2017年7月29日(土) 第27回常任幹事会を実施しました

 第27回常任幹事会を11名の出席のもとIDMビル会議室にて実施しました。

 下記の検討を行いました。
①第6回総会準備について
②会場選定プロジェクト報告
③第35回さるく会(学生歓迎会。万博公園:BBQ)について
④関西長崎県人会総会報告
⑤「同窓会だより」第6号 編集・発送について
⑥2018年度さるく会実施計画の報告

2017年7月21日(金) 第34回関西さるく会の下見を行いました

明石(魚棚商店街)さるくの下見を7月21日い実施しました。

「ときどき、ドキドキ」!明石市立天文科学館のリーフレットに記載されたキャッチコピーです。8月は子午線のまち、日本の標準時を示すまち明石をさるきます。

19回生南都さん、25回生松崎さんと3人で、松崎さんが企画した案を中心に現地確認を行いました。JR明石駅を拠点に、時計回りに明石城、柿本(人麻呂)神社、子午線上に位置する一連の建築物、モニュメント類を見て、旧西国街道から魚棚商店街へと巡ってきました。
猛暑の中、老年パワーを発揮しながら?身も心も熱き1日でした。
最初に、駅の北側に広がる明石公園へ、「明石城武蔵の庭園」を経て明石城史跡へと登りました。ここはあまり名を知られていませんが、徳川二代将軍秀忠の命を受けた、小笠原忠真(ただざね)により築城された約400年の歴史を持つ名城の1つで、現在では三重櫓の巽櫓、坤(ひつじさる)櫓を残した本丸跡などが広がっています。巽櫓の横にある展望台からは、明石の市街、明石海峡大橋などが望めます。
 
城跡をあとに東へ、傍の明石市立文化博物館で、催し物、入館料など伺い(結果、当日は立寄らないことに決定)その後、「時の道」と名付けられた道路沿いに上ノ丸教会、本松寺を見ながら月照寺、柿本神社へと歩を進めました。道中木陰はあるものの人丸山と言われる小高い山への登りが続きます。途中にあった上ノ丸教会には明石らしく正面に日時計が掲げられていました。柿本神社は、名が示すよう歌仙柿本人麻呂を祀った神社です。そしてこの前には、今回巡る4つの子午線標識の最初のものとして、「トンボの標識」の愛称で呼ばれる子午線標示柱があります。ここを下った所にある人丸山公園で一休み。当日は、ここで昼食を予定しています。

 休憩後、ここから子午線に沿ってほぼ南へ下ります。すぐ傍にある天文科学館に入って、暑さを凌ぐと共に暫し宇宙へ想いを馳せて頂きます(当日)。科学館前の路上にも子午線標示がありました。出た後、国道2号にある標識(3つ目)及び子午線上にある「明石子午線郵便局」を外から眺め、さらに南へ。子午線交番前にある、明治43年に建てられたという「子午線通過地識標」(4つ目)を右に見て、ここから旧西国街道を西に向かって一路魚棚へ。魚棚は地元では「うおんたな」とよばれ、明石城築城と時を同じくして営業を始め、400年の歴史を持っているとか。明石鯛や明石蛸、干物、かまぼこなど練り製品はじめおすすめ品も数多く、是非お土産に如何ですか。仕上げは、他では食べられない名物「明石焼(玉子焼)を堪能しながら反省会をしたいと思います。暑い中ですが、明石焼を食べに多数の参加をお待ちしております。因みにこの日3人が食べたのは、茶わん蒸しタイプの明石焼でした。(当日は本物ですよ!) (19回生 太田記)

2017年7月23日(日) 第33回関西さるく会を実施しました

写真上段左から追手向櫓(手嶋)、追手門(大久保)、城址会館前(手嶋)、天守台(大久保)、天守台からの眺望(大久保)、永慶寺弁天門(手嶋)、キリシタン受難碑(大久保)、金魚資料館(大久保)、金魚ボックス(大久保)、源九郎稲荷神社(手嶋)、反省会(大久保)敬称略

 

    7月23日(日)に第33回関西さるく会を実施しました。
今回のテーマは「金魚が泳ぐ城下町 大和郡山をさるく」です。
今回のさるく会は、郡山在住の伊藤さん(24回生)ご夫妻が中心になって事前の情報収集や企画・運営に参画された結果、成立したことをまず感謝の意を込めて報告します。
天候は曇り時々晴れ。梅雨明けの湿度の高い蒸し暑い中にもかかわらず、17名の方々が近鉄郡山駅前に集合しました。伊藤さんご夫妻が事前に準備された散策マップでルートを確認した後、スタート。
まずは、郡山城跡へ。お城跡には、鉄(くろがね)御門から入り追手門へ。織田信長と組んでいた筒井順慶が城郭の整備に取り掛かったこと、その後、豊臣秀吉の弟、大和大納言秀長が100万石を領して城郭の大増築と城下町を建設したこと、更に水野、松平、本多が城主を務めた後、柳澤吉里が公布から15万石で入城し、明治まで6代145年間柳澤氏が続いたことなどを説明。次は、重厚な建築様式の城址会館へ。説明員の方が石垣の由来など見どころをしっかり説明してくださいました。ここで記念撮影。
予備知識を得た上で天守台へ。標高81mの天守台からの眺望は素晴らしく、大和国を支配するための好適地であったことを体感させてくれます。
南御門跡近くの公園で弁当を広げての昼食。その後、鰻堀池周辺を散策して、郡山藩主柳澤家の菩提寺である永慶寺へ。黄檗宗のお寺で、長崎の崇福寺の山門に似た朱色の弁天門がありました。門の前で記念撮影。法光坂を下ると大和郡山カトリック教会の敷地内に浦上切支丹流配の記念碑があります。明治の初めでもキリシタンに対する厳しい弾圧があったようです。長崎浦上のキリスト教信者の内86名がはるばる遠き大和郡山へ強制送還され苦難な歳月を送ったという悲話がありました。
次に立ち寄ったのは、紀伊・和泉・大和 百万石の城主、大納言秀長の墓所、大納言塚。暑さもピークとなり、皆さんそろそろお疲れ気味。水分を補給して、金魚田が広がる道を歩きます。朝どり金魚の自動販売機を発見!続いて、やまと錦魚園(郡山金魚資料館)へ。希少な金魚や高級な金魚など40種類の金魚を見ることができます。少し時間をとって金魚を眺めることにしました。
更にさるくと、金魚が泳ぐ電話ボックス。大和郡山ならではの発想ですね。日本三大稲荷神社で、当代の歌舞伎役者も参拝するという源九郎稲荷神社にも立ち寄りました。管理人の方が当神社の由来などのユーモアを交えて話をしてくださいました。ご神木の楠の枝を加工したペンダントも頂きました。昔、遊郭もあったという洞泉寺町を通り抜けて紺屋町へ。そして、近鉄郡山駅に戻り、恒例の反省会。和食のおつまみと冷えたビールで乾杯。火照った体を冷ましてひとまず一服。金魚の由来や種類の話や今後のさるく会のコース選定状況など、話は弾み、約1時間半の反省会終了。暑さの中、無事に全員完歩。お疲れさまでした。 (23回生 手嶋記)

2017年7月16日(日) 第2回播磨東風会を実施しました

夏ノ暑サニモマケヌ、丈夫ナカラダヲモチ

瀬戸内海・姫路沖にある“家島”を散策してきました。
7月16日、晴れ時々曇り/気温32℃の中、播磨東風会メンバー8名は姫路港に集合。 9時10分発の“高速船いえしま”に乗船、一路、“家島”へ。 家島は大小40余りの島からなる家島群島の中心で、漁業、海運業が盛んな旧石器時代からの遺物、遺跡も残っている島です。 女性陣が遠足気分でお喋りすること30分、あっという間に家島・真浦港に到着しました。 家島港は深い入江港で、数多くの石材運搬船(ガット船)や漁船が係留されており、小規模造船所などがある風情は長崎の深堀・香焼港を思い起こさせる港町です。
上陸後、早々に散策を始めましたがいきなりの迷い道。 なんとか最初のポイント『どんがめっさん』に到着。 伝説の亀に似た巨石が祀られた一角では、御利益があると聞き“亀の頭”を撫でる人も。
立派な社を持つ真浦神社や宮神社、風光明媚な景勝地などの家島十景を訪ねる今回の散策ですが、2か所を訪ねところで早くもヘルプの声が・・・。 “喫茶店(?)らしき部屋”で一服し、鋭気を充填!今回のメインポイントである家島神社へ向かいました。
入江の東にある大鳥居前に着くと、家島神社の宮司さんとのジャストタイムな素晴らしい出会いがありました。 家島群島の複数の神社の宮司をされておられるそうで、その日もお勤めの途中、ちょうど鳥居前に到着されたところでした。「家島はオノゴロ島(国生みの伝説)」、「神武天皇が東征の折に滞在、家島の名付け親となった」、「菅原道真も立ち寄った式内名神大社・家島神社」、「ウバメガシが群生する原生林」など、魅力あふれる、丁寧な説明をして頂きました。
その後、大鳥居をくぐり、参道の百数十段の階段を上り、家島神社本殿に拝観し、隣の男鹿島(タンガジマ)を近くに眺めながら最後の目的地へ。
昼食予定の料理屋さんへまっしぐらです。 火照った体をクーラーがギンギンに効いた部屋で冷やしながら、じげもんの鯵の南蛮漬けを前菜にビールを飲みながら待つ事15分ほど、予約しておいた焼き立ての穴子の“穴子重”をいただきました。 ご飯を覆う穴子は、店主こだわりの焼きで、肉厚でプッリプッリ、甘辛いたれも優しい味です。
播磨の歴史に触れ、地元料理を堪能し、帰りの連絡船に乗ったのは14時過ぎでした。(25回生 松﨑記)
写真上から:
(巨石“どんがめっさん”)、(“どんがめっさん”前で)、(家島神社・大鳥居前で)、(穴子重と二先輩)

2017年7月8日(土) 第3回奈良地区懇話会を実施しました

7月8日(土)奈良地区懇話会が開催されました。
梅雨明け間近を思わせるような天候の中、17名が奈良・大和西大寺に集まりました。初参加5名。10回生の溝上さん、さるく会ではお馴染みの24回生の伊藤さんとご主人、43回生の野口さん、51回生の横山さんです。懇話会会長の24回生松尾さんから開会の挨拶。大御所の7回生大田さん遅れて登場。拍手でお出迎え。役者が揃ったところで再び乾杯!自己紹介+近況報告で更に盛り上がり。会を重ねて来たことで互いの理解も深まっていてスムーズな展開。美味しい料理&飲み放題も手伝って最高潮に!同郷×同窓×奈良在住と言う共通点で世代差もなく、また新参加の方々も和気あいあい。話は尽きません。2時間の予定が3時間に。それでもまだまだ時間が足りません。次は、さるく会で、総会で、忘年会で会いましょう。いや、新年会をしましょう。いやはや、同窓会とは、とても居心地の良い集まりですね。記念撮影も撮り忘れるほどのこのノリは東高ならでは? 23回生手嶋記

※思い出して慌てて撮った写真を掲載します。先に電車に乗られた会員のみなさま、ごめんなさい。

2017年7月1日(土) 第33回関西さるく会の下見を実施しました

   

写真左上から、金魚選手権郡山大会、郡山城追手門、天守台から若草山を望む、永慶寺弁天門、浦上四番崩れ記念碑、豊臣秀長大納言塚、金魚の自動販売機、金魚ボックス、源九郎稲荷神社にて、金魚の灯篭
7月1日(土)にさるく会「奈良郡山金魚の町さるく」の下見を行いました。
 今回は特別に、郡山在住の伊藤さん(24回生)ご夫妻が中心になって企画・準備を進めていただきました。下見には、福地さん(19回生)と奈良地区委員の森さん(34回生)、手嶋(23回生)が加わりました。
 集合は近鉄郡山駅前。伊藤さんご夫妻が事前に準備された散策マップでルートを確認した後、郡山城跡へ。
 途中、中央公民館(三の丸会館)では全国金魚すくい選手権大会大和郡山市大会真っ最中!1チーム3人256チーム(合計768名)が参加。5位までが全国大会に出場できるとあって会場は熱気に包まれていました。因みに全国大会は8月20日、勿論、大和郡山市で開催されます。金魚の歴史、種類や育て方などの資料も沢山いただきました。さるく会当日説明できるよう準備しておきます。
 お城には、鉄(くろがね)御門から入り、追手門を通り抜け、重厚な建築様式の城址会館へ。程よく冷房の効いた中で説明員の方から見どころをしっかり聞くことができます。石垣が織りなす物語などの予備知識を得た上で天守台展望施設へ。天守台からの大展望は、大和国を支配するための好適地であったことを体感させてくれます。暫らくの間、この大展望を堪能しましょう。
 南御門跡近くの公園で弁当を広げての昼食。その後、鰻堀池周辺を散策して、郡山藩主柳澤家の菩提寺である永慶寺へ。法光坂を下ると大和郡山カトリック教会の敷地内に浦上切支丹流配の記念碑。長崎浦上のキリスト教信者の内86名がはるばる遠き大和郡山へ強制送還され苦難な歳月を送ったという悲話がありました。
次に立ち寄ったのは、紀伊・和泉・大和 百万石の城主、大納言秀長の墓所、大納言塚。
 金魚田が広がる道を歩くと、なんと朝どり金魚の自動販売機を発見!これには驚きましたね!この嶋川養魚場は金魚すくいセットを販売していました。続いて、やまと錦魚園(郡山金魚資料館)へ。希少な金魚や高級な金魚など40種類の金魚を見ることができます。少し時間をとって金魚を眺めることにしましょう。ここで、金魚を購入することもできます。
更に歩を進めると、金魚が泳ぐ電話ボックス。大和郡山ならではの発想ですね。
 日本三大稲荷神社、当代の歌舞伎役者も参拝するという源九郎稲荷神社にも立ち寄ります。面白い話も聞けそうですよ。昔、遊郭もあった洞泉寺町を通り抜けて紺屋町へ。藍染めが盛んだったそうです。めだかも泳いでいました。金魚すくいができる「こちくや」にも入ってみます。腕に自信のある人、初めての人、チャレンジしてみてはいかがでしょうか?
 近鉄郡山駅に戻り、いったん解散。有志による恒例の反省会は、和食のおつまみと冷えた飲み物。ひとまず一服しましょう。
帰りは、近鉄郡山か15分ほど歩いてJR大和郡山が利用できます。本番当日は、梅雨明けで日差しが強いかもしれません。水と日傘、日焼け止めのご用意を!
では、7月23日にお会いしましょう。 23回生 手嶋記