No39 山口隆雄 13回生 「近況」

現在、京都府城陽市に住んでいます。

私は若い頃から、4百万年の歴史をもつ琵琶湖に興味を持ってきました。そして定年退職後、仕事から離れて「琵琶湖から世界へ」をテーマに本を書くことにしました。これまでに3冊(うち1冊は翻訳・世界版)を出版しました。何しろ、私の強みは「365日フリー」ですので、いつでも、どこへでも飛び込んでいくのをモットーにしていまして、世界の辺境の地(中国奥地やロシアシベリヤのバイカル湖等)を訪ねたり、琵琶湖周辺でも山奥(クマ、シカ、サル、イノシシも出没)にも行きました。また、琵琶湖の歴史を辿るために三重、岐阜地域まで、さるき回りました。 

私は、学者、専門家が書かないものを、質的にも自分で納得できるものを目指していますので、1冊書くのに3~4年かかります。本の内容についても読者が「これホンマかいな!」、「おもしろい、真なり」と感じてもらえるようにしています。

私が本を書く中で一番感動したのは、現地調査で「私たち日本人のルーツである縄文人の心豊かな生きざま」を強く感受できたときでした。また、著者としての喜びは多くの皆さんに読んで頂くことで、孫の世代まで長く読んでもらうことを念頭において書いています。現在、私の本は全国の図書館約220館(公立図書館、大学等)にも蔵書されており、毎日どこかで皆さんに読んで頂いています。

次は同じ13回生の近藤芳民さんにタスキを渡します。

びわ湖全景:   壮大で、碧く美しい

冬の奥琵琶湖は美しい:  竹生島と伊吹山を望む

びわ湖葛籠尾崎湖底遺跡(白い円のエリア):
深い湖底(~70m)から多くの縄文・弥生土器が引上げられた
・・・びわ湖最大の謎!!

No38 後藤博一 12回生 「同窓アラカルト」

  長崎市東浜の町に生を受け、戦後すぐ、中通り商店街の諏訪町に転居し、磨屋小・桜馬場中・東高・長大(経)と通学はすべて徒歩1分から20分程度でした。
学生時代の思い出は、小学生時代が一番強烈に残っており、クラス会も商売人の子供が多いためか、現在まで68年間細々と続いています。

小学校に入学のころ長崎くんちが復活し、諏訪町の出し物は【龍踊り】で戦時のブランクをカバーすべく囃子方の猛特訓をうけた記憶が鮮明に残っています。本来、くんちの踊り町は7年に1回廻って来るのですが、くんちを盛り上げるため、特別出演で別途3回ほど出演し、朝から夕方まで3日間、旧長崎市内を練り歩き、未だ食糧難の時代に丸山の料亭「花月」で毎回おいしい昼食をいただいたことが忘れられません。
それともうひとつ、小学校の夏休みに、長崎港の出口にあった鼠島海水浴場に、大波止から船に乗って夏休み中毎日、小学校の上級生が下級生を引率し、海水浴場で夏を過ごしました。今考えると子供だけの海水浴を親がよく許したものだと敬服してます。
今後とも、各同窓会に元気で参加したいと思っています。

 次は一年後輩の山口隆雄さん(13回生)にお願いいたします。山口さんよろしく!

昭和30年頃まで、従来青龍だけの奉納だったが、以後新たに白龍を加えて、奉納踊りを行った。

昭和30年頃、諏訪町の出し物(竜踊)の稽古の後の記念写真。多人数での稽古場がなかったので磨屋小学校の校庭を拝借。私は2列目のどこかにいます。

No37 藤城 隆 11回生 「私の沖縄でのゴルフ体験」

 関西同窓会ナイスショット&ファーの会メンバーです。

私は50年間のサラリーマン生活中で平成元年末から6年春迄の5年間は沖縄に勤務していた。 ゴルフは、30歳頃から始めて50年間続けて、今も「ファーの会」で楽しんでいる。

沖縄に赴任していたある日、九州の友人から「川上(元)監督とゴルフしないか?」とのお誘い。川上監督と言えば、野球オンチの私でも、王・長嶋等多くの名選手を育て・V9を達成した「日本野球の神様」のような存在。当時川上監督はNHKの野球解説者として毎年2月頃から沖縄でキャンプインする日本プロ野球球団をレポートされていて、今回一日空きがあるという。二つ返事で地元の社長と同伴プレーをすることとなった。川上監督は、現役時代の赤バットならぬ赤シャフトのドライバー(フアンの贈物)で、その長身な体からパワフルな素晴らしいショットをされた。勿論バットと同じクラブも左打ちでした。

終わって試しに手のひらを合わせて貰ったら、私の手のひらより3割程大きく、まるでグラブのような手のひらでした。昼食の間に色紙に「平常心」と書いてもらい、また車中の会話では「現役時代は今日の対戦相手とは別にマスコミとの戦いだった」と苦慮された事など、私にとって大変有意義で楽しい一日になりました。故人を偲んで30年前の思い出でです。

PS
数年後、川上監督は首都圏で「レフテイの会」を主催し、首都圏から沖縄に50名の会員を案内して「レフテイ・チャリテイ」コンペを主催し沖縄の施設へ寄付をされたことを地元新聞で知った。

次回バトンは同じゴルフクラブの後藤博一さん(12回生)にお願いします。よろしく!

No36 平山 良 22回生 「長崎名物??」

  万才町の家庭裁判所近くに住んでいました。高校卒業とともに長崎を引き払い兵庫県川西市に50年です。
港町の1番は長崎、2番は神戸(妻の出身地)、3番は横浜(息子在住)と話していたら、息子と孫が長崎に連れて行けとのリクエスト。ちょうどランタン祭をやっているとか。(ランタン祭?しらんなぁ!)
長崎はやっぱりよかとこ。魚料理や中華料理も美味しく、路面電車で巡る観光地も整備されていて祭りの演し物も孫が楽しめて良かった。長崎名物だというトルコライスとサバサンドを所望されてビックリ!そんな食べ物があったかいな?名物に旨いものなしと言うから止めておこうとパスした。孫に食べさせるにはネーミングがねぇ?!
なんじゃかんじゃ言いながら長崎へ毎年の旅行となり「くんち」はコロナに阻まれた。長崎名物を探す旅はまだまだ続く!!

次はゴルフクラブでいつも元気にプレーされている藤城隆さん(11回生)にタスキを繋ぎます。藤城さん、よろしくお願いいたします。

No35 森田一夫基 17回生 「家庭菜園」

 長崎を出てはや55年になります。住まいは堺、泉大津、泉南、阪南と大阪南部を転々としています。
 会社は泉大津と、後半は神戸であり、現在は現役を退いてのんびりと過ごしている。ここで40年以上も続いている家庭菜園について紹介したい。

 30才の頃から家の近くの農地を借りて50坪程の土地で野菜作りを始めた。野菜作りは全くの未経験であり、当初は周りが何を植えているか参考にしながらまたどんな手入れをするか教えてもらいながら野菜作りをするというやり方で行っていた。また、現役の頃は週末にしか畑に行けず、当然雑草作りの名人?でした。
 こんな状態でも長く作っていると、嬉しいかな、少しは野菜の収穫もできるようになった。退職後は畑作りが生活の一部になってしまうほど野菜作りの達人になってしまった。(ほんとうかな?)
 後期高齢者に近づくと身体に「ガタ」がくる。畑作りは腰が痛く、疲れやすい等の症状が出てくる。ここで私の稀な経験を紹介します。
 最近腰痛と下腹痛になり、病院の薬では治らず、「病気にならない全身のツボ」という本の中でツボを押すことにより病気が直るという内容を実行してみると、なんと❗ 痛みがなくなった。嘘みたいな出来事ですが、真実の話。皆様も参考にしてみたらどうでしょうか?

次は常任幹事で22回生の平山良さんにタスキを繋ぎたいと思います。よろしくお願いいたします。

 

No34 小淵廣利 17回生 「今はまっていること」

奈良に住みついて18年目です。すっかり奈良県人になりました。

コロナ自粛の中、今は体力維持と趣味探訪を兼ねた近場散策にはまっています。自宅近くに信貴山朝護孫子寺や龍田大社、龍田古道(平城京と難波宮を結ぶ、古代万葉集にも詠まれた道)や斑鳩の里、馬見丘陵公園など、手頃なウォーキングコースがあり行くたびごとに再発見の楽しみがあります。
4月末にはかねてからの念願であった大台ケ原へ行きました。散歩よりはちょっとハードなトレッキングでしたが山頂近くの大蛇嵓(だいじゃぐら)からの景色は天気も良くなかなかのものでした。
コロナ終息の時が来たら青春18きっぷを使い、興味ある各地を散策したいものです。
また関西さるく会の再開を楽しみに待っています!

次は同期で常任幹事でもある森田一夫基さんにタスキを繋ぎます。

No33 溝上玄祐 10回生 「一人でチャリンコさるきも又楽し」

 飯盛西中(後飯盛中に統合)出身。現在、紀元前一世紀我が国の最初の首都となった橿原市に住んでいます。
何時かばってんまほろば会で「いいもり」を知ってますかと尋ねたら、殆どだれも???。無理もありません。 間違いなく田舎ですから。判り易く説明しますと 日見トンネルを出て芒塚から普賢岳を左、牧島を右にして中間奥を望めば三つの小さな山が見えます。この麓が飯盛で、橘湾に面し東経130度線が走ります。さるく会の会長殿も小中高と同窓です。
兄弟は私が一番上で男七人女一人の八人。 高校は順に東(10)西、南、北、東(21没)東(23)、東(27女)、東(30)です。
 大阪と東京で38年の会社勤めの後、盆地中をチャリンコで駆け回りながら、歴史の素人研究をしています。『心身を健康に保ち 多少でも社会に貢献をする。』が私のモットーです。現在、『地域安全推進委員』をしつつ、『倭人伝問題』に取り組んでいます。結論を近々ネット公開の予定です。
 近畿は良かとこ、文化財と遺跡の宝庫。見て楽しまにゃ損、損。九州や関東から見りゃさぞ羨ましかろばい。いろんな伝染病を経験した長崎んもんにゃ、コロナも単なる歴史の一幕。生き抜いて、又近畿中をさるこうばい。早く又会える日を楽しみにしています。再見!

次は同じばってんまほろば会で仲良くさせてもらっている小淵廣利さん(17回生)にタスキを渡します。
小淵さん、よろしくお願いいたします。

 唐古・鍵遺跡・・・日本のへそ。東(ひむがしのかた)の「美地(よきくに)」の中心?
 「道の駅」ができ遺跡周辺は様相が一変しました。「遺跡の商業化」どこまで許容できるのかといった問題も提起しているように思われます。(平成14年の写真です)(車:R24 近鉄:岩見駅から徒約15分)

②箸墓・・・倭迹迹日百襲姫命の墓? それとも卑弥呼の墓?
(JR:巻向駅から南へ約500m)

No32 小菅正弘 7回生 「東高1年生の思い出」

 合格発表確認は一人で行った。そこでサッカ-部員から入部勧誘を受けたが拒否。入学後軟式野球部に入部。練習に励んだ運動場は出身中学校よりずっと広く、朝の始業前や臨時飯を食べて昼休みをフルに楽しんだ。
 運動場での体育はラグビ-しか覚えていない。教室は”県女”から引継いだ木造2階建て。母も使用した由、感無量だった。旧体育館や校舎等の一部を写した写真があった。授業は前期後期の2期制で夏休み前には試験が無く気が抜けた。片や10月に中間の休暇あり。
 理科は選択制で3年間で生物・化学・物理の順を選ぶか又は化学・物理・地学の順であった。1年生で化学を選択したが2年生で変更となり生物になった。英語は受験科目に無かった。入学後、テストがあり英語授業は成績別のクラスとなった。新体育館用に我々は寄付を出したが卒業迄に一度も利用出来なかった。

翌年、第2回原水爆世界大会がここで開催された。この事は、長崎東高同窓会会誌「ReEast」Vol.11号に記載して欲しかった。

(69年前なので記憶違いあるかも。)

次はばってんまほろば会でご一緒する10回生、溝上玄祐さんに襷をつなぎます。

No31 高 秋夫 19回生 「私の趣味」

  佐世保市から桜馬場中学校、長崎東卒後、大学時代を通じて岡山在住50年。

私は退職後、あまりの日常の変化にバランスを崩して鬱状態になりました。妻が見かねて「趣味でも探して、立ち直れ!」と檄を飛ばされ、まずバードウオッチングをはじめたところ、わずか数キロ圏内に数十種類の鳥がいることに驚き、カメラを入手し撮り始めました。

当初はまともな写真を撮れず断念しかけましたが、飛ぶ姿が偶然カメラに納まり小躍りし、それからは鳥の美しさ、給餌の姿、種類の豊富さに夢中になり、気づけば北海道から沖縄まで、新種を求めて鳥(撮り)三昧の日々を送るようになりました。鳥を探しての歩きでのワクワク感、いい写真が撮れた時の達成感に鬱も吹っ飛んでいました。

コロナが終息したら、鳥の撮影種1000種(現在723種)を目指して、去年行けなかった海外にも出かけたいと思っています。  

次回は同じ写真クラブの顧問をされている小菅正弘さん(7回生)に託します。

メジロとツバキカンザクラ

世界一美しい鳥、ケツアール

自作の撮影用皮バック

No30 峯 隆俊 19回生 「散歩」

 堺市泉北ニュータウンに住んで40年余り。同地区を2回引っ越し、現在の集合住宅に落ち着いて6年です。

退職後、個人の構造設計事務所を始めて12年。始業時刻に縛られないことだけ唯一 気に入っています。

最近は外出自粛により自宅で過ごす時間が増えてきました。日常のスーパーでの買物だけではわが家から近過ぎて運動になりませんので、天気の良い日は1時間ほど、少し離れた遊歩道を散歩するようになりました。

今まで最寄り駅からわが家までのルート以外はあまり脇道に逸れたことはなく散歩とは縁が無かったのですが、公園や遊歩道など、初めて通る道はなかなか面白いものです。

遊歩道を5、6分歩くたびに橋を渡るようになり、その下を車が通ります。人と車とは動線が分離されており、丘陵地の形状に沿った、当初の巧みな街づくり計画に妙に納得させられます。それでも、自転車とは分離されていないので、くだり坂では後ろから急に通り過ぎられるとヒヤッとすることがよくあります。

同じようなお年寄りの方々も結構散歩しているもので、すれ違う時は何となく小恥ずかしいので、わざとよそ見をしながら進みます。最近は暑くなってきたのでマスクをずらしながら、人影を察知したらセットし直して歩いています。散歩するたびに少しずつ地図上の縄張りを増やしつつあるこの頃です。

次は多彩な?趣味をお持ちの19回生、高秋夫さんにお願いしたいと思います。