No38 後藤博一 12回生 「同窓アラカルト」

  長崎市東浜の町に生を受け、戦後すぐ、中通り商店街の諏訪町に転居し、磨屋小・桜馬場中・東高・長大(経)と通学はすべて徒歩1分から20分程度でした。
学生時代の思い出は、小学生時代が一番強烈に残っており、クラス会も商売人の子供が多いためか、現在まで68年間細々と続いています。

小学校に入学のころ長崎くんちが復活し、諏訪町の出し物は【龍踊り】で戦時のブランクをカバーすべく囃子方の猛特訓をうけた記憶が鮮明に残っています。本来、くんちの踊り町は7年に1回廻って来るのですが、くんちを盛り上げるため、特別出演で別途3回ほど出演し、朝から夕方まで3日間、旧長崎市内を練り歩き、未だ食糧難の時代に丸山の料亭「花月」で毎回おいしい昼食をいただいたことが忘れられません。
それともうひとつ、小学校の夏休みに、長崎港の出口にあった鼠島海水浴場に、大波止から船に乗って夏休み中毎日、小学校の上級生が下級生を引率し、海水浴場で夏を過ごしました。今考えると子供だけの海水浴を親がよく許したものだと敬服してます。
今後とも、各同窓会に元気で参加したいと思っています。

 次は一年後輩の山口隆雄さん(13回生)にお願いいたします。山口さんよろしく!

昭和30年頃まで、従来青龍だけの奉納だったが、以後新たに白龍を加えて、奉納踊りを行った。

昭和30年頃、諏訪町の出し物(竜踊)の稽古の後の記念写真。多人数での稽古場がなかったので磨屋小学校の校庭を拝借。私は2列目のどこかにいます。