No87 岩永周太郎 73回生 「時間の使い方」

  東高73回生、関西大学一回生の岩永周太郎です。

大学に入学してから、時間の使い方が重要になってきたと感じています。勉強や部活に縛られてきた高校とは違い、学校にいる時間は減り、一人暮らしでもあるので自由な時間に何をするのか自分で選択できるようになりました。つまり、この自由な時間を活かすも殺すも自分次第ということです。

私はこの9ヶ月間何をしていたかというとダラダラとした生活を送っていました。自分のためになるようなことをできているとは思えません。時間はぼーっとしているとあっという間に通りすぎてしまうものです。ダラダラするのも好きなので大事にはしたいですが、それに流されてすぎてしまうと自分には何も残らないので何か突き詰めて、ものにしてみようと思っています。趣味はたくさんあるので一つやることを決めて、最後の学生生活をのんびり楽しみたいと思います。

次に襷をつなぐのは、関西同窓会の常任幹事をされていたこともある50回生の松下暁さんです。よろしくお願いします。

 

No86 田中康二朗 73回生 「1年前の自分 」

長崎東高73回生、龍谷大学1回生の田中康二朗です。

東高を卒業してもう8ヶ月が過ぎようとしています。1つ下の後輩が受験期の11月末まできていると思うと、時間の過ぎる早さを実感します。正直、1年前の自分は今よりずっと真面目でした。苦手な教科を克服することや得意な教科を伸ばすことに力を入れ、模試の成績にはいつも敏感でした。

今は周りの人と競い合って夜中まで勉強することもなければ、差し迫って「これを出来るように、、」などということもあまりありません。しかしながら、サークル活動やアルバイトなどもあって日々充実した生活を送れています。今のような割とのんびりした生活ができるのは1年前の自分のおかげだと思いつつも、大学生である以上は「勉学」を第一に考えて今後も頑張りたいと思います。

次は、高2高3と同じクラスだった73回生の岩永周太郎君にタスキを繋ぎます。周ちゃんよろしく!

No85 川原隼人 73回生 「大学生としての生活」

 大阪府立大学1回生の川原隼人 です。

 一人暮らしということもあり、大学生活は過去 18 年の生活とは全く異なった、新しい生活様式でした。
ほとんどのことを自分自身で管理しなければいけなく、自発性が強く求められます。そのことに、非常に戸惑い、なかなか適応するのが難しく感じます。特に、料理をしたことがあまりなかったため、作るのが面倒くさくて夕食をスキップすることも多々。

 このように、至らぬ点が多いのですが、だからこそ、顕著に現れた改善すべき点を、この大学生活で直していこうと思います。
最大の弱点である「腰の重さ」を“軽く”し、多くのことを経験していきたいです。
 幸い、大学生活は有限ながらも自由な時間が多いため、絶好のチャンスだと感じています。

次は同級生の田中康二朗君にタスキを繋ぎます。田中君よろしくお願いします。

No84 長田幸輝 72回生 「コロナと私」

滋賀でひとり暮らし中の立命館大学経済学部2回生です。

コロナと私ということで、この2年半の歳月を振り返ってみた。丁度私達72回生が卒業してからそれぞれの進路を歩み始めるタイミングで所謂コロナ禍になったわけだが、正直私自身に大したダメージは幸運にもなかったように思う。元々アクティブな方ではないので、家で友達と電話をしながらゲームをしたり、好きな漫画を読み返してみたり、そういった時間が増えてそれなりに楽しい生活をおくれていたのかなと思った。

ただ1つどうしても困ったことがある。それは体重の増加である。外に出ず、家で上記のような生活を炭酸飲料とファストフードをお供に生活していると当然太った。高校を卒業してからおよそ10kgの増量である。気にはしていなかったが、最近鏡をみて、マフラー要らずの首元になっていることに気づきやっと危機感を感じ始めたところである。何か良いダイエット方は無いものか、あったとしても私のこの自堕落な性格でダイエットなど出来るのか。

20歳にもなって自己管理も出来ないのか、いや全てコロナのせいである。と、朝からカップラーメンを啜りながら執筆中の私であった。

次はテニス部の後輩の川原隼人君に襷を繋ぎたいと思います。

No83 芳田栄二 42回生 「商店街」

42回生の芳田栄二です。
実家は桜馬場町で、伊良林小学校から桜馬場中学校、東高での担任は入口先生、大久保先生、副島先生でした。部活は硬式テニス部、当時の顧問は上村先生でした。
大学は東京でしたが、神戸での生活もはや20年超です。

ここ最近は、コロナ禍の流れに乗って、今まであまり関心のなかった登山やキャンプにはまり始めました。6歳の子供に付き合ってもらって、私が楽しんでいます。
一番楽しみにしているのは、キャンプでの食事です。といっても本格的なアウトドア料理ではなく、大体はBBQですが、食材探し(主に肉)のために神戸市内の商店街をうろうろしています。
よく行くのは、水道筋商店街、大安亭市場、湊川商店街で、それぞれ特徴があって、お気に入りの店もできてきます。「(肉の)いいの入ってるよ」などと言われると、買いたい衝動を抑えられません。

規模も雰囲気も違いますが、歩いていると、母親の買い物についていった新大工町商店街を思い出して懐かしい気持ちになります。

次は、硬式テニス部の後輩の長田幸輝さん(72回生)にタスキをつなぎます。

 

No82 村中亜衣 73回生 「部活での目標」

東高73回生、神戸大学経済学部1回生の村中亜衣です。

コロナの影響で未だ対面授業は行われず、友達と勉強するため、図書館で本を借りるために大学へ向かう毎日です。
そんな中でもひっそりと部活やサークル活動は行われており、今回は私が所属している部活についてお話させていただこうと思います。

私は大学でも、高校と同じく美術部に所属しています。学校での活動は、コロナの感染防止を理由に学校側から禁止されており、代わりに先輩方が郊外での美術館巡りを企画して下さります。大阪の美術館へ向かったり、京都へ向かったり、六甲山を登ったりと、たくさんの経験をさせていただきました。応募したい展覧会も見つかり、目標もできたので、先輩方が作ってくださった機会から色々なものを吸収し、今後の作品作りに生かすことができたらと考えています。

 次は同じ神戸市灘区にお住まいという42回生の芳田栄二さんにタスキを繋ぎます。

No81 西井由紀子 20回生 「認知症予防に?」

  コロナ禍の中、皆さんいかがお過ごしですか。私は仕事もしてないし、家で過ごす時間が多い中、洋裁等縫い物が趣味で暇を持て余すことはあまりありません。しかしこればっかりやっていると、けっこう疲れるので、気分転換になるのが、キーボード(楽器)です。

子供の頃ピアノを習いたかったのですが、5年程前に友人から誘われて、公民館でキーボードを習い始めました。全くの初心者です。シニアのための教室で、先生が根気よく教えて下さいます。60才台から両手が動くようになるのかなと思っていましたが、練習していると遅々たる歩みながら動くようになるんですね。
やさしく編曲したクラシック、ポップス、映画音楽など弾いています。
認知症予防と思ってやっていますが、5年後、10年後はさてどうなっているでしょうか?
近所にヘタな音を聴かせて迷惑をかけていると思いますが、少しでも楽しい余生を過ごそうと思います。

次は73回生の村中亜衣さんにタスキを繋ぎます。

No80 宮﨑逸朗 20回生 「楽しさの原点は、ゆるり長崎東高に」

みやちゃんです。大阪市在住です。

 10月の土曜日、コロナ禍、意を決してひさしぶりに地下鉄に乗り、大阪城由来の空堀商店街近くのギャラリーに、美術部先輩のÑさんの奥様の絵の個展に行きました。素晴らしい絵もそこそこに懐か東高時代の美術部の話に時を忘れての1時間でした。

 そこで、西山校舎、美術室界隈をさるきます。
美術部とは名ばかりで、長椅子を台にした卓球の日々。卓球部のÑ先輩も楽しいと夢中だったとのこと。恐怖の7時間授業の終わっ後の楽しみでした。絵、描いてたかな。
 近くに柔道場。正座、体落とし習得、受け身は転んでもかすり傷程度。今、役に立っています。
山岳部の部室。隣だったかな。何かと対抗意識。楽しかったです。さるく会で久しぶり、山岳部のかたと話が弾みました。
放送室前の教室で、デッサンしてたかな。左右の手で描ける20回生のO君は元気に活躍とのこと。放送部のエーデルワイスの歌声は懐かしい思い出です。

 東高前の駄菓子屋さんのかき氷。新大工町の70円のお好み焼き、今は普通に夕食に。伊良林小の近くの橋の下のドジョウ、鳴滝の竹林など、東高を思い出します。

 つぶやき。人生の楽しさの原点は長崎東高にあり。皆さん元気にのんびりと、長崎東関西同窓会です。

次は時々さるく会で顔を合わす同じ20回生の西井由紀子さんにタスキを渡します。