2017年11月26日(日) 第37回関西さるく会を実施しました

11月26日に第37回関西さるく会を実施しました。今回は、大阪・御堂筋 銀杏並木さるくです。午前10時に難波高島屋に25名が集合しました。黄金色の銀杏並木と大阪マラソン、秋の大阪の風物詩を同時に楽しみながら親睦を深めようという趣向です。

高島屋前から戎橋筋商店街へ。千日前通はマラソンコース、いきなり交通規制に引っかかり地下道を通って横断することに。夫婦善哉の法善寺へ。水掛不動にお詣りして道頓堀・戎橋へ。グリコの看板を見上げながら道頓堀沿いに御堂筋へ。御堂筋は三万二千人のマラソンランナーで埋まり、沿道は大勢のボランティア、応援団、そして通行人でごった返し。さるく世話人は迷子が出ないように終始チェックしながら北上。難波神社は商売繁盛の守護神。神木の楠は樹齢400年以上。触れて元気をもらっている人もいました。南御堂は真言宗大谷派難波別院。大阪における念仏の中心的な道場となっていたそうです。また、この地は松尾芭蕉の終焉の地としても知られています。辞世の句「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」と刻んだ句碑が建てられていました。さらに北上して北御堂へ。銀杏並木は光が当たって黄色が鮮やかで、青空にとても映えています。蓮如と親鸞の銅像に両側から見られながら御堂に向かう階段を上がると清々しい気持ちになります。そろそろお腹も空いてきて靭公園へ。ここも紅葉が見ごろで其々気持ちよくお弁当を広げていました。

靭公園を後にして、今度は四ツ橋筋を北上。土佐堀川に架かる肥後橋南詰に差し掛かると大同生命ビルがひと際目に入ってきます。2015年のNHK朝ドラ「あさが来た」の加野屋のモデルとなった加島屋本家の碑がひっそりと建っています。また土佐堀川沿いには豪商・淀屋の碑も建っていました。御堂筋に戻り淀屋橋で土佐堀川、大江橋で堂島川を渡り、さらに北上すると露天神社、近松門左衛門の「曽根崎心中」のお初天神に到着。予定より速いテンポでさるいたため、これまでのさるく会では異例の反省会までの時間調整タイム。お初神社に再集合した後、曽根崎を通っていよいよゴールの梅田へ。

反省会は全員参加の25名。総会の余韻と本日の反省をしつつ、長崎弁のオンパレードで大いに盛り上がりました。

総会の準備で超忙しかったにもかかわらず、また見どころ設定も難しかった中で、下見等準備していただいた世話人に感謝申し上げます。(23回生 手嶋)

2017年11月26日(日)第37回関西さるく会の下見を実施しました

    11月1日に第37回関西さるく会「大阪・御堂筋(銀杏並木)さるく」の下見を行いました。

    メンバーは4人です。難波高島屋正面玄関前に集合。まず法善寺横丁を見物、そのまま戎橋商店街を通りグリコの看板で有名な戎橋(別名ひっかけ橋) まで歩き道頓堀に沿って御堂筋に出ます。 御堂筋は東本願寺南御堂と西本願寺北御堂を結ぶ沿道に由来しています。 本番では 銀杏の木が970本続いている黄色に染まった晩秋の並木道を目的として さるく予定なのですが下見の時はまだまだの状態でした。北御堂まで歩いたら昼食予定の靭公園まで移動。 昼食後は靭公園から四ツ橋筋をそのまま北に中之島まで歩き、「あさが来た」で有名な加島屋の跡地、大同生命ビルを確認し堂島川に沿って淀屋橋まで出ることにしました。淀屋橋からは大阪市役所を横目にそのままお初天神まで。最後は梅田で反省会になります。

    当日は大阪市マラソンが開催されます。 御堂筋はメインの走路となっており大変な混雑が予想されます。皆様よろしくお願い致します。  泉田豊彦(24回生)

2017年10月1日(日) 第36回関西さるく会の下見を行いました

上段左から幸せの黄色いポスト、橿原神宮、特大絵馬、さざれ石、橿原考古学研究所博物館、神武天皇陵、旧高取郡教育委員会、今井町環濠と今西家、米谷家(NHK:朝が来た・ごちそうさんロケ地)、反省会会場

第36回関西さるく会「奈良・橿原神宮さるく」の下見を実施しました。メンバーは福地さん(19回生)、伊藤さん(24回生)のご主人、長岳さん(25回生)、森さん(34回生)と手嶋(23回生)です。10:00に橿原神宮前に集合。「幸せの黄色いポスト」を見ながら参道を進み、大鳥居をくぐって玉砂利を歩き橿原神宮へ。「日本書紀」において、日本建国の地と記された橿原。初代天皇である神武天皇と皇后が祀られています。ようこそ日本のはじまりへ。見どころは本殿と神楽殿、神武天皇御一代記御絵巻、そして、さざれ石。絵巻は、神武東遷の軌跡を描いています。さざれ石は、国歌に出てくるあのさざれ石です。国民が結束して岩となって苔が生えるまで末永く栄え平和でありますようにとの願いが込められています。

清々しい気分になったら、次は、橿原考古学研究所付属博物館。ここの展示物は国宝となっている出土品が多数あって見ごたえがあります。旧石器時代、縄文、弥生、古墳時代、さらに飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町時代まで橿原考古学研究所が1938年以来行ってきた発掘調査の出土資料が展示されています。お薦めの博物館です。さるく会当日はガイドさんに解説していただく予定です。

続いて、神武天皇陵。第一代天皇のお墓です。過去のさるく会でも色々な天皇陵を見てきましたがさすがに大きい陵です。

最後は、かつて「大和の金は今井に七分」といわれるほど繫栄した今井町を散策。今井は中世荘園の環濠集落から一向宗(浄土真宗)の道場(称念寺)を布教拠点として誕生。都市計画のもと寺内町として発展。その後一向宗は織田信長と敵対。本願寺の降伏に伴い今井も武装を放棄。江戸時代になると商業都市として発展し、「海の堺、陸の今井」と言われるほど活気に満ち溢れていました。幕府領として支配され自治的特権が認められ大いに栄えました。その町並みが随所に残っています。江戸時代の風情をゆったりと歩きましょう。

その他、久米寺や航空母艦「瑞鶴」乗員の追悼碑にも立ち寄ったのですが、時間的にも距離的にも無理がありそうなのでさるく会当日は割愛させていただきます。

そして、反省会の場所探し。今井町を出たすぐの位置に手頃な店を発見。仮予約をした後、冷たいビールでのどを潤して下見終了。最寄りの駅も徒歩3分でした。

当日の頃になると気温ももう少し下がり絶好のさるく日和なるでしょう。

皆さん、また奈良・橿原でお会いしましょう。(23回生 手嶋)

2017年9月24日(日) 第35回関西さるく会を実施しました

 素晴らしい快晴のもと50名弱の参加者を得て、万博記念公園さるくが実施されました。初めての大所帯。まずは太陽の塔の前で記念撮影。少し歩いてバーべキュー会場を確認して自然文化園を散策。途中高い塔に上る人、眺める人。当然男性より女性軍がパワー発揮。次の花の丘にはたくさんのコスモスがおもてなし。みなさん思い思いに写真を撮ってました。その後はバーベキューの買い出し。お肉とか野菜は世話役で。飲み物は各人。みなさん楽し気にお酒とかおつまみとか買いまくってました(笑)そして待ちに待ったバーベキュー。「お肉!」「野菜!」「お酒!」各テーブルは正に学生そのもの!楽しい時間はあっという間に!それでも飲みたらない豪傑は多分二次会に!少し暑かったけど最高のさるく会でした。世話役のみなさんありがとうございました!

2017年9月4日(月) 第35回関西さるく会の下見を実施しました。

第35回関西さるく会「大阪万博公園記念公園BBQ大会」の下見を実施しました。
<下見メンバー>
白垣さん(25回生)青木さん(23回生)犬塚さん(25回生)と泉田(24回生)

<下見コース> 
万博記念公園内(自然文化園入口→BBQ会場→日本庭園→ソラード回廊→花の丘)
→EXPOcity(スーパーイズミヤ)BBQ会場    

<BBQ会場の確認>
係員に人数についてキャンセルする場合などの事を確かめました。     
洗い場、テーブルなどの設備もしっかりしており、参加者全員十分に楽しめる施設と思います。     

<散策コースの確認>
自然文化園・日本庭園は非常に広く、すべて見て歩くには1日がかりでも相当疲れてしまうことになりそうです。
ルートとしては、自然文化園を中心にソラートと呼ばれる空中回廊を通って、花の丘をめぐるコースが良さそうです。花の丘には秋桜が一面に咲いているはずですので楽しみです。     
日本庭園もなかなか見どころ十分なのですが時間的にも体力的にも大変です。     
思い切って散策コースからは外したいと思います。
ただ家族ずれの方などの参加も期待されますし、     
日本庭園も見たい方もおられるかもしれませんので、BBQ会場での集合時間を決めたうえで     
自由行動も可としたいと思っています。

さるいた後のBBQ。夏の疲れを癒しましょう。
子供さん、お孫さんもご一緒に家族で参加されてはいかがでしょうか。
皆様のたくさんの参加をお待ちしています。(泉田 記)

<重要事項>
当日は雨天決行です。
BBQ会場は予約制になっており、50席を確保していますが人数未達の場合などではキャンセル料が発生します。
また 食材につきましても事前に予約しますので確認が必要になります。
恐縮ですが参加いただける方は下記の幹事泉田まで人数をメールでご連絡願います。(9月15日まで)
(すでに8月のさるく会で参加を表明された方は連絡不要です。)

2017年8月27日(日) 第34回関西さるく会を実施しました

     

 左上から明石城坤櫓、明石上ノ丸教会の日時計、柿本神社寿祥松、明石天文台から見た明石大橋、プラネタリウム、記念撮影、百日紅、魚の棚商店街、乾杯!

 8月27日(日)に第34回関西さるく会が開催されました。
今回は、東経135度日本標準時子午線が通過する町、兵庫県明石市をさるきました。JR明石駅に33名が集合。
 猛烈な残暑にもめげず全員無事に完歩しました。
まず明石公園の散策。武蔵の庭園と明石城の坤櫓と巽櫓。さすがに見晴らしの良い場所に建っています。
続いて、上の丸教会。屋根の下正面の壁に日時計。ぴったりの時刻を示している。
柿本神社には幸福長寿を願う黒松(壽祥松)が壽の字形に見事に枝を広げていました。
 午後からは、天文科学館へ。
最上階(16階)の天体観測室では口径40cmの反射望遠鏡で金星を眺め、14階展望室からは360度の大パノラマ。西神中央のビル群、明石海峡大橋の全景、淡路島などが明瞭に見えました。2階では、稼働期間日本一、現役最古(57歳)のプラネタリウムで日没から日の出までの天体ショーを解説つきで楽しみました。8月度は土星探査機カッシーニの旅を投影中。中には睡魔に誘われて寝息を立てている人もチラホラ。皆様お疲れのご様子です。
外に出ると午後の日差しは一段と強烈。眠気も一気に飛んだところで天文科学館の前での記念撮影。あまりの暑さに予定のルートを短縮して、魚の棚商店街へ。ずらりと並んだ商店を覗きながらそれぞれ蛸や蒲鉾など目当ての土産を買い求めていました。
 最後は、明石駅に戻り、恒例の反省会。冷えたビールで乾杯。名物、明石焼もたっぷり頂いて終了。暑い中、企画、準備、運営に当たられた兵庫地区の世話役の方々、ありがとうございました。  23回生 手嶋記

 

2017年7月21日(金) 第34回関西さるく会の下見を行いました

明石(魚棚商店街)さるくの下見を7月21日い実施しました。

「ときどき、ドキドキ」!明石市立天文科学館のリーフレットに記載されたキャッチコピーです。8月は子午線のまち、日本の標準時を示すまち明石をさるきます。

19回生南都さん、25回生松崎さんと3人で、松崎さんが企画した案を中心に現地確認を行いました。JR明石駅を拠点に、時計回りに明石城、柿本(人麻呂)神社、子午線上に位置する一連の建築物、モニュメント類を見て、旧西国街道から魚棚商店街へと巡ってきました。
猛暑の中、老年パワーを発揮しながら?身も心も熱き1日でした。
最初に、駅の北側に広がる明石公園へ、「明石城武蔵の庭園」を経て明石城史跡へと登りました。ここはあまり名を知られていませんが、徳川二代将軍秀忠の命を受けた、小笠原忠真(ただざね)により築城された約400年の歴史を持つ名城の1つで、現在では三重櫓の巽櫓、坤(ひつじさる)櫓を残した本丸跡などが広がっています。巽櫓の横にある展望台からは、明石の市街、明石海峡大橋などが望めます。
 
城跡をあとに東へ、傍の明石市立文化博物館で、催し物、入館料など伺い(結果、当日は立寄らないことに決定)その後、「時の道」と名付けられた道路沿いに上ノ丸教会、本松寺を見ながら月照寺、柿本神社へと歩を進めました。道中木陰はあるものの人丸山と言われる小高い山への登りが続きます。途中にあった上ノ丸教会には明石らしく正面に日時計が掲げられていました。柿本神社は、名が示すよう歌仙柿本人麻呂を祀った神社です。そしてこの前には、今回巡る4つの子午線標識の最初のものとして、「トンボの標識」の愛称で呼ばれる子午線標示柱があります。ここを下った所にある人丸山公園で一休み。当日は、ここで昼食を予定しています。

 休憩後、ここから子午線に沿ってほぼ南へ下ります。すぐ傍にある天文科学館に入って、暑さを凌ぐと共に暫し宇宙へ想いを馳せて頂きます(当日)。科学館前の路上にも子午線標示がありました。出た後、国道2号にある標識(3つ目)及び子午線上にある「明石子午線郵便局」を外から眺め、さらに南へ。子午線交番前にある、明治43年に建てられたという「子午線通過地識標」(4つ目)を右に見て、ここから旧西国街道を西に向かって一路魚棚へ。魚棚は地元では「うおんたな」とよばれ、明石城築城と時を同じくして営業を始め、400年の歴史を持っているとか。明石鯛や明石蛸、干物、かまぼこなど練り製品はじめおすすめ品も数多く、是非お土産に如何ですか。仕上げは、他では食べられない名物「明石焼(玉子焼)を堪能しながら反省会をしたいと思います。暑い中ですが、明石焼を食べに多数の参加をお待ちしております。因みにこの日3人が食べたのは、茶わん蒸しタイプの明石焼でした。(当日は本物ですよ!) (19回生 太田記)

2017年7月23日(日) 第33回関西さるく会を実施しました

写真上段左から追手向櫓(手嶋)、追手門(大久保)、城址会館前(手嶋)、天守台(大久保)、天守台からの眺望(大久保)、永慶寺弁天門(手嶋)、キリシタン受難碑(大久保)、金魚資料館(大久保)、金魚ボックス(大久保)、源九郎稲荷神社(手嶋)、反省会(大久保)敬称略

 

    7月23日(日)に第33回関西さるく会を実施しました。
今回のテーマは「金魚が泳ぐ城下町 大和郡山をさるく」です。
今回のさるく会は、郡山在住の伊藤さん(24回生)ご夫妻が中心になって事前の情報収集や企画・運営に参画された結果、成立したことをまず感謝の意を込めて報告します。
天候は曇り時々晴れ。梅雨明けの湿度の高い蒸し暑い中にもかかわらず、17名の方々が近鉄郡山駅前に集合しました。伊藤さんご夫妻が事前に準備された散策マップでルートを確認した後、スタート。
まずは、郡山城跡へ。お城跡には、鉄(くろがね)御門から入り追手門へ。織田信長と組んでいた筒井順慶が城郭の整備に取り掛かったこと、その後、豊臣秀吉の弟、大和大納言秀長が100万石を領して城郭の大増築と城下町を建設したこと、更に水野、松平、本多が城主を務めた後、柳澤吉里が公布から15万石で入城し、明治まで6代145年間柳澤氏が続いたことなどを説明。次は、重厚な建築様式の城址会館へ。説明員の方が石垣の由来など見どころをしっかり説明してくださいました。ここで記念撮影。
予備知識を得た上で天守台へ。標高81mの天守台からの眺望は素晴らしく、大和国を支配するための好適地であったことを体感させてくれます。
南御門跡近くの公園で弁当を広げての昼食。その後、鰻堀池周辺を散策して、郡山藩主柳澤家の菩提寺である永慶寺へ。黄檗宗のお寺で、長崎の崇福寺の山門に似た朱色の弁天門がありました。門の前で記念撮影。法光坂を下ると大和郡山カトリック教会の敷地内に浦上切支丹流配の記念碑があります。明治の初めでもキリシタンに対する厳しい弾圧があったようです。長崎浦上のキリスト教信者の内86名がはるばる遠き大和郡山へ強制送還され苦難な歳月を送ったという悲話がありました。
次に立ち寄ったのは、紀伊・和泉・大和 百万石の城主、大納言秀長の墓所、大納言塚。暑さもピークとなり、皆さんそろそろお疲れ気味。水分を補給して、金魚田が広がる道を歩きます。朝どり金魚の自動販売機を発見!続いて、やまと錦魚園(郡山金魚資料館)へ。希少な金魚や高級な金魚など40種類の金魚を見ることができます。少し時間をとって金魚を眺めることにしました。
更にさるくと、金魚が泳ぐ電話ボックス。大和郡山ならではの発想ですね。日本三大稲荷神社で、当代の歌舞伎役者も参拝するという源九郎稲荷神社にも立ち寄りました。管理人の方が当神社の由来などのユーモアを交えて話をしてくださいました。ご神木の楠の枝を加工したペンダントも頂きました。昔、遊郭もあったという洞泉寺町を通り抜けて紺屋町へ。そして、近鉄郡山駅に戻り、恒例の反省会。和食のおつまみと冷えたビールで乾杯。火照った体を冷ましてひとまず一服。金魚の由来や種類の話や今後のさるく会のコース選定状況など、話は弾み、約1時間半の反省会終了。暑さの中、無事に全員完歩。お疲れさまでした。 (23回生 手嶋記)

2017年7月1日(土) 第33回関西さるく会の下見を実施しました

   

写真左上から、金魚選手権郡山大会、郡山城追手門、天守台から若草山を望む、永慶寺弁天門、浦上四番崩れ記念碑、豊臣秀長大納言塚、金魚の自動販売機、金魚ボックス、源九郎稲荷神社にて、金魚の灯篭
7月1日(土)にさるく会「奈良郡山金魚の町さるく」の下見を行いました。
 今回は特別に、郡山在住の伊藤さん(24回生)ご夫妻が中心になって企画・準備を進めていただきました。下見には、福地さん(19回生)と奈良地区委員の森さん(34回生)、手嶋(23回生)が加わりました。
 集合は近鉄郡山駅前。伊藤さんご夫妻が事前に準備された散策マップでルートを確認した後、郡山城跡へ。
 途中、中央公民館(三の丸会館)では全国金魚すくい選手権大会大和郡山市大会真っ最中!1チーム3人256チーム(合計768名)が参加。5位までが全国大会に出場できるとあって会場は熱気に包まれていました。因みに全国大会は8月20日、勿論、大和郡山市で開催されます。金魚の歴史、種類や育て方などの資料も沢山いただきました。さるく会当日説明できるよう準備しておきます。
 お城には、鉄(くろがね)御門から入り、追手門を通り抜け、重厚な建築様式の城址会館へ。程よく冷房の効いた中で説明員の方から見どころをしっかり聞くことができます。石垣が織りなす物語などの予備知識を得た上で天守台展望施設へ。天守台からの大展望は、大和国を支配するための好適地であったことを体感させてくれます。暫らくの間、この大展望を堪能しましょう。
 南御門跡近くの公園で弁当を広げての昼食。その後、鰻堀池周辺を散策して、郡山藩主柳澤家の菩提寺である永慶寺へ。法光坂を下ると大和郡山カトリック教会の敷地内に浦上切支丹流配の記念碑。長崎浦上のキリスト教信者の内86名がはるばる遠き大和郡山へ強制送還され苦難な歳月を送ったという悲話がありました。
次に立ち寄ったのは、紀伊・和泉・大和 百万石の城主、大納言秀長の墓所、大納言塚。
 金魚田が広がる道を歩くと、なんと朝どり金魚の自動販売機を発見!これには驚きましたね!この嶋川養魚場は金魚すくいセットを販売していました。続いて、やまと錦魚園(郡山金魚資料館)へ。希少な金魚や高級な金魚など40種類の金魚を見ることができます。少し時間をとって金魚を眺めることにしましょう。ここで、金魚を購入することもできます。
更に歩を進めると、金魚が泳ぐ電話ボックス。大和郡山ならではの発想ですね。
 日本三大稲荷神社、当代の歌舞伎役者も参拝するという源九郎稲荷神社にも立ち寄ります。面白い話も聞けそうですよ。昔、遊郭もあった洞泉寺町を通り抜けて紺屋町へ。藍染めが盛んだったそうです。めだかも泳いでいました。金魚すくいができる「こちくや」にも入ってみます。腕に自信のある人、初めての人、チャレンジしてみてはいかがでしょうか?
 近鉄郡山駅に戻り、いったん解散。有志による恒例の反省会は、和食のおつまみと冷えた飲み物。ひとまず一服しましょう。
帰りは、近鉄郡山か15分ほど歩いてJR大和郡山が利用できます。本番当日は、梅雨明けで日差しが強いかもしれません。水と日傘、日焼け止めのご用意を!
では、7月23日にお会いしましょう。 23回生 手嶋記

2017年6月25日(日) 第32回関西さるく会を実施しました

 

写真左上から①出発前のミーティング(倉田さん)、②河合神社(大久保さん)、③糺の森で記念写真(大久保さん)、④下鴨神社みずみくじ(大久保さん)、⑤下鴨神社で記念写真(手嶋さん)、⑥みたらし団子屋(大久保さん)、⑦・⑧賀茂川(手嶋さん・大久保さん)、⑨(倉田さん)、⑩上賀茂神社で記念写真(大久保さん)、⑪上賀茂神社茅の輪めぐり(大久保さん)、⑫上賀茂神社細殿と立沙(手嶋さん)

 6月25日(日)に第32回関西さるく会「京都・賀茂川さるく」が開催されました。
「古都京都の文化遺産」として 世界遺産に登録された下鴨神社と上賀茂神社に立ち寄り、平安時代に想いを馳せながら同窓と共に賀茂川沿いをさるくという趣向です。今回は、地域役員の19回生の大石さんと21回生の鳥山さん、そして、37回生の大久保会長が世話役となり企画・運営されました。

 10時に京阪出町柳駅に26名が集合。出町柳は、賀茂川と高野川の合流地点。大久保会長の説明によると、鯖街道の終点であり洛中への入り口としての重要拠点であったとのこと。1200~1300年も前から、若狭から鯖や鯛などの魚介類を京都や奈良に運んでいたらしい。今まで何気なく通過していましたが、いきなりの地域再発見。さるく会、勉強になりますね。

 10時15分出発。暫らく北上して河合神社へ。方丈記の作者で有名な鴨長明はこの神社の禰宜の二男。この神社は美麗の神様として女性にも人気。お参りした後の女性陣が一段と美しく見えたような気がしたのは私だけ?

河合神社から、葵祭の流鏑馬が行われる馬場や、2本の木が途中から1本に結ばれている連理の賢木(れんりのさかき)を見ながら、糺(ただす)の森の中を北上し、下鴨神社へ。ここで記念撮影。それぞれ自由に境内を散策。国宝、重文の社殿が並んでいます。舞殿は、葵祭で舞楽が奉納される場所。境内の御手洗社前の池は、葵祭斎王代みそぎの儀が行われます。その池の水泡の形に着想し、5つの団子で人の形を模したものが、みたらし団子です。神社近くの「加茂みたらし茶屋」に立ち寄り、団子をゲットして満面の笑み。

 賀茂川沿いの公園で昼食。みたらし団子も美味しくいただきました。昼食後は、五山を眺めながら賀茂川沿いをさらに北へ上がっていきます。御園橋付近で賀茂川を離れ、社家の家並みを楽しみました。社家は賀茂川の水を取り込んで禊の水などに利用していますが、ここで大久保会長から、賀茂川の水位低下によって水の流れが変わっている部分があるという説明。
 そして、終点の上賀茂神社へ。長い直線コースの馬場は加茂競馬(くらべうま)が行われる場所。境内の細殿の前の円錐形のふたつの立て砂は、神さまが降臨した神山を模したものだそうで、頂には松葉が立ててあります。これが、鬼門に砂をまき清める風習の始まりでもあり、門松の始まりでもあるそうです。色々と勉強になりますね。
 終了後は、少し北上して、MKバイキングで反省会。食券方式で、バイキング食事550円。生ビール1杯250円。つい先ほど昼食だったはずなのに皆さん食欲旺盛。ビールもグイグイ!そう言えば、今日の反省をしていなかったような?
 反省会が終了する頃から、外は土砂降りの雨。暫らくの雨宿りの後、鴨川沿いを少し下って市バスを利用して北大路へ。ここからそれぞれ家路へ。
 梅雨時のさるく会。途中、傘をさす時間帯もありましたが、概ね天気が持って良かったですね。  
世話役の皆さん、ありがとうございました。お疲れさまでした。     23回生手嶋記