メートル)に次ぐ兵庫県第2位の規模です。ただし墳丘が周辺道路の下まで及ぶため、現在は元来の2段では復元されず、盛土をして1段に成形して保護されています。