入口円香 37回生 「やっぱい、東はよかばい」

西淀川区在住6年目に突入しました37回生 入口円香です。

二月に長崎へ帰省する機会あり、実家で在宅勤務しながら約1ヶ月長期滞在しました。自費でPCR検査を受け陰性を確認し帰省、2週間経過してから同級生が営む店で友人達と再会でき、やっぱい東の同級生はよかばい♥と心から楽しんだひと時でした。また、長崎11社スタンプラリーに挑戦し、金刀比羅神社で吹奏楽の練習をしていた現役の東高生ふたりに会い、頑張れ~とエールを送ってきました。金刀比羅神社からの下山途中に久々見た1号館校舎と部室、懐かしい限りでした。皆さんも帰省機会ありましたら長崎11社スタンプラリー兼ねて懐かしのエリア散策をお楽しみください。コンプリート記念の特製お守りもゲットできますよ。

次回は同じ37回生の伊藤蔦江さんに襷を繋ぎます。

西坂満正 44回生 「関西同窓会と私」

 44回生の西坂満正です。働き盛りの47歳。よろしくお願いいたします。
後輩の前川君からのバトンは断ることができません(笑)。
大阪市福島区で居酒屋、すし店を営んでいます。住まいは大阪市都島区です。関西に出てきて早いもので28年になります。
長崎で過ごしてきた期間よりも長くなりましたが、長崎愛は健在です(笑)。

 関西同窓会にはご縁があり第1回から参加させていただき、諸先輩の方々に大変お世話になっています。また第2号の会報にも掲載していただき、この場をお借りして感謝申し上げます。
昨年からのコロナ禍で大変厳しい一年になりましたが、先輩の方々の激励やお気遣いに、逆にこれからのお店の在り方を考える良いキッカケとなりました。
 8年前に長崎で44回生の同窓会があり、二百数十名が集まりました。その後関西で働く同期が私の店に集まってくれて思い出話や現在の近況を話し、それぞれの活動を知ると、改めて東高のつながりを、絆を強く感じました。
最後に私の好きな英単語があります。
「have fun」 何事があっても「楽しむ」を大切に歩んでいきたいと思います。

次は大好きな西山の先輩、入口円香さん、お願いしまーす。

お店の外観と料理です。

昨年の関西同窓会学生歓迎会。向かって後列右端が前川拓人君、後列左から二番目が私です。

 

前川拓人 68回生 「私が関西に来た理由」

長崎東中学校7回生、長崎東高校68回生。23歳。大阪大学文学部を卒業し、大阪市内の私立学校で中高の教員をしています。

高校3年生の春、進路を少しずつ彫り出しているとき、私の中に明確な意識があった。「九州から出たい」。そこには、中学1年の時にある失敗を犯して以降、同学年の者たちに対してどことなく抱いていた疎外感を払拭し、人間関係を新たにしたいとの思いがあった。

関西圏への合格が最も遅く決まった私に対して、長崎東同窓生にして理科教諭の大町さんから「68回関西同窓会の代表を務めてほしい」と話をいただいたときは、断ろうと思っていた。しかし、私より先に合格が決まっていた全ての同窓生がこの依頼を断っていたことを知り、引き受けることになった。

 いざ、関西同窓会に飛び込んでみると、同窓会の方々は暖かく私を迎え入れてくれた。長崎東という母校を初めて嬉しく思った瞬間であった。お世話になった母校に対して感謝の念を持てていることは、この同窓会のおかげと言っても過言ではない。これについては本当に感謝してもしきれない想いである。同窓会への感謝の念を記したところで、最後としたい。ご一読いただき、ありがとうございました。

次はおいしい料理とお寿司を堪能させてくれる「満海」の西阪光正先輩に襷をつなぎます。よろしくお願いいたします。

村井謙介 19回生 「コロナ禍での散髪事情」

 上長崎小から伊良林小、桜馬場中と、東高の多数派コースを歩む。在学中はブラスバンド部でユーホニュームを担当した19回生の村井謙介です。

 林大先輩から「紳士」と紹介いただき、面映ゆい気持ちで投稿しています。多分に見せかけですので。
昨年4月に1回目の緊急事態宣言が出される前、ライブハウスやパチンコ店と並んで理髪店も営業自粛要請の候補でした。最終的に対象から外れたものの、2月に散髪して以来だった私は理髪店に行く勇気がなく、家内に切ってもらうことまで考えましたがその勇気もなく、だんだん暑さが増して来た5月、ついに不快感に我慢が出来なくなって3か月ぶりに散髪をしました。
刈り取る毛髪量がめっきり減ったため、ここ10年ほどはコストパフォーマンスの良い格安チェーン店を利用しており、長くても10分間くらいですが、顔剃り洗髪無し、店員にマスクを外すよう要求されるも応じず常時マスク着用、帰宅後は即シャワーでした。
その後散髪は4回を数えますが、少しずつ気分が緩んで来て必要なときはマスクを外すようにしています。しかし顔剃り洗髪無しは継続しています。周囲を見てみると、中には悠々と店員と会話しながら髭剃りまでしてもらっている人もいます。男性の皆さんはどう対策しておられますか。家内も美容院では常時マスク着用とのこと。女性の皆さんはいかがですか。

次は、コロナ禍にあって社会人1年目を教師として頑張った、68回生の前川君にバトンをお渡しします。前川君、宜しくお願いします。

林由紀子 4回生 「我が街、八幡市」

京都府八幡市に住んでいる4回生の林由紀子です。

桜の花見で賑わう背割堤(せわりてい)は我が街、八幡市にあります。一昨年9月の台風では桜の木240本のうち230本が枝折れし、20本が倒れたそうです。我が家も屋根瓦の一部が飛び散りました。改めて当時の恐怖を思い出します。

ところで八幡市は、昨夏「やはた未来いきいき健幸(健やかで幸せ)プロジェクト」をはじめ、様々な健康づくり施策を展開しました。私はもちろんウォーキングを希望し、活動量計を首からぶら下げて歩数量を増やすように頑張っていますが、マイペースで歩かないと何時この身が故障するのか・・・。最後の特典を楽しみに。

次は19回生で紳士の村井謙介さんにお願いします。

伊藤晶子 24回生 「今、はまっていること」

 24回生の伊藤晶子です。大和郡山市在住、週の半分を薬剤師として働いています。
 コロナ禍のなか、今、私のはまっているものは『富士日記』(中公文庫上・中・下)です。
武田泰淳夫人百合子さんが書かれた日記で、富士山麓の山荘での昭和40年代から50年代半ばまでの生活を克明に記録したものです。
有名な作家の山荘暮らしといえば、贅沢で優雅な雰囲気を想像しますが、実に質実な生活を飾らない筆致で記録され、独特のユーモアがあります。車のタイヤもご自身で取り換える、山荘の壁や手すりのステインも自分たちで塗る、電話はひかない、「そういう生活がしたいの」と綴られています。毎日の食事や買い物リストも詳細に記録されていて昭和の時代が鮮明に思い出されてとても懐かしい。
 私の東高時代がすっぽり収まる年代だからかもしれません。「中」を読了したところです。

 次は私のお手本、4回生の林由紀子さんにお願いいたします。

西村サナミ 24回生 「今、はまってること」

24回生の西村です。
京都市に住み、40年余りですが、あまり、出歩くこともなく過ごしていたところ、25回生の長岳さんに誘われて、さるく会に参加するようになりました。前年まで、完歩賞をいただくほどはまっていました。
昨年、「京都十六社めぐり」をはじめました。京都内外の十六の神社を御朱印を頂きながらめぐります。私の脚では、3・4日かかります。それを今年も行って来ました。
ご利益があるかといえば、解りませんが娘に二番目の子ができ、1月に待望の男の子が生まれました。8年ぶりの赤ちゃんに、まごまごしてしまいました。コロナ禍の中でもアルバイトの仕事は途切れることもなく、おまけに給付金までいただきました。これもご利益といえるのではないかと思います。
これから10年間続けて、干支一巡り、してみたいと思っています。体と脚を丈夫に保ちながら。

次は同期の伊藤晶子さんにお願いしたいと思います。

森 和美 34回生 「下宿生活の思い出」

34回生の森和美です。小学校で働いています。
コロナ禍で今はあまりできませんが、まだまだ子どもと鬼ごっこをして元気に走り回っていました。
しかし悲しいことに、必死で追いかけてもタッチできないことも多くなりました。体力の衰えを感じるこの頃です。

立山校舎に移転して4年目に入学しました。西海市出身なので、下宿生でした。
経済学部の正門の近くの下宿で、掃除洗濯は自分でする、日曜は賄いが無いという生活でした。15歳の頃の私は今より少しだけ繊細で、入学してすぐにホームシックで貧血を起こして倒れたのを覚えています。
賄いのない日曜日に、時どき下宿のおばちゃんは、皿うどんの出前を取って食べさせてくれました。山清亭という名前で、お店はお諏訪さんの近くにあったと思います。その皿うどんは太麺でした。焦げ目がついてカリッとするところがおいしくて、大好きでした。それ以来、皿うどんは太麺派です。山清亭のことをご存じの方がいたら、いつか話をしてみたいです。(店の名前はうろ覚えです)
次はいつもお世話になっている24回生の西村サナミさんにお願いしたいと思います。西村さんよろしくお願いします。

永尾好輝 27回生 「コロナにめげず頑張っとるばい」

64歳になっても公立学校の校長をしております、27回生の永尾好輝です。

昨年の1月から世の中がガラッとかわり、人との距離を保て、話をするな、静かに食事をしろ、修学旅行は中止、運動会は中止etc.

本来は学問の習得のみならず、人間教育、心の教育も義務教育の重要な目的であるはずのものが、なかなか難しい世の中となりました。しかし、何々ができないとネガティブに物事を考えるより、いろんな制約がある中で、できる限りのことをやろう、子どもたちに経験させようと、アイデアを出して取り組んでいます。

 コロナがいつ収束するかわかりませんが、やがてその日は必ず来るはずです。その日まで、ポジティブシンキング。次世代の子供たちのために、

「コロナにめげずに、頑張るばい!」

次の投稿者は同じ教育界で頑張っている34回生の森和美さんにお願いします。