No61 田口佳南 73回生 「夏のコンクール」

  田口佳南と申します。現在、神戸大学国際人間科学部に所属しています。東高で3年間過ごし、吹奏楽部に所属していました。

 今年、東高吹奏楽部が夏のコンクールで3年ぶりに九州大会出場を決めました。昨年はコロナの影響でコンクール自体中止となり、3年生だった私はかなり悔しい思いをしましたが、後輩たちがこうして、昨年の思いを晴らすように九州大会出場を決めてくれて、とても誇らしいです。

これからもOGとして母校の吹奏楽部を応援し続けようと思います。

次は吹奏楽部と神戸大学の先輩、65回生の布野(旧姓小柳)悠さんにこのタスキを繋ぎます。

No60 八尾裕大 73回生 「猛暑のち大雨」

 中高6年間を過ごした東をこの春卒業し、現在は大阪大学に通っています。今回は、気象に興味を持っているので、天気について書きたいと思います。

 8月に入り、大阪では猛暑日が続きました。大学内を少し歩くだけで汗だくになってしまうほどの大阪の暑さに、この夏耐えられるか不安になったことを覚えています。しかし、台風9,10号が発生し、状況は変化しました。台風が、北から冷たい空気を引っ張ってきた結果、オホーツク海に低気圧が発生し、梅雨のような天気になりました。

 最近、大雨が続いてしまう原因は、、、なんと遠く離れたインド洋です。(まだわかっていないことも多いですが)インド洋の海水温が高くなると、海水が水蒸気になり、ヒマラヤ山脈にさえぎられて、九州の西側に流れ込みます。この水蒸気が普段の日本付近にある水蒸気と一緒になって、大雨を長く降らせてしまいます。今降っている雨は、インド洋から来たということに、やはり世界はつながっていると実感できます。

 みなさんも、台風や大雨に気をつけて過ごしてください。そして、時には空を眺めてみてください!

 次は同じ73回生の田口佳南さんにタスキを繋ぎます。

 

インド洋からの湿った空気

精霊流しは、雨がやんだので無事に行われました!(中央橋付近です。)

No59 尾上柊人 73回生 「空き地」

   大阪大学一回の尾上です。中高と長崎東で過ごし、1年間生徒会長を務めさせていただきました。部活は射撃部に6年間所属しており、その縁で小田原先輩からタスキをいただきました。
小田原先輩、ありがとうございます。

   大学での生活も半年が過ぎ、学校や部活の軽音部に行くことも増え、やっと大阪での生活に慣れてきました。
そんな中、半年ぶりに地元に帰ってみると、見慣れない空き地を目にしました。私は、自分の記憶の中の故郷にはないその空間に、少しの違和感を覚えました。その時、私が変わっていくように、故郷もまた変化していくのだということに気付きました。そして、その空間だけが故郷として喪失してしまったようで、少しの寂しさを感じました。
しかし、聞いたところによると、今度そこに新しい家が建つそうで、その空き地は誰かの未来でもあるのだということを実感しました。
ぽっかりと、少し間抜けな空間に、過去と未来とが混ざり合って存在しているような気がしました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

次は同じ73回生で大阪大学の八尾くんにタスキを繋ぎます。

No58 小田原光輝 72回生 「夏休みとコロナ」

大阪大学2回生です。長崎東で6年間を過ごし、中高共に射撃部でした。

大学生活の1年半はあっという間に過ぎ去りました。コロナで対面授業はほとんどなく、友達も少なく、「これぞ大学生活だ」という生活は送れないまま夏休みに入りました。

夏休みは、実家に帰りました。最近は雨が続き、外にも出ることができません。だから、コロナ禍の授業があった頃と同じように家で過ごす生活ばかりになりそうです。そんな退屈な日々を助けてくれたのが、高校時代の友達で、頻繁に連絡をくれ、高校の友達の大切さを実感しました。

次は射撃部の後輩で、73回生の尾上柊人くんにこのタスキを繋ぎます。

No57 三浦功奨 72回生 「SGH」

  大阪大学2回生です。中高6年間を東で過ごし、中学ではサッカー部、高校では射撃部に所属していました。

私が東での6年間でさせて頂いた貴重な体験の1つに「SGH(スーパーグローバルハイスクール)」事業での研究活動があります。私たちのグループは立山地域の防災マップや災害時に役立つ情報を載せたパンフレットを作成し、立山地域の住民の皆さんの防災意識を上げようという研究を行いました。

この活動の中で私が最も感じたのは仲間の大切さです。住民の方々へのアンケートやパンフレットに必要な情報収集などの研究活動だけでなく、日本語・英語での論文や発表の準備などひとりの力では決して成し遂げられなかっただろうと思います。また時には研究をよりよいものにするために熱く議論をしました。仲間の存在があったからこそ、全員が納得のいく研究ができたと思います。

今となってはみな散り散りとなってしまいましたが、zoom会を開くなどメンバーとはよく連絡を取っています。少し先にはなってしまうかもしれませんが、みんなでどこか旅行に行こうと話しています。

次は射撃部で共に切磋琢磨した小田原光輝君にたすきをつなぎます。

参加させていただいたSGH甲子園の開会式の様子

No56 入江泰生 72回生 「縦のつながり」

神戸在住の大学生です。

私は長崎東高校で野球部に所属していました。今回は当時野球部監督として三年間大変お世話になった山口一守先生からタスキをいただきました。現在、私はもう野球をしていないのですが、当時夢中になって野球に明け暮れた日々を思い出しながら、長崎東高校の縦のつながりについて私が思うことを書かせていただきます。

山口先生のご指導の下、私が二年生の頃は夏の選手権大会で30年ぶりのベスト8進出、三年生の頃はベスト16と、野球を楽しみ、試合に勝つ喜びを部員全員で味わうことのできた最高な高校野球生活でしたが、その背景にはいつも私たち部員を手厚くサポートして応援していただいた、長崎東高校野球部同窓会の支えがありました。グラウンド設備の改修や、外部コーチの紹介、さらには輝かしい実績をお持ちのOBの方によるご指導など、私たち部員の成長の糧や心の支えとなりました。大学生となった今、そのありがたさを身にしみて感じております。

さて私は今、高校を卒業して同窓会に入会し、在校生を支えて見守っていく立場になりました。今後の東高野球部を担う野球部の後輩達はもちろんのこと、現在東高に通われている全ての在校生の活躍を耳にすると大変嬉しく思います。同窓会の一員として今後も後輩達のよりよい学生生活のために、微力ながら尽力していきたいと思います。

山口先生、もし私たち野球部大学生OBにもできることがあれば、いつでもお声かけください。

次のタスキは中学から六年間同級生で、先日お宅にもお邪魔させていただいた、72回生三浦功奨君に渡したいと思います。

No55 山口一守 45回生 「在校生の頑張り」

  現在、長崎東高に勤務。8年目。保健体育科。野球部顧問。
7月28日、水曜日に同窓会から全国大会へ出場する部活動生に対して支援金の贈呈式を行いました。
新聞文芸部、囲碁将棋部、放送部、吟詠剣詩舞部門、柔道部、射撃部の6部35名の生徒を対象といたしました。
 限られた時間や場所で工夫して練習に取り組み、学習との両立を果たすために充実した毎日を送っている在校生の姿から、私自身はエネルギーをもらっています。同窓会の皆様も在校生の活躍を楽しみにされていると思います。いい報告がたくさんできるよう、現役の職員として、また一人の同窓生として在校生をサポートしていきます。
 現役高校生の時には分からなかった先輩方や先生方、周囲の支えがいかに有り難いかをこの年になって痛感しております。日々、感謝です。
 次回は、野球部の教え子にあたる72回生の入江泰生君に原稿執筆をお願いいたしました。

同窓会よりの支援金贈呈式。

No54 波多野徹 19回生 「長崎から感謝と思い」

 関西同窓会の皆さんお久しぶりです。19回生、同窓会会長を拝命中の波多野徹です。コロナ禍で辟易の日々ですが、オリンピック選手の活躍による歓喜、また感動の涙に救われてます。

長崎は本年で開港450年を迎えます。

我が母校も新制高校となって73年、前史に遡れば旧制長崎中学校から173年、更に長崎商業と同じく英語伝習所から162年、更に長崎聖堂から345年。

我が故郷は何と面白い歴史上の街でしょう。是非、コロナ禍が落ち着いたら延期した次の同窓会総会で長崎に帰省されたし!各回の同窓会生が歓待してくれます。

ところで会報は見ていただいてますか?

学生も学校、先生、PTA、我ら同窓会生も奨学会も頑張っています。この経済的維持は皆様の協賛金と寄付金に支えられてます。私の理想は一人千円。もしお送りした約二万人全員がそそうなら万々歳。それに近づけたらと願うばかりです。
先日、総合文化祭とインターハイの出場者メンバーへの支援金の贈呈式に代表して母校に行ってきました。孫の年代です。

行動があれば思いは繋がって行くものです。皆様とともに。

次は現在母校の教師で同窓会の専務理事を担当していただいている山口一守さん(45回生)にタスキを繋ぎます。山口さん、よろしくお願いいたします。

写真は13回生堀さんが編集した450年記念の書籍です。版画は田川憲さん。田川さんの長男肇さんは14回、二男良さんは19回です。

No53 楠本茂 19回生 「東京2020雑感(選手に感謝)」

昭和46年に三菱重工神戸に入社、以来原子力の設計、保全と幅広く手掛け、いろんな人と会話し、アフター5の乾杯ができたことが私の財産です。

コロナ渦で、オリンピック開催の賛否が問われる中、東京2020は始まりました。1964年の東京オリンピック(57年前)は、国民挙っての祝福ムードの中で行われ、聖火リレーでも、東高の吉村先輩(中距離陸上のホープ)が華麗なフォームで蛍茶屋の坂を駆け抜ける姿に、皆で声援を贈ったことが思い出されます。

あの頃のオリンピック開会式の主役は選手の行進と聖火の点火と観客の歓喜で、NHKのアナウンサーがその様を熱弁していたことが思い出されます。

東京2020の開会式については、「ドロン」や「ピクトグラム」等新しい試みも見られましたが、テーマにインパクトが感じられなかった等の意見も聞かれました。

でも、いざ競技が始まると選手の力なのでしょうか、いろんなドラマが展開され、思わず引き釣りこまれます。

三宅宏美選手(35)は、最初の試技でこそバーベルが挙がりましたが、その後の試技では挙がることなく試技を終え、少し笑みがこぼれたようにも見えました。あの笑みは何だったのでしょうか?重量挙げは、単純なだけに厳しい競技です。挙がらないと感じた時の選手の気持ちを思うとハラハラドキドキです。五度目のオリンピックに挑戦してきた父娘の今までの思いがよぎったのでしょうか?

体操の内村航平選手(32)もまさかの鉄棒からの落下、彼自身信じられなかったことでしょう。でも体調は年と共に微妙に変化します。1年前の開催であれば、恐らく彼は金メダルを当たり前に勝ち取ることができたと思います。慰めは橋本選手(19)が体操男子で金メダルを取り後継者として育っていたことです。

柔道では阿部一二三、詩兄妹が金メダルを取ってくれました。実家は兵庫区の和田崎町笠松商店街の喫茶「レオーネ」で、入り口の傍の窓の壁の下に兄妹の幼少期の手形(お宝)が今でも残っています。彼らが通っていたお好み焼き屋さん「よりみち(小さなお店)」では、現在、「祝兄妹金メダル、ビール、酎ハイ123円(お一人様2杯まで)」の看板が出ています。聞くところによると兄の一二三は緻密な努力家で、妹の詩は天才肌と聞きましたが、詩は数年前の代表選抜の試合に敗れた時、悔しさのあまり号泣し、「プレッシャーに負けるようでは、まだまだできていない、強くなりたい」とコメントしていました。彼らの試合態度やコメントにおける相手選手への尊敬や育ててくれた人への感謝等において彼らの真っすぐな心を見ることができ、日本の若者も凄いなと感心します。

スケートボードの西矢椛選手(13)も我々はとても真似ができない新しい感性の若者です。

昨夜フェンシング男子団体エペ「金メダル」の驚きのニュースがありました。

これまでのところ日本選手の活躍は素晴らしく7月30日の時点で金17、銀4、銅7個です。筋書きのないドラマはまだまだ続きます。我々が感動するのは、この舞台に立つまでに、選手(アスリート)が想像を絶する努力を積み重ねてきたことを理解するからだと思います。

「緊急事態宣言」,「まん延防止」の延長が決定されました。Withコロナの時代をどうしのぐかが当面の課題です。オリパラが無事に終わり、ワクチンの効果でコロナが収束に向かい、さるく会等の反省会で再び皆で談笑、乾杯できる日が来ることを祈り、次の方にタスキをつなぎたいと思います。

次は長崎東高同窓会の会長で、19回生のホープ波多野徹さんにお願いしたいと思います。波多野さん宜しくお願いします。