伊藤晶子 24回生 「今、はまっていること」

 24回生の伊藤晶子です。大和郡山市在住、週の半分を薬剤師として働いています。
 コロナ禍のなか、今、私のはまっているものは『富士日記』(中公文庫上・中・下)です。
武田泰淳夫人百合子さんが書かれた日記で、富士山麓の山荘での昭和40年代から50年代半ばまでの生活を克明に記録したものです。
有名な作家の山荘暮らしといえば、贅沢で優雅な雰囲気を想像しますが、実に質実な生活を飾らない筆致で記録され、独特のユーモアがあります。車のタイヤもご自身で取り換える、山荘の壁や手すりのステインも自分たちで塗る、電話はひかない、「そういう生活がしたいの」と綴られています。毎日の食事や買い物リストも詳細に記録されていて昭和の時代が鮮明に思い出されてとても懐かしい。
 私の東高時代がすっぽり収まる年代だからかもしれません。「中」を読了したところです。

 次は私のお手本、4回生の林由紀子さんにお願いいたします。

西村サナミ 24回生 「今、はまってること」

24回生の西村です。
京都市に住み、40年余りですが、あまり、出歩くこともなく過ごしていたところ、25回生の長岳さんに誘われて、さるく会に参加するようになりました。前年まで、完歩賞をいただくほどはまっていました。
昨年、「京都十六社めぐり」をはじめました。京都内外の十六の神社を御朱印を頂きながらめぐります。私の脚では、3・4日かかります。それを今年も行って来ました。
ご利益があるかといえば、解りませんが娘に二番目の子ができ、1月に待望の男の子が生まれました。8年ぶりの赤ちゃんに、まごまごしてしまいました。コロナ禍の中でもアルバイトの仕事は途切れることもなく、おまけに給付金までいただきました。これもご利益といえるのではないかと思います。
これから10年間続けて、干支一巡り、してみたいと思っています。体と脚を丈夫に保ちながら。

次は同期の伊藤晶子さんにお願いしたいと思います。

森 和美 34回生 「下宿生活の思い出」

34回生の森和美です。小学校で働いています。
コロナ禍で今はあまりできませんが、まだまだ子どもと鬼ごっこをして元気に走り回っていました。
しかし悲しいことに、必死で追いかけてもタッチできないことも多くなりました。体力の衰えを感じるこの頃です。

立山校舎に移転して4年目に入学しました。西海市出身なので、下宿生でした。
経済学部の正門の近くの下宿で、掃除洗濯は自分でする、日曜は賄いが無いという生活でした。15歳の頃の私は今より少しだけ繊細で、入学してすぐにホームシックで貧血を起こして倒れたのを覚えています。
賄いのない日曜日に、時どき下宿のおばちゃんは、皿うどんの出前を取って食べさせてくれました。山清亭という名前で、お店はお諏訪さんの近くにあったと思います。その皿うどんは太麺でした。焦げ目がついてカリッとするところがおいしくて、大好きでした。それ以来、皿うどんは太麺派です。山清亭のことをご存じの方がいたら、いつか話をしてみたいです。(店の名前はうろ覚えです)
次はいつもお世話になっている24回生の西村サナミさんにお願いしたいと思います。西村さんよろしくお願いします。

永尾好輝 27回生 「コロナにめげず頑張っとるばい」

64歳になっても公立学校の校長をしております、27回生の永尾好輝です。

昨年の1月から世の中がガラッとかわり、人との距離を保て、話をするな、静かに食事をしろ、修学旅行は中止、運動会は中止etc.

本来は学問の習得のみならず、人間教育、心の教育も義務教育の重要な目的であるはずのものが、なかなか難しい世の中となりました。しかし、何々ができないとネガティブに物事を考えるより、いろんな制約がある中で、できる限りのことをやろう、子どもたちに経験させようと、アイデアを出して取り組んでいます。

 コロナがいつ収束するかわかりませんが、やがてその日は必ず来るはずです。その日まで、ポジティブシンキング。次世代の子供たちのために、

「コロナにめげずに、頑張るばい!」

次の投稿者は同じ教育界で頑張っている34回生の森和美さんにお願いします。

赤崎康雄 30回生 「東高とコロナと私」

中嶋さんからタスキを受け取り僭越ですが書かせて頂きます。東高を78年に卒業、進学・就職と関西中心に過ぎしています。IT営業一筋、東京・福岡・東京と単身赴任しました。昨年完走。現在は、大阪駅前第2ビルで楽しく過ごしています。

私は、3学年しか経験していない西山校舎から立山校舎への引越と通学を経験しました。当時の運動部の部室は上部が板壁で木の節が欠けて穴が開いていました。体育館脇にあったのですが、真隣のプール側は女子です。皆で穴から覗くのですが、むなしくも残念一度も何も見えませんでした。しばらくして、女子側の壁に板が二重に塞がれました。

あほな高校生活を送っていましたが、実家の父親は五島からそんなお馬鹿な息子に仕送りをしてくれていました。父の写真を紹介します。NBCのニュースでここ数年この時期に

放送してもらっています。まだまだ元気な姿をみて安心しています。私が還暦を迎えた年に娘も卒業・就職しました。写真はWebによる卒業式です。新型コロナの関係で出席は叶わずでした。私の楽しみはゴルフとプロ野球観戦です。東京での単身赴任から自宅へ戻り球場へ行くのを楽しみにしていたのですが、現状ではそれもなかなか厳しい状況です。写真は一昨年の甲子園です。新型コロナウィルスが抑え込まれて平穏な日常が戻り、同窓会の再開を楽しみにしています。

                

次は大阪の教育界で活躍されている27回生の

永尾先輩にお願いします。

中嶋新太郎 26回生 今年こそ、ナイスショット!

関西に移り住んでいつのまにか35年になりました。26回生の中嶋新太郎です。

関西同窓会には、「ナイスショット&ファーの会」という意味ありげな名称のゴルフ同好会があります。
2014年3月の第1回を皮切りに、春・秋の年2回、合計12回実施してきましたが、昨年春はコロナ感染第1波の真っ最中でもあり開催を断念しました。“三密”ということからすると、換気の心配もない屋外で密集・密接要素もなく、かつ自粛生活のストレスも発散できるということで、10月末に再度計画したものの、同窓会としてのコンペは中止しプライベートでのゴルフに変更しました。(秋晴れの下、ゴルフ参加者の写真です)

今春も開催できそうにありませんが、秋には2年ぶりのゴルフコンペを開催すべく、皆さんに改めてお声掛けしようと考えておりますので、多数のご参加をお待ち致します。

次の投稿は、誕生日が1日違い(年齢は違いますよ)の赤崎さんにお願いします。

三田村 嘉也 10回生 「杖と共に有りぬ」

関西同窓会の初代の会長を務めさせていただいた10回生 三田村 嘉也です。
第1回の「さるく会」から参加し十数回まで真面目に参加していました。最も印象深いのが2015年(なぜか特別行事)背割堤での「さるく会」です。花見が目的でしたが生憎の強い雨、それでもテント持参の気の利く豪の仲間がいて、その中で約8人が膝を突き合わせて挙行。辺りを見回しても花見を強行しているのは我々だけ。テントの中からでは桜は見えず、テント設営の場所が大きな川の傍で川面の増水を気にしながら美酒美食と歓談の花に酔いしれたひと時でした。雨は降り止まず下着まで濡れてくるのを感じたあたりで解散
。今では懐かしい思い出ですが「増水で中高年の数名が遭難」等の恥ずかしい事件にならなくて良かったと思っています。
歳月は流れて私も81歳を超え、今では足腰がサダマラズ、昨年初めから念の為、杖を使い始めました。所が9月初めの昼時、散歩途中その杖に足を取られ道路で転倒。額を強打し出血ひどく救急車で病院の世話になり10針ほど縫って2時間ほど安静。翌日から約1ヶ月、脳と眼の経過観察のため通院。新年を迎え、やっと普通の生活に戻りました。が膝、腰の違和感と、経年変化で安定感を欠いてきた脳波の狂いは進捗が早まっているように感じます。用心のため使い始めた「杖」の所為でゴルフも、さるく会も遠く去り、TVを見ればコロナ禍ばかり。うつむき加減な日々に「明日はまた、新たな陽が昇る」ダロウと自分に言い聞かせ、人生の残照を浴びつつ 杖を労いながらの今日この頃です。
 関西東高同窓会・諸兄に幸あれ!

次は一緒にゴルフを楽しんだ26回生の中嶋新太郎さん、よろしくお願いいたします。

松﨑 隆 25回生 「想い出の言葉」

『襷』をありがとうございます。2月2日の節分では皆さんと同じく“南南東”に向かって“コロナ終息”を願った25回生の松﨑 隆です。

“It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.”
『種の起源』にある有名な言葉です。高1の頃、生物の先生が教えてくれました。

さて、あるTV番組で地球温暖化より“永久凍土の融解”と言う気候変動の被害が既に出始めていることを知りました。そして、その永久凍土の中からは新種のウイルス が発見されているということでした。今回の新型コロナウイルスによるパンデミックも人類が免疫を持たない未知のウイルスによる感染爆発ですが、永久凍土には数多くの未知のウイルスが眠っているとみられています。
更には二酸化炭素の25倍の温室効果を持つメタンガスも大量に放出されているそうです。
世界各国の脱炭素宣言の背景には地球温暖化がここまで進み、地球が追い込まれている厳しい現実があります。
今回のコロナ禍で分かったことは、皆が科学的な意味を理解し、皆が『マスク着用』『密を避ける』などの新日常を共有することで、感染拡大を減らすことができるということです。
気候変動による危機も同じです。

ウイルスは自らを変化させ、有史以前から生存し続けています。
人間は自らが変化する事はできませんが、強い意志を持って状況をコントロールする事ができます。
自らの行動を『脱コロナ』、『脱炭素』に役立つ行動に変えることが大切だと考えています。

『襷』お渡しいたします。関西同窓会初代会長の三田村嘉也さん(10回生)、お願いいたします!

No4 原 敬介 25回生 「今、はまっていること」 

 写真クラブで会長をやらせていただいている25回生の原敬介です。
 皆さんは新大工町に有ったアムールという喫茶店を覚えているでしょうか?
ママさんがサイフォン(2回上げ)で美味しいコーヒーを飲ませてくれました。
⑧昨年サイフォンと豆を購入して休日はコーヒー作りにいそしんでいますが、中々思うような味にならず試行錯誤を繰り返しています。
 ハイマウンテンとベトナムのロブスタ種が好きですが、コロナの影響で手に入り難いので嫁さんの好みのモカで淹れています。私としてはそこそこ良い味を出したと思いますが、嫁さんには不満足らしく今日もダメ出しを貰ってしまいました。豆の挽き方やアルコールランプの炎の強弱・むらし時間の加減等パラメータが沢山ありますが、納得の一杯に向けて頑張っています。
(アムールは約30年前に子供が後を継がないので廃店したと言ってました。)

 次は同期で兵庫県西部の地域会「播磨東風会」会長の松﨑隆さんにお願いします。

No3 松尾誠人 24回生 「関西同窓会と私」

奈良市在住、2013年に単身赴任を解消し、家内と二人暮らし。一男一女に恵まれ、孫が二人いる24回生の松尾誠人です。
私は2019年に65歳定年退職を迎え、生活パターンの変化とともに、家内との夫婦関係の再構築を迫られました。
そんな折、初めて「さるく会」参加を考え、家内に声掛けしたら即OKの返事。
結果「長崎の人は温かみがあり心が和む」とのことで、家内の積極的な参加表明となり、その後のボーリング会や飲み会にも夫婦で参加するようになり、夫婦関係も改善し、万々歳。
今はコロナ禍で自粛の日々を送っていますが、一日も早く皆さんと楽しい時間を共有化したいと思っています。

次の投稿者は写真クラブの会長、25回生の原敬介さんにお願いしたいと思います。原さん、よろしくお願いいたします。